原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

家に引きこもる定年退職男

2015年03月18日 | 時事論評
 我が家にも民間企業を定年退職してほぼ3年が経過した身内がいる。

 その身内が定年退職した数日後の2012年4月7日、当「原左都子エッセイ集」にて 「定年退職の日は駆け足でやって来る」 と題するエッセイを綴り公開している。

 以下にその一部を要約して振り返ってみよう。
 娘の大学入学式の2日後に、我が身内が35歳時に中途入社した一部上場民間企業研究所の定年退職を迎えた。(参考のため、我が亭主は大学研究室にての博士研究員期間が長かったのだが。)   そもそも私が身内と知り合ったのは身内が当該企業に就職した数年後の事であり、入社当時の様子に関しては本人及び人づてに聞く話に於いてしか心得ていない。 しかも我が家の場合婚姻後まだ十数年の年月しか経過していない晩婚夫婦という事情もあるが、例えば40年も連れ添われたご夫婦のごとくご亭主の定年退職までの長き年月を“内助の功”の役割を果しつつ支えた、などとの美談には程遠いものもある。
 そんな私にとっては、身内の定年退職の日は実に“駆け足”でやって来たと表現するしかない。
 ついこの前結婚し、娘の“お抱え家庭教師”として日々君臨するうち、いよいよ娘が大学生となった暁に早くも身内が定年退職である。
 さて、その身内が定年退職の日に手に持ちきれない程のお祝い品の数々を携えて、夜遅く帰宅した。
 その中で一番大きい荷物だった「花束」をはじめ、自身の研究実績が綴られた業績集ファイルや、数多くの関連企業からの記念品や職場の皆様より賜った贈り物等々を自宅に持ち帰って来た。  そんな荷物と共に、中途採用で入社した企業に於ける勤務の日々がまんざらでもなかった様子で、いつもは口数が少ない身内が我々母娘相手に25年間の懐古と共に在籍中の自慢話を繰り広げるではないか。 
 この日この話を聞いてやるのが本日定年退職した家族の役割と心がけつつも、大学に入学したばかりの娘の明日のスケジュールを思いやり、娘を自室に行かせた。 その後も長引きそうな身内の在籍中の話を聞き流しながら、“なんで4月初旬との1年で一番多忙な時期に定年退職を向かえたの!”とイラつきつつ一時を過ごした私である。  
      (  中 略  )
 今の時代、還暦にして定年退職を迎える者の現実は厳しいものがあろう。
 (一部の特権公務員退職者達の“天下り”を除外すれば)、再就職を実行しようとて、高齢者には清掃や守衛等の単純作業しか待ち構えていない現実社会ではなかろうか? それでも労働を欲した退職者にとってはその世界も有意義であるとのことだろうか??
 片や、定年後の生活資金を「年金」にのみ頼って済む多少リッチな高齢者達の未来が芳しいとも到底思えない。
 多くの方々は趣味に生きようとでも欲しておられることであろう。 ところが、趣味とはあくまでも「趣味」にしか過ぎない。 これは誰しも“3日”で飽きよう。  では奥方と共に定年後の人生を楽しく過ごそうかとの甘い考えに至ろうと、奥方は皆多忙で亭主の相手などしていられない。 ならば年寄り連中で仲良くしようかと志そうが、今時の年寄りはその個性が多様性を帯びているため直ぐに喧嘩別れとなる存在同士であろう。 
 元々自由業を営んでいる人種はそれをさらに開拓可能であろうが、経済不況の今時、そんな自営力に恵まれた部類とはごく一部の層に限られていることも私は常々実感している。
 それでは定年退職後の人物とは、今後何を心の拠り所として生きていけばよいのだろう?
 40年現役で勤め上げようが、十数年で退職を迎えようが、すべての皆さんにとって定年退職後の厳しい現実は共通との結論に達するのかもしれない。
 少なくとも定年後の我が身の於き場所を他者に依存するのではなく、自分自身の能力と実力で自身の老後を開拓していくしかその先はないのではあるまいか? 
 そういう意味では老若男女を問わず、現役時代から周囲に依存しない「自立」した日々を歩むよう日頃より心がけているべきであろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)


 ここで話題を変えよう。
 
 定年退職した男に関して、妻の立場からその“鬱陶しさ”を指摘される分においては何も今に始まった事でない。 “粗大ゴミ”“濡れ落ち葉”など、今や格言の地位を築いていよう。
 ところが、これが実の娘から後ろ指を指されている事態だとしたなら、その定年退職男の行き場は何処にあるのだろうか??

 早速、朝日新聞2月28日“悩みのるつぼ”に取り上げられた 45歳女性からの相談を以下に紹介しよう。
 退職した父は元々社交的ではなかったが、家でひたすらテレビを見るだけ。 退職の際、同僚より「何かあったら仕事を頼む」と言われた言葉を信じ、それを社交辞令と認識出来ずに今も電話を設置してある居間を離れようとしない。 当然、何ヶ月たっても電話はかかって来ない。 それに対して家族から意見を言うのだが、「馬鹿な女どもだ!」と聞く耳を持たない。  父はアナログ主導人生を貫いて現世を渡ったにもかかわらず、「自分は技術者だ!」と言って譲らない。 自分が他者より優れていると思い込んでいる父には友人が一人もいない。 私も母も、もう限界だが、父の考え違いを止められる方策をお聞きしたい。
  (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より相談内容を要約引用。)

 一旦、原左都子の私論を述べよう。

 上記“悩みのるつぼ”の相談者女性とは、既に45歳にもなっているらしい。
 どうしてその年齢に達するまで、自分の父親の偏向に気付かなかったのだろうか??  父親定年退職前にその事実に気付いてさえいれば、父が偏った人物であるが故、母親が被った苦労を共存できたであろうに…
 そんな母親の苦労に気付かずして、45歳女性は父親定年退職後に父親が持つ“歪み”をやっと認識出来たようだ。
 
 原左都子から言いたいことがあるが、一体全体この45歳の娘さん、何故その年齢にして自宅にパラサイトし続けているのか?  それこそが元凶との結論ではなかろうか??
 親が嫌いなら45歳にもなっているのだから、とっとと家を出たらどうなのか。 貴方が自宅でパラサイト状態だからこそ、父親が定年退職後もうだうだと(貴女も含めた家族に対し)鬱陶しくも暴言を吐き続けているようにも考察するのだ。
 ここは45歳の貴方こそが、今すぐ自宅を出よう!
 定年退職者である父親氏は、実は貴方の存在こそが障壁となって不自由感を強いられている恐れもある。 貴女が独り立ちしさえすれば、父親氏は(貴方の母親である)妻との今後の関係を築き直す事が可能なような気もする。

 
 我が家では、身内定年退職後は夫婦間双方の「公的年金独立採算制」を原動力としている。
 人間とは人生最終章まで「ひとり」の人生を主体的に刻めてこそ、お互い自由にこの世を渡り合え、他者との「対等」な人生を心置きなく全う可能と私は心得ている。