原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

我が娘の「子育て相談・指導」、後で思えば必要無かったと私も思う

2022年09月27日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、本日朝ネット上にて見つけた漫画を転載したもの。)


 
 我が娘が高齢母(私の事だが)超難産の緊急帝王切開手術にてこの世に“仮死状態”にて誕生せざるを得なかった事実に関しては、本エッセイ集にて幾度か公開している。

 娘が2歳頃になり未だまとまった発語が無いため、子ども病院の専門科を訪れ諸検査及び診察を受けたところ、「明らかな発達の遅れ」がある、との医師の診断により。
 その直後期から、専門の相談機関にて娘の相談や指導を開始した。


         
 
                                      
 今朝ネット上にて見つけたこの漫画を見て、私の脳裏に当時の我が家の様子を思い出した。
 まさに我が家もこんな風景で、亭主が同じ様な発言をしたものだ。

 亭主曰く、「〇〇(娘の名前)は十分にいい子で、このままの生活を続けて大丈夫だと思うけど。 ▲子(私の事)がそう(相談・指導)した方が良いと思ならば、すればよい。」

 私側は既に強い意思の下に娘を専門相談・指導機関へ連れて行こうと決意していたため、亭主が何を言おうが当時は我関せずだったものだ。


 そして娘が幼稚園3年保育に入園(相談指導者がそれを薦めたとの理由で)することを決定した時に、未だオムツが取れないのに困惑した私は。
 まさにこの漫画同様に、トイレトレーニングを必死で開始した。

          

 我が娘が幼少の頃は、この漫画のような幼児用の可愛い便座など販売していなかったため。 
 亭主と2人で考えて普通の洋式おまるを室内に設置して、そこで娘のトイレトレーニングを開始したのだが…
 これが全然ダメどころか娘の恐怖心を更に煽ってしまったようで、結局役に立たず。 
 私の考えとしてはこんな状態で無理して幼稚園になど入れずとて、家で私が娘の面倒を見たい、と思ったものの。
 やはり専門指導者が、「こんな子ほど、早い時期から集団教育を受けさせた方がいい」と譲らないため、重い気持ちを引きずったままに娘をオムツのままで幼稚園へ入園させた。
 

          

 この漫画の男児は、随分と元気で賑やかなお子さんのようだが。

 我が娘に関しても、私と2人で過ごす時には十分に明るい子だったものの。
 いざ幼稚園へ行く段になると急激に寡黙になり、そのままの状態で4,5時間を幼稚園で過ごしたようだ。
 その後、小中校と進学しても、娘の集団内の寡黙さは解消されることはなかった。


 娘が大学生になった頃に、私が娘に尋ねたことがある。
 「貴方は幼稚園時代に、随分と大人しく母の私に言われるがままに毎日真面目に幼稚園通いをしたけど。 あの時、どんな心境でそうしたの?」

 娘が応えて曰く、「正直言って全然覚えていないと言うのか。とにかくお母さんが毎日幼稚園まで連れて行ってくれて、迎えに来てくれるので、そうした。 何のために幼稚園へ行くのかどうかなど何ら考えたこともなく、ただ単に、お母さんがそうしてくれるからそうした。」


 この娘の回答を聞いて、正直言って私は安堵した。
 もしも、あの頃の辛い記憶が娘の脳裏に残骸として残っているとすれば、その罪を犯した張本人である母の私は、時既に遅しと思えども娘に謝罪するつもりでいた。

 
 それにしても私が思うのは。

 3歳児にてオムツが未だ取れていない子を幼稚園へ通わせる必要があるのか?? という事だ。
 やはり上記漫画の如く、トイレトレーニングは自宅にて完成させた後に集団生活をさせてやりたかったものである。


 後日談だが、娘が小学校へ入学してまもない時期に。
 未だ学校のトイレを怖がっていたと思しき我が娘が、午後2時頃に我が家の集合住宅に帰り着いた時。 集合住宅のエレベーター内で「おもらし」をしたとの事件があった。

 これに驚いた私が娘に尋ねたところ。
 娘から返ってきた応えとは、「学校のトイレは人が多く出入りしていて怖くて行けない。 今までずっと帰りまでトイレを我慢して学校で過ごした。」

 そんなことを露知らなかった私は、その事実をすぐさま信頼できる担任先生に伝えた。
 直ぐに対応して下さって、ありがたくも娘は小学校のトイレへ行けるようになった。


 たかがトイレ、されどトイレ。 である。

 この娘の公立小学校1年時の担任先生には、今尚御礼申し上げたい思いだ。
 (その後ずっと毎年年賀状にて御礼申し上げ続けていたのたが、残念ながら現在はご本人が体調を崩されているご様子です…)

 
 それにしても私はやはり、娘幼少時の「子育て相談・指導」は必要無かったと結論付けたい。