原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

楽しいお金の使い方

2013年12月18日 | お金
 義母の財産税務管理担当を任されている私は、昨日義母が口座を開設している金融機関へ預金を引出しに出かけた。
 
 皆さんもご存知の通り、現在のATM引き出し最高限度額は1日につき50万円である。 そのため、その額を超過する引出しを実行したい場合は口座開設者本人が印鑑を持って窓口まで出向き、本人確認の上に引き出すしか方策がない。 ところがあいにく義母には現在その体力がない。
 今回予定していた引き出し額はATM最高限度額を超過する額だったため、預金者本人ではない私は幾日もかけてATMへ出向き、ちまちまと目標額を引き出す予定を立てていた。

 ところが、昨日銀行係員氏に確認して初めて判明した事実がある!
 それは、一預金者の1日引き出し限度額とは、“キャッシュカード1枚毎”に50万円と定められているとの事実だ。(早く言ってよ~~)  我が義母の場合当該金融機関に複数の口座を開設していたため、それぞれの複数キャッシュカード使用によりATMにて予定額の引き出しが1日で叶ったのだ。 

 私自身子ども時代から貯蓄の趣味があるため(あくまでもチマチマ貯蓄タイプの貧乏人範疇だが…)、昔から金融機関へ出向く機会は多い。
 金融機関の顧客対応システムも時代と共に変遷せねばならない事は理解可能だが、もう少しあらゆる顧客に分かり易いシステム作りやその広報を実施してもらえないものだろうか?? 
 というのも、上記事例のごとく“キャッシュカード1枚毎”に1日50万円の引き出しが可能とのシステムを昨日初めて知った私だ。 それをもっと早く承知していたならば、目標額を引き出すために幾日にも渡って金融機関を訪れるとの無駄が省けたのに…。
 (もちろん、窓口届出によりATMにてキャッシュカード1枚1回に付き200万円まで引出す事が可能となるのは承知しているが、そのためには体が弱っている義母を一度窓口まで伴わねばならないし…)


 前置きが長過ぎたが、今回のテーマは表題に掲げたごとく「楽しいお金の使い方」である。

 このエッセイを綴るきっかけをもらったのは、本エッセイ集で毎度おなじみの朝日新聞相談コーナー 12月14日版「悩みのるつぼ」 を一見した事による。
 ただし今回の場合、その引用は表題のみに限られそうだ。
 
 と言うのも原左都子の場合、「お金」とは楽しく“貯める”対象物であり、決して楽しく“使う”ものではないとの感覚が、子ども時代より強靭だからである。

 その一例として、私は当エッセイ集 “お金”カテゴリー2008年2月バックナンバーにて、「正しいお金の貯め方」と題する記事を綴っている。
 以下に要約して紹介しよう。
 私は住宅ローンの早返しが得意技のひとつであることは、バックナンバーで既に述べた。(“お金”カテゴリー「住宅ローンの早返し」をご参照下さい。)
 現在までに4件の不動産物件を購入し(そのうち2件は買換え)、すべて短期間でローンを完済してきている。 早期にローン返済するための第一条件は言わずと知れているが、返済できる資金が手元にあることである。 では、資金を手元に保有するためにはどうすればよいか。 その答えは簡単、お金を貯めればよいのだ。
 近頃、主婦向けのマネー関連の雑誌が数多く刊行されているようだ。私はその種の雑誌を購入したことも、しようと思ったこともないのだが、新聞の下の方の広告欄で垣間見るとその内容には涙ぐましいものがある。一日の食費を1000円で抑えるだとか、年収300万円でも月10万円は貯蓄しようだとか…。 そんなに血眼にならないとお金って貯められないものかなあ、私に相談してくれたら普通に生活しながらお金が貯まる方法を伝授するのに…、といつも不思議に思ってしまうのである。 
 私は物心がついた頃からお金を貯めていた。 昔、学校の長期休暇前に「肝油ドロップ」を購入する習慣があったのだが、そのドロップ缶に小遣いの残りの小銭を貯め込んでいた。 そのドロップ缶貯金が増えることがうれしかった感覚の記憶は今でも私の脳裏にある。 中学生になると月額で小遣をもらえるため、ドロップ缶の中身は小銭に加えて札も目立つようになっていた。 そして高校生になると私の貯金は万札に形が変わり、それが何枚にもなった頃、私は自主的に近くの郵便局へ行って郵便貯金通帳を作り、今度はこの通帳が私の貯金箱となった。(参考のため、当時は未成年者でも単独で通帳が作れる時代背景だった。) 高校卒業時点でその残高は私の記憶によると数十万円を超えていた。受験生だったためアルバイトをしていた訳ではない。あくまでも小遣やお年玉や祝金等をちまちま貯めた結果である。
 大人になって一人暮らしを始めてからは、几帳面に家計簿をつけるようになった。もちろん自主的に。 そして金融商品の金利に興味を持ち、郵便貯金一本からだんだん通帳を増やしていった。その残高がどんどん増えるのが快感なのである。 私は外見や行動が派手なため一見ちゃらんぽらんな浪費家人間に見えたようだ。 私がお金を貯め込んでいることは知る人ぞ知る程だった。周囲のほとんどの人達はまさか私が預金通帳の残高を見ながらほくそ笑んでいるとは想像だにしなかったであろう。 当時は高金利時代だった。預貯金の年利が8%という時期もあり、郵便局の定額預金など10年間で元利合計が元金の2倍以上になる美味しい時代もあった。 私は新聞の経済面の金融商品欄はいつも欠かさず注視していた。お金を貯める事に関して石橋をたたいて渡るタイプの私は、ハイリスクハイリターン商品には決して手出ししなかった。 20歳代後半で預金が1000万円を超えたとき、その大部分を信託銀行のビッグ(貸付信託複利5年もの。現在この商品は廃止されている。)に入れ替えた。当時お金をビッグに入れるために信託銀行に行った時の係員の無礼な対応は今でも忘れない。一見ちゃらちゃらした小娘が信託銀行に何の用かと係員が疑うのは無理もない話だ。
 結婚後はずっと低金利状態が続いているため、お金を貯めることよりも住宅ローン返済に集中してきた訳である。
 という訳で結論として、私のような庶民にとっての正しいお金の貯め方とは何か。 “正しい”かどうかについては確信はないが、その秘訣はお金が貯まることがうれしいと思う気持ち、そしてお金を貯めることに対する興味ではなかろうか。 まさに“好きこそ物の上手なれ”である。 私の周りを見渡しても、浪費家というのはそもそもお金を貯めようという発想自体がさらさらないように見受けられる。
 そして、何よりもライフスタイルである。 私は派手好みではあるけれど、ブランド物で身を固めたいなどという欲望がほとんどないし、人と同じ持ち物が欲しいなどとの気持ちは昔から一切なく、マイペースで自分の人生を貫いてきている人間である。
 加えて、お金を貯めるために要求されるのは情報収集力であり、計画力であり管理力である。 これらは最低限の必須条件であろう。
 このように考えてくると、やはりお金とは付け焼刃では貯まらないものなのかもしれない。 持って生まれた適性や能力もお金を貯めるひとつの重要な要素となろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバー 「正しいお金の貯め方」より要約引用。)


 最後に私論でまとめよう。

 「お金」とは、“貯めてうれしい派” と “使ってうれしい派” とに大きく二分されるのではあるまいか?? 
 (これに関しては、上記我がエッセイ集バックナンバーをお読み下さるとご理解いただけることであろう。)

 私など、“貯めてうれしい派”に分類される事が歴然!なる人生を歩んできていると自己分析できそうだ。  それ故に、今回テーマに掲げた 「楽しいお金の使い方」に関しては何の論評力もない事を認めざるを得ない…。

 少しだけ今回の表題に対して論評させてもらえるなら、自分自身で目標を掲げ自分の力で貯めた蓄財を自らの価値観と判断で有効活用できた時にこそ、その金額の大小に係わらずお金を使うことが“楽しい”! と実感できるのかもしれない。

 そんな微細な“楽しさ”を時折感じたいがために、私は今尚チマチマ預金に励むとの“しがない人生”を選択し続けているとも分析可能だ……