原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「日本的ナルシシズム」と殺害された安倍元首相の罪

2022年07月31日 | 時事論評
 私もかなり“しつこい”人間であることを認めるが。


 本日も、先だって殺害され9月終盤に国葬が予定されている故・安倍晋三氏に関するネット情報を引用し、その論評をしよう。

 
 それでは早速、先程見つけたネット情報の一部を、以下に要約引用しよう。

 「日本的ナルシシズム」は、周囲に巻き込まれ、自ら主体性を発揮しようとしないことを美化・理想化する病理的な精神性である。それには、権威や空気が強制する内容に抵抗する力が、極めて弱い。「日本的ナルシシズム」を克服することには、政治的・経済的なメリットもあるのだが、その一義的な価値は倫理的な面にある。つまりこの小文が行っているのは、心理的・倫理的な考察である。
  (途中、大幅略)

  安倍元首相の罪
 功罪の「罪」の面についてはどうだろうか。
殺害されるに至った経緯が明らかになりつつあるなかで、改めて感じるのは、元首相が「統一教会と、それに象徴される精神性に深く巻き込まれていたこと」の罪とその悪影響の大きさである。日本から統一教会への献金額は極めて大きかったという。
 日本に対して明白に攻撃的な意図を持つ団体の活動に関与してしまったことを、肯定的に受け取る訳にはいかない。多額の献金によって家庭が破壊されたことが、事件の犯人の凶行が生じる遠因となったと伝えられている。
 金銭面での損失以上に深刻なのが、統一教会の奉じる精神性、集団や組織の統治法(ガバナンスのあり方)の影響力を強めてしまったことだ。
 統一教会と縁の深い勝共連合は、「共産主義の脅威から社会を守る」ことを目的・スローガンとして1968年に設立された団体だという。
 ここから私が思い出したのは、1937年の日本で、天皇機関説が排撃された後に成立した『国体の本義』である。こちらの成立過程でも、「共産主義の脅威に対抗する」という目的が唱えられていた。これらの攻撃対象が、特定の政治団体に限定されているのならば、共産党にはひどい話なのだが、その被害は少なかったといえるだろう。
 しかし、理論的なものや学術活動・健全な批判精神等の人間の高次の精神活動に必須な要素の多くが、「政府・社会を棄損する目的のある特定の政治団体の活動」と結びつけられ、「非道徳的である」と攻撃されるようになったのが、歴史の展開だった。
 このガバナンスのあり方は強力で、やがて国民や信徒が自分の政府や宗教組織に疑問を持つ発言をしただけで、高位の者が直接手を下さなくとも、他の国民・信徒が「非道徳的だ」と自発的に懲罰を与えるようになる。レッテルが貼られた人に攻撃的に接することは集団内で許容されている。それどころかそうすることが功徳であると、皆が考えるようになる。
 それが進むと、そもそも集団のあり方に疑問を呈することを考えなくようになるという段階に、自発的な隷従が進んでしまう。そうなると、政府や宗教団体で権威ある地位を占める人々の発言や行動の妥当性が批判・検証されることは不可能となり、やがて大きな判断の間違いが事前に十分に検証されないまま実施され、失敗が明らかになっても正されなくなる。
 為政者の質の劣化は避けられない。問題の解決策を示さなくとも、問題の周辺にいる人々の言動を「神の教えに逆らう」「共産党的だ」「非国民だ」「日本の国体にそぐわない」と指摘して問題をすり替えることで、その場を乗り切れるようになってしまうからだ(当然だが、国民の側も問題にしっかりとコミットせずに「政府が悪い」と言うだけでは、正反対のことをしているようで結局は同じレベルのいがみ合いに終始することなってしまう。原発事故後の多くの議論が10年間そうだった。この一部の批判だけする国民の問題は、本ブログの前半とつながっている話題である)。
 「天皇機関説」という形で、最高の権威である天皇も学問的・機能的な評価の対象であると考えていた昭和初期までの日本人の政治意識の方が、この面では健全だったと言えるのではないだろうか。
 このような組織や社会・国家における望ましくないガバナンスのあり方が強化されることに安倍元首相が加担してしまったのは、非常に遺憾である。日本的ナルシシズムを克服することが倫理的と考える立場からは、そのような政治活動のあり方には非常に問題が大きかったと判断せざるを得ない。したがって、安倍元首相の貢献を認めるものの、私は国葬に反対である。

 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)



 私見に入る前に。

 今回の安倍氏殺害事件に於ける「統一教会」との関連だが。
 事の真相が明らかになるにつれ、安倍氏と「統一教会」の癒着が明らかになってくるのに私は恐ろしさを感じている。

 例えば上記引用文中にも、次の記載がある。
 < 元首相が「統一教会と、それに象徴される精神性に深く巻き込まれていたこと」の罪とその悪影響の大きさである。日本から統一教会への献金額は極めて大きかったという。>
 これが真実であるならば、生前安倍氏は国民の血税の多額を「統一教会」へ献金として横流ししていたこととなる。 許し難き行為だ。

 < 組織や社会・国家における望ましくないガバナンスのあり方が強化されることに安倍元首相が加担してしまったのは、非常に遺憾 >との表現もある。
 森加計・さくら問題等々では、それにかかわらざるを得なかった国家職員の自殺者まで出し、それでもなお嘘をつき、しらを切り通した安倍氏にはそもそも “人格的欠落” があると捉えていた私だが。
 その事実と上記記述内容が重なり、私としても非常に遺憾である。 

 
 以前より何度も訴えているが。

 私は、安倍氏の「国葬」は絶対的に反対である!!

 そろそろ、これに関する岸田首相の「弁明演説」を臨時国会にて聴けるのであろうか?

 岸田氏が何と弁明するのか、早く聴きたい思いだ。