(冒頭写真は、徳島城博物館の建物をネットより引用したもの。 何分、当日はドシャ降りの大雨で屋外での撮影が一切叶わず残念だった。)
さてさて。
今回の旅程の1日目午後は、観音寺のマチ子さんとの再会を有意義に果たし。
本来2日目は、郷里の高齢者自立支援施設に暮らす実母の元を訪れる予定だったが。 あいにくオミクロン株「BA5」急拡大中につき、高齢者施設内への外部者立ち入り全面禁止措置が採られ、訪問を諦めた。
その代替策として、何処へ行こうかと考えて思いついたのがこれだ。
この徳島城博物館は、我が今回の駅ビル宿泊ホテルから徒歩圏内で行ける場所にある。
しかもこの辺は汽車通学だった我が高校時代に日々通ったルートであり、懐かしくもある。
この博物館は開館して30年程らしいのだが、私が高校へ通っていた頃にはもちろんまだ存在しなかった。
それでもこの徳島城跡近辺の土地は高校時代からなじみがあるため、この博物館を見学することとした。
あいにくこの日は、土砂降りの大雨だった。
こんなに降るか!😭 、と鬱陶しく思いつつ博物館へ到着すると、はやり入場者がほとんどいなさそうだ。
まあ空いてていいさ、程度に捉え一人で館内を回った。
徳島城の全体模型があれば、徳島藩や藩主蜂須賀家に関する資料や数多くの美術品が展示されていた。
この日は、「夏の企画展 蜂須賀家の名宝Ⅰ 徳島藩ゆかりの美術工芸」と題する特別企画展も開催されていた。
そのような展示の中、今回私が一番面白かったのはこの「千山丸」の展示場でのことだ。
この千山丸は国指定重要文化財であるが、これに関するネット情報を以下に引用しよう。
| 徳島藩御召鯨船千山丸 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(以上、千山丸に関するネット情報を引用したもの。)
この千山丸のコーナーは、博物館見学ルートの最後に位置するのだが。
私がこの千山丸をよく分からないままに眺めていると、そこへ博物館の(おそらく)ボランティア男性説明員が私の近くへやってきた。
そして上記引用文記載の事実等を、私に一生懸命告げてくれる。
何分、聞き上手の私だ。😁
「へえ、そうなんですね!」「あら、面白いですね」などとテキトーに相槌を打っていた時に、説明員がおっしゃる。(以下に、かなり不正確だがその内容を引用しよう。)
「外様大名は上位の国家の大名から邪険に扱われて、いつも苦労していたようです。 例えば、大嵐の時でも大海を船で渡って参勤交代に行かされたりして、多くの家来が遭難したり……」
それを聞いた私がついつい反応して、「まるでプーチンにウクライナがやられているようですね。」
説明員がすぐさま応じて、「プーチンはもうすぐ暗殺されますよ。」😱
(おーーー、大胆なご返答!! 面白い説明員だなあ。)
この会話がしばらく続いただろうか。
とにかく実に正直と言うのか気持ちが晴れるように直言される説明員に出会え、楽しい一時だった。
船の隣が出口で、そこで説明員氏が「ありがとうございました。」とおっしゃるので、「こちらこそ、ありがとうございました。」と心よりお礼を言った。
大雨の中の博物館訪問だったが、行った甲斐があったというものだ。