原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

原左都子エレクトーン演奏第4段 「レディ・マドンナ」

2019年09月10日 | 音楽







 言わずと知れた、ビートルズの名曲です。


 遅い時間帯になりましたが、どうぞお楽しみ下さい。

原左都子の娘・記  「自分史下書き・私が産まれた日」

2019年09月10日 | 医学・医療・介護
 つい先ほど、パソコンの「文書管理」ページを開いたところ、「娘の文書管理」内に興味深い文書を発見したため、それを紹介させていただこう。


   テーマ :私が生まれた日 
   聞き取り調査をさせてもらった人: 母

質問内容とその答え

 Q. 私は産まれた時に息をしていなかった(仮死状態で産まれた)そうですが、そのことについて詳しく教えてください。

  A. 〇〇(娘の名前)が生まれた日は、母にとっては一生忘れる事のできない特別な日です。○○はおなかの中で逆子でした。それに加えて母が高齢初産だったため、元々帝王切開で出産する予定でした。ところが、帝王切開手術の予定日より2週間早い日に陣痛が始まってしまって、その日がたまたま祝日でかかりつけの病院では手術ができないため、自宅で待機するよう電話で主治医から指示を受けました。父も出勤日だったので、母は自宅で苦しい陣痛に一人で耐えているうち、どんどん体調が悪化していくようで夕方には動けなくなりました。急きょ主治医の指示で、母は救急車で手術ができる病院に運ばれ、夜やっと手術をしてもらえました。
    夜の八時六分に帝王切開で○○が産まれました。いろんな悪条件が重なってしまって、産まれてきた○○は息をしていませんでした。(病院内ではなぜかその事実は伏せられていて親には告げられず、ずい分後に知った話ですが。)直後に保育器に入れられて、母が初めて○○に会えたのは産んでから三日目でした。とてもかわいい色白の女の子で感激しました。
    母は、赤ちゃんを産むということは産む方も産まれてくる方も命がけだという事を、○○を産んだお陰で身をもって知りました。(決して「機械」的に産んだり産まれてくる訳ではありません。)だからこそ、生まれてきた命はかけがえがなく尊いのです。


 Q. その後、私は息をしたのですか。

 A. もちろんです。母が産んでから3日目に○○に会えた時には息をしていたし、その後ずっと無事に育っています。幼少の頃は斜頸があったり夜驚症があったり不明熱を出したりして頻繁に病院通いをしましたが、小学校高学年以降は大きな病気もなく比較的元気なことは○○本人も知っているとおりです。

Q. 私は何事もスローペースだったり人とのコミュニケーションが下手なのですが、その事と仮死状態で産まれたことは何か関係があるのですか。

 A. 幼少期に、そういうことについても専門の医療機関や教育機関で調べました。結論だけ言うと、現在の科学では両者の因果関係の解明は困難です。 そもそもなぜ○○は仮死状態で産まれて来なければいけなかったのかについて、その原因追究、責任追及をしようと思ったこともあります。ただ、それらを徹底的に解明したり追及することでエネルギーを擦り減らしても、仮死状態で産まれたという事実は消しようがありません。 親として優先するべきことは、実際に○○が成長していく中で、○○が苦手な事を克服して社会適応していく事のサポートだと考えたので、そのことに尽力してきました。幼少の頃に教育研究所に通って研究者の指導や助言を受けたことがあることを、○○も憶えていると思います。幸い、○○は生まれ持っての性質や様々な能力に恵まれていて、また人一倍の努力家で頑張り屋でもあるので、今までに苦手な事を十分に克服してきています。「もう大丈夫」との専門家のお墨付きももらっているし、親としても今では心配な事はほとんどありません。○○はこれからも○○らしく持って生まれた能力や性質を伸ばしていって欲しいし、今後共、両親はそれを見守っていきたいと思っています。


聞き取り調査を終えての感想、メモ

  これからも、今までのように着実に努力を続けていろいろなことを頑張っていきたいと思います。

 (以上、パソコンに保存してあった「娘の文書」より引用したもの。)

   
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 これを先ほど読んだ後の我が感想だが。

 この文書は娘が中学生の時に作成したものだ。 その時に手伝ったことを、今確かに思い出した。

 娘が「仮死産」だった事実を私は娘に告げたか否かに関しても、すっかり忘却していたのだが…

 これ程明瞭に告げていた事を、今になって認識し驚いた。

 それが失敗ではなかったことを私に思い知らせてくれる文書だ。

 ありがとう、娘よ。
 
 その事実を知った後も、貴方は日々まさに着実にたゆまぬ努力を続け、最大限頑張って生きているよ!

 それを一番よく知っているのは、この母の私だ。

 そんな貴女を今後一生涯見守っていくよ!