原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

東京駅前「丸ビル」が建て替えられて早くも20年になるらしい

2022年09月13日 | 雑記
 (冒頭写真は、先程ネット上で見つけた「旧丸ビル1階フロアー」の写真。)


 最近の朝日新聞内で、「東京駅直結丸ビル 建て替え20年」と題する記事に触れて。

 私が一番に思い出したのが、我が過去にこの旧丸ビルにてアルバイトをしていた貴重な歴史である。

 そんな私にして、冒頭写真はとても懐かしい。
 私が丸ビルに通っていた頃には、この本屋さんは「丸善」に代わっていたが。 まさに旧丸ビルの建物内の風情はこの通りであり、東京駅直結にして人が少なく石造りのドッシリとした空間を私は好んでいた。



 この我が4年間に及ぶアルバイトの記録を、当「原左都子エッセイ集」開設後まもない時期に綴り公開している。

 2008.01.12公開 「丸ノ内でのお仕事」と題するバックナンバーを、以下に要約再掲載させていただこう。

 東京駅丸の内口駅前のビジネス街のビル群の中で最も駅近なのは丸ビルである。 この丸ビル、2002年に建て替えられた後はビジネスビルとしてのみではなく、次年建て替えられた隣の新丸ビルと共に、東京駅前最大の観光スポットとしてその名を轟かせている。
 建て替えられて新しくなった丸ビルではなく、建替えのために壊されてしまった歴史的建造物時代の旧丸ビルに私は4年間勤めたことがある。
 通常、丸の内に勤務と言うとOLをイメージするであろうが、私の場合丸ビルでOLをしていた訳ではない。(私の職歴は多岐に渡るが、OL経験はただの一度も無い。)
 旧丸ビルの存在は有名だが、その丸ビルの最上階にレストランラウンジがあったことは一般に知られていないであろう。 私は、このラウンジで夜ラウンジコンパニオンのアルバイトを4年間続けたのである。

 私は30歳を過ぎて再び学生になり、修士取得までの6年間学業に励んだことについては、当ブログのバックナンバー「パーコン」で既に述べている。
 繰り返すが私は30歳を過ぎた頃、自らの意思でそれまで勤務した医学関係の民間企業を退職し再び学生になった。 大学院修了までの6年間独り身で学業に励んだ訳だが、自力で生計を立てつつ学業に没頭するためには手っ取り早く稼げる仕事を選択するのが一番の方策だった。 医学関係民間企業勤務中に単独で購入した分譲マンションの住宅ローンも、まだ未返済の時期だった。
 大学の長期休暇中にはそれまでの専門の医学分野人材派遣で集中的に稼ぎ、普段の土日祝日にはパーティコンパニオンやワープロのデモンストレーター等単発の仕事で収入を得、土日夜には家庭教師をし、そして平日夜には旧丸ビルのラウンジでラウンジコンパニオンをしていたという訳である。
 パーコン(パーティコンパニオン)同様、当時は既にラウンジコンパニオンのアルバイトは私立女子大生の間ではそう珍しいことでもなかった。 片や、国公立大学女子学生のアルバイトコンパニオンはやはりまだ希少な存在だった。 したたかな私はそこを狙ったのも事実である。
 この丸ビルの最上階のラウンジは客層が丸ビル及び周辺ビルに勤務する会社帰りのサラリーマンの常連固定客ばかり。(三菱ブループ企業のエリートサラリーマンがほとんどだった。) 当時はまだ個人情報をオープンにして自己アピールをすることが一般的な時代背景で、客からのよくある質問が「アルバイトでしょ、どこの大学?」だ。 国公立の学生であることを告げると一目置いてくれるというのか、とにかく客の受けがいい。
 断っておくが、ラウンジコンパニオンは着席はしない。あくまで立って歩きながら水割りを作ったり等のサービスなのだが、客と二言三言程度の会話はする。「もし良かったら連絡して。」などと言って、名刺を手渡される事は日常茶飯事だ。 また、閉店時間が早く仕事の終了時間も20時30分(わずか2時間の仕事)と早い時間帯なのだが、「下で待ってるから。」といって私の仕事終了を待っていてくれて飲みに連れて行ってくれる客もいたりする。(常連客ばかりだから安心。もちろん相手は選ぶよ。) とにかく時給はいいし3倍美味しい仕事だった。 人脈作りにはもってこいで、この仕事のお陰でよき相談相手や飲み友達に恵まれたものだ。 この仕事を辞めた後も長年お世話になった方々も何人かいる。
 ときどきチップをいただけることもある。 お断りするのだが、まさかそれで引っ込める客はいない。 そこで、そっと受け取る。 ロングドレスを着ているためポケットがない。このチップをどこに収めるかと言うと、先輩コンパニオンに教わったのだが、胸とブラジャーの隙間にすばやく挟み込むとのアドバイスだ。
 などと書くと不謹慎極まりない!とお怒りの方もいらっしゃるであろうが、その仕事内容は至って厳しい。 とにかく客商売は忍耐力が勝負だ。 コンパニオンの仕事には、“華”“気品”そして“おもてなしの心”が要求される。どんなに疲れていようが顔を塗りたくり、颯爽と姿勢を正し笑顔でいなくてはならない。 片や客はお酒も入っているし、対応に苦慮した経験も数多い。 それでも、お客様は神様である。失礼は許されない。

 私にとってこの客商売経験(パーコン、その他も含めて)は自己の人格形成に大いに役立ち、人間の幅がさらに広がったと自負している。 故に、こうやってあえてブログで公開した。
 私はこのラウンジコンパニオンを3月まで経験した直後の4月から、高校教師として某公立高校へ赴任した。 生徒指導上、この客商売経験がプラスに作用したことはいうまでもない。 
 今後の教員研修の中に客商売を盛り込み、教員を鍛えなおした方が良いのではないかと私は真剣に考えている程だ。

 様々な職業を真面目に経験することにより、人間は自分の幅を広げていくことができる。
 それを短期間であるとはいえ自分自身の人生で実証してきた私が訴えるが。
 どうか世間の皆さん、少なくともご自身の狭い見識で職業差別をすることはもう終わりにしませんか。

 (以上、本エッセイ集初期頃のエッセイより再掲載したもの。) 




 「原左都子エッセイ集」初期頃からの読者の皆様は、おそらくご記憶のエッセイであろう。
 それらの方々の中に、我が当該職業経験をバッシングした方など誰一人として存在しない。

 実際私は当該旧丸ビルにて、4年間ではあったが実に良き経験を積ませて頂いたものだ。

 その後、建て替わった丸ビルとは何らの縁が無い現在だが。
 
 ウィークデーの夜早い時間帯に4年間通い続けたあの「旧丸ビル」の威厳ある風情を、私は一生忘れることはない。