原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

クリスマス慣習が急激に薄れゆく国内の風情

2013年12月12日 | 時事論評
 昨日(12月11日)我が行きつけの個室美容室を訪れた際、4歳男児の母親でもあられる担当女性美容師氏がいきなり“嘆き話”を始める。
 「この時期は本当に嫌なんです…。」

 一体何が嫌なのか?との私の問いかけに美容師氏応えて曰く、「息子のためにクリスマスプレゼントを用意せねばならないが、毎年何を枕元に置いてやっていいやら頭を悩ませる」との談話だ。

 原左都子としては美容師氏の発言に、(あっ、そうか、もうそろそろクリスマスなんだ!) と初めて気付かされた始末だ。
 そう言われてみれば、ターミナル駅を降りた後も大都会の街並みにして大規模なクリスマスイルミネーションを一切見かけなかった。 店舗毎にクリスマス商戦を意識した装飾が“こぢんまり”となされていたものの、さほど目に留まる程のインパクトを受けないまま美容室へ辿り着いた。


 上記美容師氏の発言で思い起こしたのが、原左都子の子ども時代のクリスマス慣習である。
 数十年前にド田舎過疎地に生を受けた私だが、そんな時代の過疎地に於いても幼少の頃より各家庭でそれぞれのクリスマスイベントが実行されていたようだ。  例えば、美容師氏がおっしゃるごとくの “親がサンタクロースの代わりに子どもの枕元にプレゼントを置く” なる慣習とは、幼き子ども皆が大喜びするであろうイベントに間違いない。 親側としても今年は何を枕元に置いてやったら子どもが嬉しいのだろうかと頭を悩ませる事こそが、家庭内の幸せな光景を創り出す源である事は想像して余りある。

 ところが残念ながら、私の場合幼少の頃に親からクリスマスプレゼント自体はもらったものの“枕元に置いてもらう”との習慣を一切経験していない。 その理由の詳細に関しては記憶にないのだが、もしかしたら元々“合理思考”が強靭だった我が親どもに「サンタクロースなどいる訳ない」と幼き頃より感化されていたのかもしれない。 そんな風に情緒が欠落した親の下に育った私であるため、幼心にサンタクロースなどこの世に存在しないと信じさせられていたとも考察可能だ。
 小学校に入った頃だろうか。 周囲の児童達の「クリスマスイブにはサンタが枕元にプレゼントを置いていくと言うけど、本当は親が置いているんだよ!」なる会話を耳にした。 その話を聞いた私はクリスマスイブが迫った頃初めて我が親どもに言い寄った。 「よその親はイブの晩にサンタに替わって子どもの枕元にプレゼントを置くとの話だが、何でうちはそうしなかったの?」  次女である私からの初めての訴えに、我が親どもは相当困惑した様子だった。 それでもその年のクリスマスイブの夜には生まれて最初で最後に我が親がプレゼントを枕元に置いていたことを、何だか“虚しい出来事”として私は記憶している。

 ここで一旦、原左都子の私論を記そう。
 いくら幼き我が子が親の合理的思想を遺伝的・経験的に継続していようが、クリスマスイブの夜ぐらいは世間一般で執り行われている慣習に従い、わざとらしい演技であれ子どもを喜ばせても罪はなかっただろうに…。 それこそが子どもの情操教育であり、子どもに夢や希望を抱かせ羽ばたかせるきっかけをもたらす好機だったはずだ。 


 上記のごとくクリスマスに関して幼少の頃に切ない記憶がある私は、高齢出産で産んだ我が娘のクリスマスは、誕生以降大々的に執り行ってきている。
 まずは室内のクリスマスイルミネーションだ。 一時は本物のツリーもどき大きな観葉植物を室内に買い求め、それをクリスマスツリー土台とした時期もある。 そして必ずや私はその飾り付けに娘も誘った。 そんな親の演出を幼き頃からはしゃぎ喜んでくれた我が娘でもある。
 そんな娘の成長と共に、母である我が手抜きが勃発する。
 娘の私立中学受験の時期には、“お抱え家庭教師”でもある私として2月初頭の受験に備えるためクリスマスイルミネーションになど到底尽力できない。 それを理由に室内装飾をサボろうとしたのだが、娘から「○ちゃんの家では素晴らしい飾り付けをしている!」と訴えられたなら、それを実行しない訳にはいかない。 それはよしとしても後が大変だ。 装飾はいつでも可能だが、片付けは12月25日中に済ませるべきだ。 まさかクリスマス装飾のまま新年を迎える訳にもいかない… 
 そんなこんなで娘が大学生になった暁には、我が意思で少しばかりのクリスマス装飾を室内に試みようかなと思う段階に入っている。 それに同意してくれる娘のお陰で、現在の我が家のクリスマスイルミネーションは至ってシンプルである。

 我が家の事情をさて置き、大都会東京の繁華街に出てもさほどのクリスマスイルミネーションを堪能できない時代背景だ。
 その分、首都圏郊外あちこちの地に光イルミネーションを施した観光地が設けられ、その地に小旅行目的で観光客を誘う趣旨の旅行会社によるバスツアー企画等を各所で数多く発見する。 これぞまさにLED開発力による節電イルミネーション企画なのであろう。


 阿倍政権によるアベノミクス経済政策が掲げた成果はごく一部の恵まれた国民を潤すばかりで、今年も多くの国民は細々と年末を迎えることになりそうだ。

 そう言えば昨日電車にて帰路の途中、電車広告に誰かが違法に貼り付けたと思しき「貼紙」を発見した。 それによれば、阿倍政権は今後「戦争が出来る」ようこの国を仕立て上げるべき尽力しているとの事だ。
 もちろん、この貼紙をした輩の行為は違法であることなど私も承知であるとして、その内容に等しい危機感と恐怖心を私自身も抱かされざるを得ない現状である……
 我が国の政権が今後如何なる方向を目指そうとしているのかに関しては、(特定秘密保護法案強行採決がらみの政権内外の激動もあって)今は未知数であろう。

 だが、少なくともクリスマスイブの夜には各家庭でサンタ(親)が枕元にプレゼントを置いてくれる事を信じる幼き子ども達の夢や希望を、(国民が信じる政治思想にはかかわりなく)叶え続けるべく国であって欲しいものだ…。