原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

40歳にして未だ青臭いキヨタくん、女をナメんなよ。

2020年10月13日 | 恋愛・男女関係
 (冒頭写真は、朝日新聞2020.10.08付 夕刊記事より転載したキヨタくん。自称?? 文筆業 清田隆之氏。)


 何故キヨタくんの親くらいの年代である原左都子が、キヨタくん(清田隆之氏)を存じているかと言うと。
 1年程前より、朝日新聞“悩みのるつぼ”の回答者を氏が担当している故だ。


 ここで、ネット情報より清田隆之氏に関するプロフィールを引用しておこう。
 
 1980年東京都生まれ。文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1000人以上の悩み相談に耳を傾け、それをコラムやラジオで紹介している。恋愛とジェンダーの問題を中心に執筆活動を行っている。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 そのキヨタくんに関する記事が、朝日新聞2020.10.08付夕刊に掲載されていた。 以下に一部を引用しよう。

 「俺たち」から「私」という個人への脱皮を目指そうと恋愛とジェンダーをテーマにしてきた某冊子を読んで、「俺」という一人称について考えてしまった。
 「僕も仲間内では『俺』という。『私』は原稿だけ。使えるようになったのは最近だが」
 相手との関係性によって一人称を使い分けるのは、男ならよくあること。 本ではひたすら正直に自分のことを綴った。 高校時代、初めての彼女との交換日記の一人称は「俺」で、相手を「お前」と呼んでいた。
 自分にとって最大の失恋は、30歳のときに、5年付き合った彼女から愛想を尽かされた経験だという。
 彼女とは高校時代に知り合い、長い片思いの期間を経て、ようやく恋人と呼べる関係になった。 
 30歳が近づくと、彼女が結婚を意識しているのだろうなと感じることが増えた。 自分だってこれが最後の恋愛、結婚するなら彼女と決めていた。
 月1万円の貯金を始め、ライターの仕事をがむしゃらにこなす一方、会える時間をもっと増やそうと努力した。 体力作りに励みながら、飯のためだけじゃない仕事も模索した。「頑張っている俺」に酔っていた。
 そんな時に彼女に言われたのが、この言葉だった。
 「キヨタ、全部は無理なんだよ」 ただ呆然とした。
 今なら分かる。 実家から堅実な生き方を迫られ、出産のタイムリミットも考えざるを得なかっただろう彼女は、結婚の現実に向き合おうとしなかった自分に絶望していたと。「女性を縛る環境について当時は想像できなかった。」
 女性からの相談に乗る活動を大学時代から続けていた。 彼女らを悩ませる男性の理不尽な振る舞いの数々が自分にはねかえってくるようになり、独学でフェミニズムにたどり着く。 

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)


 
 私事及び私見に入ろう。

 最初に、清田隆之氏著書のただの一冊も読んでいない身にしての私見展開をお詫びしておくべきだろう。

 長~~~い独身時代を仕事と学業・恋愛三昧で満喫した末に、40近くにて計画的見合い晩婚を果たした原左都子にとって、上記のキヨタくんの記述が分かりにくい。
 結婚直前に彼女に吐き捨てられたとの、彼女からの「キヨタ、全部は無理なんだよ」との台詞も私にとっては意味不明だ。

 ホントにその彼女が実家から堅実な生き方を迫られ、出産のタイムリミットを考えざるを得ない状況下にあったのだろうか?
 利口な女(語弊ある表現だし、この原左都子がそれに該当するとも言わないが)、ならば、そんなもの自己責任でいくらでも調節・対応可能だ。
 当時のキヨタくんの彼女が切にキヨタくんとの結婚成就を望んでいたならば、2人の関係はいくらでも成就の道筋があったはずと想像するのだが…

 しかも私が不可思議なのは、我が長~~~き独身時代より、キヨタくんの恋愛時代の方が時代的・環境的にずっと進化しているはずなのに。
 何故、彼女の「全部は無理なんだよ」(私にとっては意味不明だが)発言を直ぐに受け入れてしまって、別離の道程を歩んでしまったのだろう?

 それがきっかけで、キヨタくんは独学でフェミニズムに辿りついたと記されているが…



 ここから朝日新聞“悩みのるつぼ”に話題を移そう。

 1年程前から、清田隆之氏が回答者をされている“悩みのるつぼ”に接する機会がある。
 どうやら、女性からの悩みの相談に答える機会が多いようだが。

 原左都子に言わせて貰うならば、清田隆之氏のご回答だが。
 “フェミニズム”観点と言うよりも。
 相談女性の核心の悩み部分に触れるところまで到着していない、との感想を持つのだが。 何と言うのか、“優しげな回答”を施しているのみで回答として成立していない印象を受ける。

 たとえば、つい先だって2020.10.10の“悩みのるつぼ”清田氏の回答を我がエッセイ集バックナンバーより振り返ってみよう。

 今回の回答者は、文筆業・清田隆之氏であられるが。 その回答内容のごく一部を、以下に紹介しよう。
 得られたかもしれない価値を上回る今を生きない限り後悔は拭えない。つまり現在の価値を高めていくのが最良の方法と思われる。
 (相談者自身が)興味のあることに触れ、欲望のおもむく方向に進んでみる。 これからは「家族のため」や「世間的にみて」は気にせず、時間とエネルギーを自分のために使っていくことが大事ではないかと思う。
 家族の円満をキープしたままそれが出来たら最高だがもし夫の理解を得られない場合は、“ひとりUターン”もありだろう。 
 (以上、清田氏の回答内容より一部を引用したもの。)

 原左都子の厳しい見解だが。
 この相談女性に、「興味のあることに触れ、欲望のおもむく方向に進んでみる」なる心理面での余裕があると清田氏は捉えたのだろうか??
 それが現在相談女性に欠落している故の相談だったと私は理解した。
 しかもだ。
 この相談女性に、“ひとりUターン”のパワーがあると判断してのご回答か??
 悩み回答業とは、相談者に“表向き”のみ優しく接すれば何とかなる分野では決してあるはずが無い! 相談者の命がかかっている場面すらあるものだ。
 
 未だ40歳の貴方には所詮“背伸び”せざるを得ない回答業であることだろう。
 ここは“フェミニズム”の垣根を超越して、今後は“悩みのるつぼ”回答の場面では、清田隆之氏の能力範囲(例えば、高校生大学生等々)の回答を選択させて貰ってはどうか?

 まずはキヨタくんこそが少しだけ名を売ることよりも、自身を取り巻く環境下で“本気で濃厚に生きる”ことを実践し直しても遅くは無い気もする。
 
 (清田隆之氏にとって失礼発言だった場合、深くお詫び申し上げます。)