原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「走れメロス」再考

2019年09月23日 | その他オピニオン

 本日紹介するのはやはり娘の大学時代のレポートですが、これに関しては娘が単独で仕上げたものにサリバンの私が少し目を通した課題です。

 何故、大学生にもなって「走れメロス」なのかの理由を娘本人が本文内で記していますが、これはやはり常に時間不足の娘に私から「そうしたら時間短縮になる。」とアドバイスした結果です。

 

 それでは、娘記・「走れメロス」をお楽しみください。

 

 私が日本の文豪 太宰治 の名作とされている「走れメロス」を初めて読んだのは、中学生の時でした。

 この作品に関しては、世間では小中学生が好んで読む短編小説との評判があるのですが、その評判のごとく子どもが喜びそうな作品を、なぜ大学生の私が特論の読書課題に取り上げ、その感想を書こうとしたのかに関しては、私なりの理由があります。

 正直に言いますと、この小説は「短編」であるため読み直すのにさほどの時間がかからないとの理由が第一でした。 何せ皆さんもおそらくご存知の通り、何をするにもスローペースの私です。常に物事の優先順位を考慮しながら課題に取り組む日々ですが、9月には料検受験も控えている身で、残念ながら夏休み中に長編小説を読みこなす時間が取れないのが実情でした。 

 もう一つ理由があります。 私が小中学生の頃に周囲から見聞した主人公メロスの評判とは「悪しき国王を改心させた英雄であり、勇者として讃えられるべき存在」とのプラス評価でした。

 ところが、私が中学1年生の時に学校の夏休みの課題でこの物語を読んだ感想を一言でまとめますと、主人公メロスの人物像とは、向こう見ずで浅はかとのマイナス印象しか抱けなかったのです。

 いくら国王が人殺しをする暴君であるとは言え、それに反発して単身で王城へ出向き、挙句の果てには親友のセンヌンティウスを自分の人質に差し出してまで妹の結婚式を実行しようとするそのメロスの姿に、私は反発心すら抱きました。 しかもその結婚式の場でメロスは妹の幸せを願うがあまりに、王城へ帰る時間が遅くなってしまいます。 やっとメロスが王城へ向かって走り出したと思えば、川が氾濫していたり国賊に出会ったりして、疲れ果ててしまう場面にはいらいらさせられました。 メロスは親友を人質として国王に差し出している現実をどのように考えているのだろうかと。

 結果としてメロスは人質である親友の処刑に何とか間に合ったからよかったものの、もしも間に合わなかったならば、メロスは一体どのような責任をとったのかと、当時中学生だった私は相当気をもまされました。

 その後年月が流れて大学生となった現在、特論課題として、もう一度この名作に触れる機会を得ました。

 どこかで聞いたのですが、「小説」とは数多くの作品に片っ端から触れることも重要ですが、同時に、自分が気になる作品を何度も読み返すことも有意義であるとのアドバイスがあります。 スローペースの私の場合、時間的制限の観点からも、それこそが自分の個性に適していると自分に都合よく考えたりもしました。

 そして大学の夏休み中に、私はこの短編小説を今一度読み返しました。

 今回新たに感じた事は、国王がなぜ自分の身近な人間を殺すのかに関する疑問でした。 それは国王が人間不信に陥っている結果の行為であることを改めて認識したのですが、それにしても国政を操る国王たる者に、そのような精神面での欠落が許されるはずはありません。

 片やメロスという人物とは正義感旺盛ではありますが、向こう見ずで浅はかとの印象は大学生になった現在も変わりはありません。 親友を人質として差し出してまで国王と対決する究極の場面において、大人であるメロスの計画性、実行可能性こそが問われるべきでしょう。

 そうだとしても、よくぞメロスの親友は身代わりとなってくれたとも思います。メロスの親友であるセンヌンティウスこそが、この物語の登場人物の中で一番冷静な人物であろうと、私は今でも評価します。

 さらにメロスが命からがら王城に戻ってきた時に、国王がメロス達の友情愛に感動し改心する場面など、ずい分と単細胞の国王である事に何だか笑える思いでした。

 こんな単純思考の国王が現在の現実世界に存在しないことを信じたいですが、もしかしたら私達が現在生きている時代も似たようなものかもしれないとも思わせられる事件が、日本を取り巻く世界規模で発生しています。

 この読書感想文を書いた当時は8月下旬の大学の夏休み中でしたが、当時韓国大統領の「竹島」上陸事件により、我が国日本を取り巻く周辺海域で領有権争いが勃発し始めていました。

 その後、尖閣諸島をめぐり中国との領有権争いも激化して、政治分野のみならず経済・文化分野も巻き込みつつ、現在日中韓外交関係が冷え切ってしまっています。

 日本を含めた各国共に、もっと冷静かつ大局的視野を持って対応できないものかと感じながらも、国家を統治する人間達とは、メロスの時代と同様に意外と単純思考なのかとも感じさせられる今日この頃です。

 (以上、娘の大学時代の読書課題より掲載したもの。)

 

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 まあ最後の政治論評部分など、「原左都子エッセイ集」ファンの皆様にはお見通しであろうが、これぞサリバンである私の“入れ知恵”だ。

 実はこの娘の課題は、大学へ提出後の「選抜者5名による発表会」の一人に選出され、学生達の前で発表と相成ったようだ。

 テーマが「走れメロス」であり誰しも分かりやすい内容だったこともあろうが、この発表会にて一番の注目度だったとの話だ。(上記文章はその発表に合わせて、娘が敬体表現に書き直したものだが。)

 しかも最終章にて話題を現在の近隣国政治時事論評に終結した点は、(まさかサリバン母のアイデアとは露知らない??)担当教官より大絶賛されたとのことだった。


「アベノミクスがパスタ好きの私に及ぼす影響」

2019年09月22日 | 時事論評

  前置きですが。   本日は長文エッセイですが、必ずや全文を熟読されて後に、もしもこのエッセイがお気に召されたならば、「いいね!」等を頂戴出来ましたら幸甚です。       

 

 またまた、娘の大学時代のレポート課題文書紹介で恐縮だが。 

 これまたサリバン母の私が手伝った(というよりも私一人で仕上げた)レポートである。

 そう言えばアベシンゾーって既にこの頃から首相としてのさばり、偉そうに「アベノミクス」「アベノミクス」とうるさくホザいていたものだ。(今尚それをやっているようだが。)

 これを我が娘のレポート課題に利用しない手は無い! と企んで作成したのがこの文書である。

 早速、以下に掲載させていただこう。

 

  「国際理解論」  平成24年度レポート課題

 

副題:  「アベノミクス」がパスタ好きの私に及ぼす影響

 

目  次

 

Ⅰ  はじめに

 

Ⅱ  今回のレポート課題の目的及び方法

 

Ⅲ  本 論

○ 小麦及びスパゲッティの国内生産量及び国内自給率等の調査

    ○ 「アベノミクス」に関する基礎知識の確認及び今後の予想

    ○ 両者の結びつけ 及び 後者がパスタ好きの私に及ぼす今後の影響に関する検討

 

Ⅳ 結論 及び 考察

 

Ⅴ 参考文献・参考資料 

 

 

Ⅰ  はじめに 

 1年後期の「国際理解論」においては、毎時間グループ活動を中心に興味深い授業が展開した。

 開講直後の授業では「世界がもし100人の村だったら」の詩が配布され、グループ毎にクッキーとお茶が配られた。 私は貧富中間層の国に属したが、クッキーとお茶の量による各国間の貧富差がよく理解できた。

 「エビの履歴書」の授業においては、東南アジア等のエビ輸出国の女性労働者達が安価な賃金で働いていることを学んだ。 それに加えて、現地で輸出エビを養殖するに当たり防腐剤等添加物が大量に使用されるが、その添加物のために周囲の農耕地が汚染され使用不能となっている現状も分かった。

 世界の食の多様性の授業では、アフリカのマリが取り上げられた。 最近イスラム教過激派の襲撃により多くの死者を出した国内大手企業「日揮」の進出先であるアルジェリアにおいて、マリ現地の過激派がかかわっている報道が流れた。 そのマリの食卓を磯田先生の授業で見たばかりの私は、宗教がからむ闘争が世界各地で過激化している悲惨な現状を思い知らされる。

 「貿易ゲーム」の授業においては、世界各国の輸出入の偏りが理解できた。その中でも、各国の平和調停役を果しているはずの国連でさえも大きな偏りを抱えている現実が、磯田先生が演じて下さった「国連担当」の意地悪演技によりよく理解できた。 

 いろいろな事を学ばせていただいた「国際理解論」の授業である。

 その中で今回私が取り上げたいのは、昨年12月に政権交代したばかりの自民党安倍政権が掲げる「アベノミクス」と、私が好きなパスタとの関係である。 両者の関係を探るにあたって、「国際理解論」の中で取り上げられた「食糧自給率」及び「貿易・輸出入」がキーワードとなろう。

以下の章からはその関係を探る検討を重ね、最後に結論を導くこととする。 

 

Ⅱ  今回のレポート課題の目的及び方法

 私は小さい頃からパスタが好きだ。 元々好き嫌いが多く、また成長と共に好きな食べ物が変わりゆく中、パスタのみは幼少時から現在に至るまで一貫して好物である。 外食をする時など、ほとんどの場合イタリアン系のレストランでスパゲッティを食べたいとの発想が真っ先に出る。

 スパゲッティをはじめとするパスタは、その原材料が「小麦」である。 「小麦」の国内生産量、及び国内自給率は低い。 日本国内で食する小麦のほとんどは外国からの輸入に頼る現状である。

 まず本論において、日本国内の「小麦」及び「パスタ」の生産量、外国からの輸入量、及び国内自給率の詳細を調査し、その結果を明記する。 

 次に、自民党安倍政権が主張する「アベノミクス」とは何なのか。 そしてその経済政策が今後の海外との貿易・輸入に及ぼす影響を探る。 

 最後に上記両者の結びつけを行う。 安倍政権の「アベノミクス」政策により、今後私は大好きなパスタを国内で今まで通りの価格や美味しさで食べられるのか否か等、パスタ好きの私に及ぼす影響に関する検討を行う。 

 

Ⅲ  本 論

 

○      小麦及びスパゲッティの国内生産量及び国内自給率の調査

1、小麦の国内生産量、輸入量及び国内自給率

   国内生産量    746千トン

   輸入量     6480千トン

   国内自給率    11,1%

      (授業中に磯田先生が配布下さった「平成23年度食料需給表(概算値)」より引用、計算)

2、スパゲッティの国内生産量、輸入量及びその比率

   国内生産量   132.100トン

   輸入量     123.449トン

      国内生産量と輸入量の比率   52 対 48

  (ネット情報 日本パスタ協会作成「パスタの国内生産・輸入・輸出量等の推移(平成24年11月)」より平成23年度のデータを引用、計算) 

  上記データの通り、「小麦」の調査においては予想通り国内自給率が1割少しと低いことが判明した。 一方、スパゲッティに関しては予想に反して国内産のものが輸入量を上回っていることも分かった。 日本から海外へ少量ではあるがパスタ製品が輸出されている事実も判明したが、これは意外であり興味深い。

 いずれにしてもパスタの原材料である小麦自体の自給率は低く、私が普段食しているパスタは輸入小麦に大きく依存している結果となる。

 

○      「アベノミクス」に関する基礎知識の確認及び今後の予想

  1、「アベノミクス」とは何か?

  「アベノミクス」とは、現自民党安倍政権首相である安倍晋三氏が構想する経済政策のことであり、安倍+エコノミクス の造語である。

  国内における大胆な金融緩和、日本経済再生を目指した製造業の復活、日本の国際力増強のための産業海外流出の防止、法人税の引き下げ、レアアース等海洋資源の開発投資、などがその支柱として挙げられる。 

 (以上、ネット情報「はてなキーワード」より引用) 

 1月27日に召集された第183回通常国会の所信表明においても、安倍首相は「アベノミクス」による経済再生を前面に出す言及をした。

 この「アベノミクス」が安倍首相の理想通りに機能するのかどうかが、今後の政権続行の鍵となろう。 ところが、私が日々見聞している各種ニュースメディア情報によると、事はそう簡単には進展しないようでもある。 「アベノミクス」の言葉のみが先走りして現在それに対する期待感で株価が上昇し、ここのところ円安が急激に進んだことは事実であるが、これに実質的国内経済力が伴うのか否かに関しては、まだまだ今後の課題となるとのニュース情報でもある。

 ここでの結論としては、「アベノミクス」は今後の我が国の経済再生において、まだまだ不安定材料が多いと言えよう。 ただし1月28日時点での外国為替相場は、1ドル=90円を超過する円安状態を維持していることも事実だ。

 

○      両者の結びつけ 及び 後者がパスタ好きの私に及ぼす今後の影響に関する検討

 

自民党安倍政権による経済政策「アベノミクス」により、対ドル、対ユーロ外国為替相場は現在円安状態となっている。

  その場合、海外との貿易においてその取引額が必然的に変動する結果となる。 単純に考えると、国内自給率が低い「小麦」を今までと同じ量輸入する場合、今まで以上の莫大な円が投入されることとなろう。 と言うことは、私の好物であるパスタの値段が上がってしまうのだろうか?

  あるいは、パスタ製造国内企業においてその輸入損失を補填するために、品質を下げた商品を製造することも考えられる。 と言うことは、今後国内産パスタの味も落ちるのか?

 

Ⅳ  結論 及び 考察

 

 本日(1月30日)夜9時のNHKニュースによると、東京上野アメ横では輸入パスタの販売価格が既に20%程度上昇しているとのことである。 これなど、「アベノミクス」がもたらした円安情報を利用して、早速販売業者が身勝手に“便乗値上”した現象に他ならないであろう。

 欧米等諸外国からも、国内デフレ対策を主眼とした一時の短絡的経済政策とも言える「アベノミクス」に対する批判・敵対心が渦巻いているとの報道でもある。 世界規模で経済危機の状況下にあるが、実質的経済力の裏付けのない国力増強のための一国の身勝手な経済政策が、いつまで機能するのかに関しては不確実性が高いとしか言えないとの論評が大方ではなかろうか。 

 本論において検討したとおり、「アベノミクス」がもたらした急激な円安現象により、私の好物であるパスタは既に国内で値上がり傾向にあるようだ。

 そうだとはしても、市場の価格の上下動に単純に一喜一憂するのではなく、一消費者として、今後も「アベノミクス」ひいては社会の政治経済の動向を見つめつつ、賢い消費行動を取るべきであろう。

 それこそが、今後共に美味しいパスタを味わう一番の方策ではないかと私は結論付ける。 

 

Ⅴ  参考文献・参考資料 

 

○      「平成23年度食料需給表(概算値)」 磯田先生配布資料

○      「パスタの国内生産・輸入・輸出量等の推移(平成24年11月)」

                                    http:/www.pasta.or.jp

○      はてなキーワード 「アベノミクス」 http:/d.hatena.ne.jp/keyword

○      朝日新聞記事

〇  NHK 「ニュース7」 「ニュースウォッチ9」報道

 

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 以上、私が作成し、娘が大学へ提出した大学1年時の課題レポートを掲載させていただいた。

 

 この頃は、当該「原左都子エッセイ集」にても安倍政権の「アベノミクス」をバッシングしまくっていた頃であり、このレポートに取り掛かるに当たり何らの迷いも戸惑いも無かったものだ。 

 調査が必要な項目以外は、スラスラと書き上げた記憶がある。

 特に大学のレポートを手伝う場合に一番留意するべきは、科目が何であれ、娘が大学で如何なる授業を受けているのかを把握する事だ。

 そのために、私は娘に必ずや授業全てのノートをきちんととる事を指導した。 それがなければ、担当教官が一体どんな内容の授業を行っているか把握不能だからだ。

 我が娘の優れたところは、サリバン指導により既に小学校高学年位からこの“聞き取り書き”が得意だった事だ。

 今時、大学生にしてこの“聞き取り書き”が出来ない学生が多いと聞く。 我が二度めの大学文系学科にてもそれを経験しているが、どれ程の数の学生が試験前に私のところへやって来て「ノートを貸して欲しい」と嘆願したことか。 (参考だが、一度目の医学部にてはそのような経験は皆無だったのだが… )

 実に呆れる事態だが、どうやら高校までの黒板板書に慣れ切っているようだ。 そうだとしても、大学生になってからでも遅くないから“聞き取り書き”に取り組むべきなのに…

 

 本レポート課題の Ⅰ をご覧になって頂ければお分かりいただけるだろうが、この内容は娘の“聞き取り書き”ノートより転記してまとめたものである。

 これがなければ、当該「国際理解論」にて如何なる授業が成されたのかが把握不能であり、本レポート着手に際し掴みどころが無かったことだろう。

 

 そしていつものサリバンと娘の取り決めだが。

 必ずや全文の内容を理解して提出する事! とのサリバンの厳しい指導に従順に従い提出し、高得点を貰ったものと記憶している。

 

 P.S.

 長文エッセイですが、必ずや全文を熟読されて後に、もしもこのエッセイがお気に召されたならば、「いいね!」等を頂戴出来ますように。 

 「原左都子エッセイ集」への皆様よりの“本気の支持”の実態を探りたい思いもあります。

 どうかご協力を賜りたく存じます。      


どっちのケーキが美味しかったでしょ? (花ケーキ編)

2019年09月21日 | 旅行・グルメ

 (写真は、昨日亭主が買ってきてくれた「花ケーキ」。)

 

 我が亭主は、昔から外出すると娘と私にケーキを買ってきてくれる習慣がある。

 ここのところ、義母所有賃貸不動産の一部に移動がある関係で外出が増えている。

 昨日は、高齢者介護施設に暮らす義母にその中間報告のために出かけた。 そして、買ってきてくれたのが上記の「花ケーキ」だ。

 前回の「パンダケーキ」は、不動産物件現場へ行った時に買ってきてくれたものだ。

 

 この我が亭主の“良き習慣”は、結婚当初より続行している。

 まさか仕事帰りに毎日買って来るわけではないが、たとえば週末とか、何かのちょっとした祝い事がある際には必ずや買って帰ってくれる。

 

 この“良き習慣”のお手本となったのが、義母だ。

 義母の「ケーキ付訪問」は、物凄かった。

 時の流行のケーキ情報を得てはその店舗へいそいそと出向き、手に持ちきれない程の“盛沢山”のケーキを義父に持たせて、我が家を訪れてくれたものだ。

 少し年齢を重ねて後は、義母の自宅近くにあった「カド」と称するスイーツ店(この店舗をご存知の方は、かなりのスイーツ通と想像するが。)のケーキを買って義父に持たせて参上してくれた。

 

 やはり、子供とは親の背中をみて育つもの。

 亭主がその義母の行動を模倣するありがたさに恵まれた、我々母娘である。

 

 ただし、むしろこちらから提案するのは、「健康と美容と我が家の経済力を考慮した場合、義母が買ってきてくれたがごとくの立派なケーキでなくていいよ。 それから少なめにね。」といつも横やりを入れる私だ。

 そしてやはり義母譲りで、亭主のケーキセレクトのセンスが良いのは拍手ものだ。

 安価にして、このようなサプライズを届けてくれる我が亭主に感謝しつつ、

 それでは、いただきま~~~す!

 

 (と言ったところで、既に3人で完食済だが。) 

 


どっちのケーキが美味しかったでしょ? (パンダケーキ編)

2019年09月21日 | 旅行・グルメ

 (写真は、最近亭主が買ってきてくれた「パンダケーキ」。)

 

 食文化関連エッセイ「もの食う人々」に引き続き、実際に“食った”話題に移ろう。

 

 この「ケーキエッセイ」は、引き続き公開する「花ケーキ」との二部構成となります。

 何分、一記事に一枚の写真しか入れられないキャパ貧人間のため、ご容赦願います。

 先程、2枚の写真が一緒に写ったFacebook写真からの転写も試みたのですが、どうも編集画面が使いづらく、それすら失敗したため悪しからず。

 

 

 


「もの食う人々」

2019年09月20日 | その他オピニオン
 表題は、作家 辺見庸氏が1994年に出版した著書の題名である。


 本文に入る前に、しつこくも我が「いいね!」やり取りに関するポリシーを再掲載させていただこう。

 そもそも私は見知らぬ人達と “いいね!ポチポチごっこ”をして喜べる人間ではありません。 プロフィール欄にも「相互扶助目的の読者登録はご遠慮下さい。」と明記させていただいております。 我がエッセイ集をきちんとお読み頂く事こそが、私は一番嬉しいです。

 そのポリシーは強靭ですので、何卒ご理解いただけますように。


 さて、この表題の著書だが。
 娘の大学時代の課題として、本の論評が課せられたことがあった。
 
 その手伝い(というよりもサリバンの私一人でこの課題に取り組んだのだが…)をした文書が、やはりパソコン内娘の文書管理コーナーに保存されていた。

 つい先程この本を探したのだが、娘の部屋にも書棚にも見つからない。 おそらく論評課題をこなした後にすぐ廃棄処分したのだろう。


早速、その論評を以下に掲載させていただこう。

 今回読書課題に選んだ「もの食う人々」とは、元ジャーナリストである筆者が世界中の各国・地域を訪ね、それらの地の様々な食文化に直接触れた体験を綴った本である。

 第1章から読み進めていきながら、私の頭には中学生の時に家族と一緒に行ったエジプト・ギリシャ方面旅行の様子が真っ先によみがえった。 成田から搭乗したエジプト航空の機内では、アラブ人男性乗務員が「beef? chicken? or fish?」と尋ねつつ機内食を配りに来た。
 これから私が訪問するエジプトとは、豚肉厳禁等厳しい教義により統治されているイスラム教の国であることを実感させられた風景だった。
 現地カイロに着くと空港にはマクドナルドがあれば、宿泊ホテルの巨大ショッピングセンター内は、アラブ石油王国からの日本人よりもけた違いにリッチそうに見える観光客で溢れている。
 ところがその敷地内から一歩外に出ると、「もの食う人々」に登場するような貧民層で溢れかえっているのだ。 中には当時の私よりも年下と見える子ども達が観光客相手に物乞いに来たり、お土産品を売りつけるなどして働いている。
 エジプトでは観光客に対してはイスラム教の教えを強制されることはなかったのだが、慣れない食事に激しい下痢と発熱をして、次に訪れたギリシャのホテルで寝込んでしまった私である。 既に働いていたエジプト現地の子ども達と比べて、自分の軟弱さを思い知らされた旅行だった。

 同じく第1章で、マニラでは過去に「ジュゴン」を食べる習慣があった話を読んだ。
 これを読んで私の頭に浮かんだのは、日本の和歌山県太地町では今尚鯨イルカ漁が行われているとの話題である。 2010年に米国アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」でこれが取り上げられたがために、太地町は世界中の反捕鯨団体から一時非難を受ける事となった。
 その現地の痛手を受けてNHKが「クジラと生きる」と題するドキュメンタリー番組を放送し、これを見たことを思い出した。 私は鯨など食べた事のない世代であるし、それを食用に捕獲することが残酷な気もしていた。 だがNHKの番組を見て、太地町において今でも捕鯨・捕イルカ漁により生計を立てている漁民の思いが理解できそうな気もした。 現地で代々鯨漁を営む家族の中学生の娘さんが「牛や豚を殺して食べても誰もバッシングしないのに、何で鯨はダメなの?」と訴えていた切実な思いがとても印象的だった。 これが世界的に一般に認められている食材だったならば、太地町の漁も世界中からバッシングされずに済んで、この女子中学生も今後今まで通りの普通の生活ができたのだろう。

 マニラでは「ジュゴン」は美味しいからこそ過去に食べられたとの話だ。 私も食べ物は美味しい方が好きだが、今後世界標準での食文化のあり方を探究したい気もする。

 (以上、娘の大学時代の課題「もの食う人々」論評を掲載したもの。)


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 我が家が抱える事情をご存知ない方々からは、「何で親がいつもいつも娘の課題の手伝いをしてるんだ! 自分でやらせろ!」との非難を頂く事だろう。

 ところが我が家の場合、サリバンの支援なくして娘の人生が成り立たないとの事情がある。

 とにかく娘が抱える課題の優先順位を付け、重要度の高い課題から娘にこなさせない事には娘の人生が立ち行かないのだ。


 娘には、大学卒業必修課題である資格試験合格ゲットを最優先して励ませた。
 その甲斐があって、我が娘は「フードスペシャリスト」「フードコーディネーター」「食生活指導士」の資格試験は自力にて合格ゲットしての卒業が叶っている。

 本も読ませたいが、それを娘に強制したのでは4年間との年数制限内での卒業が叶わなかった事だろう。

 で、娘はそれらの資格を取得しておきながら…。

 自分の専門とはまったく異なる業種企業への就職のため大学卒業間際にその専門職種の資格を取得し、現在日々その業務に励んでいる。

 まあ、その資格一本で身を立てられる程のバリバリ専門性が高い強力な資格でも取得しない限り、そういうことになるのだろう…
 とは言え、我が娘としてはよく出来た結末でもある。