原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ある事がきっかけで、現在“不運感”に苛まれる私…

2015年03月02日 | 自己実現
 今から遡る事ほぼ6年前の2009年4月19日、私は当該「原左都子エッセイ集」に於いて 「運と不運の分かれ道」 なる表題のエッセイを綴り公開している。

 そのエッセイ内でも記述しているが、我が人生、どちらかと言えば「運」に恵まれているとずっと自己評価してきたつもりだった。
 ところがそんな根拠無き自信など、ほんのちょっとした“事”をきっかけに脆くもガタガタと崩れ去ることを実感させられ、現在大打撃を受けている。


 それでは早速、つい一昨日の夜我が身に突如として降りかかった“事件”に関して読者の皆様にお聞き願う事としよう。 (この“事件”は特定の相手人物が存在する話題に付き、その相手人物のプライバシー及び個人情報に最大限配慮しつつ記させていただく。)

 一昨日の土曜日の夜、私は娘と共にリビングでテレビ(ニュース番組)を見ていた。 と言うよりも、私の方は家事をこなしつつ垣間見ていたと言った方が正確だが。
 ニュースの某場面で、娘が「○○大学(私の郷里の出身大学)の人が出てるよ。」と教えてくれるので、テレビ画面を見た。 医学分野トピックスニュースの中でその人物がインタビューに応えている場面だった。
 最初は(まあそういう事もあるだろう)程度に軽く画面を見たのだが、人物名とその所属肩書テロップを見た途端私は仰天した!

 「えーーー!!、この人、知ってる!!!」 

 その私の驚きようが尋常でなかったことに自分でも直ぐ気付いたのだが、案の定、娘も(一体どんな知り合いなんだ?!?)と言わんばかりに私の顔を見る。
 (想像力豊かな方は既にお気付きかもしれないが)、この人物を“知ってる”どころか、私は遠き過去に於いて郷里での学生時代にこの人物と“お付き合い”をした事があるのだ。
 ただそれ以降40年程の年月が流れその間まったく音信不通状態のため、私の記憶に誤りがあるかもしれないと思い、テレビを見た直後にネット情報にて当該人物のプロフィール等を確認した。
 そうしたところ我が記憶に間違いはなく、当該人物の年齢、経歴、そして写真等々すべてが記憶と一致した。

 まあここまでの話ならば特段珍しい事でもなく、誰しもご経験がおありだろう。
 別件だが、近い過去にも私は朝日新聞記事にて似たような経験をしている。
 数年前の朝日新聞「私の視点」に写真付きで取り上げられていた某大学教授氏も、過去(我が30歳前半頃)に於いてお付き合いをした時期があった。 ただこの事例の場合さほどのインパクトが無かったのは、交際したとは言えども私の方にその気(要するに“恋愛感情”)がなかった故だ。 自然消滅のごとく、この男性との交友関係は消え失せている。


 片や、上記一昨日のテレビニュースに登場した某氏に対しては、私は嘘偽り無く恋愛感情を抱いていた。ところが自然消滅で終わってしまっている。 だからこそ後ろ髪を引かれるのだ…

 今現在のこの時を自信を持って生き抜いているつもりのこの私が、あの時に戻ってもう一度あの恋愛をやり直したいと、一昨日の夜から一時の熱病のごとく悔やみ抜いている。 ネットで当該男性の写真(特に少し若い頃のお写真)を検索拝見しては、あの頃の記憶が鮮明に我が脳裏に蘇り、居ても立ってもいられない思いを募られる。

 ここで(読者の皆様にとっては聞くに忍びないくだらない私事であることは承知の上で)、その当時の我が恋愛事情を語らせて頂く事としよう。

 (上記テレビニュースインタビューに応えた男性を仮にA氏と名付けるが)A氏と私との恋愛関係は、そもそも私側に決定的な落ち度を抱えての関係だった。
 と言うのも、私はそれ以前より付き合っている彼氏(B氏と名付けよう)が学内に存在した。(B氏も某大学医学部生だったという事だが)。 ところが私が大学の夏季休暇中に1ヶ月間米国に語学留学した後から、B氏との関係がギクシャクし始めた。 若き世代の男女にとって1ヶ月のブランクとは大きい、などと後で思えば当然の成り行きだったのかもしれないが、とにかくB氏との関係も別れが近いとの予感があった頃、私は大学の女友達と秋の大学祭へ出かけた。

 そこで知り合ったのが、A氏である。 私は真面目で誠実そうなA氏に惹かれた。 ただ、私には現にB氏との彼氏がいる。 別れが近いとは思いつつ未だズルズルと付き合っている彼氏がいる事には間違いなかった。 それをA氏には言えないまま、A氏の誘いに乗った。(と言ったところで、当時の田舎の国立大学生など皆真面目だから単にデートをしたとの意味合いだよ。)
 A氏と3度程デートをした頃、自責の念に駆られていた私は元彼であるB氏にその事実を正直に話した。 そうしたところ、「○子(私の事)がA氏が好きならばA氏と付き合えばいい」とのB氏の回答だった。 ただそれ程恋愛関係とは甘くはない。 後で噂に聞いた話だが、A氏の一年先輩だったB氏がA氏に対し、「人の女に手だしするな!」と学内で直接迫ったのだと言う… (あくまでも噂に過ぎないし、我が記憶もあやふやだが。)
 その後、A氏、B氏共々我が恋愛関係は自然消滅の運命を辿った。 どちらからも連絡の無いまま自己責任を痛感させられ、こちらからも当然の礼儀ながらご両人に一切の連絡を控えるべきと承知しつつ季節が巡り、私は当該大学を卒業してその後上京した。


 上記の我が学生時代の複雑な恋愛関係を、今一度考察してみよう。

 上記B氏に関しては、A氏と知り合った後A氏と付き合いたい意向を私からB氏に表明している。この意思表明行為により私のB氏に対する“みそぎ”は済んだとの認識がある。
 ところがことA氏に関しては、私側から「好きです」とは一度も言えないまま、B氏よりの外部圧力(?)により関係が終焉してしまったとの印象があるのだ。
 要するにA氏との関係に於いては、どちらからも「別れ」を宣言しない状態で恋愛関係が自然消滅したとの私側の認識のまま、時が経過したとの事だ。 


 何を持って、現在私が“不運感”を抱くのか?
 それは上記A氏との関係に於いて、双方が「別れ」を告げた訳でもないのに二人の関係が消滅している点に於いてだ。
 いや、もちろん私とて今回のニュース報道に触れさえしなけば当の昔に忘れ去っていたA氏の存在だ。
 ところが、テレビ情報がA氏の存在を我が脳裏に呼び起こしてしまった。 何が不運とて、A氏との別れ方こそが私にとって最大不運だったと結論付ける。 別れた理由が分からない「別れ」程辛いものはないとの事ではなかろうか??

 そこで、私はA氏の連絡先までもネット上で調べ上げた。 
 今回のA氏所属学会発表の医学トピックスに関する私論も交え、私からA氏に連絡を取るとの手段はどうだろう?
 えっ? 多忙なA氏は当の昔に私の事など忘れ去っているって? それこそ本望かもしれない。そうだとすればすぐさま私側もA氏を忘れ去れることだろう。 
 何だかそうとも思えてくるなあ~。(と、とりあえず強がる事で自分の心情整理をしておこう。)

 もういいや、こんな事で「不運」感を抱いていないで、後々の我が強運を信じ、引き続き自分の時代を築き上げてこそA氏と今後対等な立場で渡り合えるのかなあ、などと思えたりもする…