(冒頭写真は、観音寺のマチ子さん撮影・郷里の観音寺近くのレンコン畑に咲く「蓮の花」。お送り下さったプリントアウトの写真を再撮影したため、多少不明瞭になってしまったのが残念です。)
マチ子さんには写真撮影や絵画を描く趣味があり、それを時間があれば楽しんでおられる様子だ。
これら蓮の花の写真は、おそらく私が帰京した後に撮影してお送り下さったのだろう。
先だっての郷里訪問の際に、「朝方写すと美しく撮れる」とおっしゃっていたので、その時間帯に撮影されたものである事には間違いない。
そして、お手紙。(不鮮明処理をしています。)
筆まめなマチ子さんのご様子だが、いつもお手紙では美しい直筆にて2枚の便箋にしたためて下さっている。
マチ子さんからの私の呼び名は「原先生」。
この「先生」敬称の意味合いは、決して高校教師の方ではない。(我が教員経験に関しては、未ださほどマチ子さんへはお話していないかもしれない。)
マチ子さんとは医学部時代の故恩師を通してのお付き合い関係のため、恩師より聞かれた我が医学関連業績を称えてこのようにお呼びいただけるものと推測している。
それにしても、「先生などと呼ばれるほどの立場の者ではありませんから、どうか“さん”付けでお願いします。」といつも訴えるのだが。
どうしてもマチ子さんが、「いえいえ、〇〇(故恩師)から生前に先生の事はよく伺っています。 素晴らしく優秀な医学生・医学関係者であられたと…」
とのことで、「先生」呼称は今後も続行しそうだ…
しかも、手紙の文面には、「素晴らしい人生を積み重ねておられる原先生…」との私に対する表現。
マチ子さんという方は、どなたに対してもこのような“神対応”が可能な優れた人材であろうことは想像がつく。
そりゃそうだろう。
お寺の住職(現在マチ子さんのご長男が観音寺のご住職をされているが、普段は別の場所で暮らしていて観音寺へは“通い”で来られているらしい。)の母上として。
普段から観音寺を支えつつ檀家の皆様のお相手をされている方にして、このような“神対応”はお手のものであろう事は重々想像が付く。
こちらは、今回の観音寺訪問時にマチ子さんが本堂にて撮影して下さった私の写真。
この写真を撮影する前にマチ子さんが、「マスクは外されませんか?」と問うて下さったのだが。
とにかくコロナ変異株感染拡大時期であったし、「このままで結構です」と応えて映して下さったものだ。
(意外とこの派手なコーディネートでも、お寺の本堂前にての写真としてイケてるかな、と安堵した次第だ…)😁 😷
参考だが、マチ子さんがいつも留守を守る観音寺では、「おみくじ」が設置されていれば、檀家の子供さん向けの可愛いお人形小物のようなプレゼントも置かれていて、至れり尽くせりだ。
マチ子さん、御多忙中お手紙とお写真を頂きまして、誠にありがとうございました。
近日中に、必ずお手紙にてご返答致しますし。
コロナオミクロン変異株の全国規模での大感染がひと段落した暁には、必ずや郷里の観音寺へ伺いたく存じております。
近い未来のマチ子さんとの再会を、心より楽しみに致しております。