原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

先生、落ち着きましょうか。

2008年07月16日 | 教育・学校
 我が家は公立小学校の目と鼻の先に位置している。
 この地に転入して以来、我が子も3年余りの期間お世話になった小学校であるため、元保護者として滅多な発言はできない立場にはある。が、あえて言うと学校からの日々の騒音は相当のものがある。
 周辺が低層住宅地で商業施設も近隣になく都会にしては閑静な環境であるため、学校の騒音ばかりが日々際立っている。我が家の場合集合住宅の上階であることも影響し、学校からの音の伝達を遮る物が何もないことも一因であると推測できるが、学校の日課の一部始終が毎日大音量で押し寄せてくる。

 学校においては児童生徒がその主役であるため、子どもの歓声や歌、楽器の演奏等に関してはもちろん受容可能である。
 そして、児童の日課管理のためのチャイムの音や児童への諸連絡放送に関しても常識的な内容に関しては許容範囲内である。

 そんな中、鼻に付く騒音は教員の行き過ぎた指導の叫び声や、教員の呼び出し放送等である。(ピンポンピンポ~ン♪「○○先生、お電話がかかっていますので職員室までお戻り下さい。」ピンポンピンポ~ン♪等々。)これが、日々多いのだ。学校には電話が3本位しか引かれていないため放送に頼らざるを得ないのかもしれないが、騒音を発しない代替の呼び出し手段はないものなのか。

 特にこの時期、毎年プール指導が行われるのであるが、プールが我が家側の屋外にあるため、メガフォンを使用しての指導の様子の開始から終了までの一部始終が手に取るように聞こえてくる。まるで、毎日一緒にプール指導を受け(させられ)ている気分だ。
 このプール指導の様子を聞いて(聞かされて)いると、指導者の個性や指導法が様々で興味深いものがある。
 笛の合図ひとつで、整然と淡々と指導を進めているらしき指導者。この場合、聞こえてくるのは笛と水しぶきの音だけだ。
 2時間中(プール指導は通常2時間のようだが)、児童がキャーキャー喜ぶ歓声しか聞こえない授業もある。(指導ではなく水遊びをさせているのか?)
 私が一番苦手な騒音は、2時間中ヒステリックに黄色い声で児童を怒り続ける指導者だ。すべての言葉が命令的で否定的である。「早くしなさい!」「そんなんじゃダメ!」「何やってるの、違うでしょ!」等々…。これは、端で聞いていても耐えられない。 子どもへの悪影響を考えると、「先生、ちょっと落ち着きましょうか?」とプールまで教員をなだめに行きたい衝動に駆られる。
  

 実は私が学校嫌いであったことは本ブログのバックナンバーで既に何度か触れている。今と異なり昔は不登校、登校拒否等の言葉すらなかった時代で、子どもは嫌でも何でも学校へ“行く”という選択肢しかなかった。この私も、真面目で律儀な性格も手伝って高校卒業まではほぼ皆勤賞で学校へ通っている。(大学は自主的にサボって有意義に遊んだけどね♪)

 なぜ私が学校嫌いだったのかと言うと、その一番の理由がこの教員の“ヒステリー”のせいである。
 私は小学校6年間と中学校2年時の担任が子持ちの40、50代位の女性(というより、まさに近所の“おばさん”と言った方が相応しいのだが…)だったのだが、この合計6名の女性教員が一人として例外なくヒステリックなのだ。学校へ行くと毎日毎日、朝から下校まで命令的で否定的な言葉を私たち生徒に投げつける。私自身は真面目な生徒だったため(?)直接怒鳴られたりすることはまずないのだが、感受性が強い私は周囲の生徒が怒られるのを端で聞くのが忍びないのだ。
 こういう教員はおそらく家庭でも自分の子どもをヒステリックに叱り飛ばしているのであろう。その延長線上で学校でも教員として同様の言動を取るのであろう。あるいは、個人的な欲求不満の憂さ晴らしであるかもしれない。自分よりも弱者で抵抗しない子どもを、無意識に欲求不満のはけ口としている恐れもある。
 私自身の母はお喋りではあるが、決してヒステリックではなかった。そして私は祖母のお世話にもなっているが、その祖母も毅然とした人物であったがこれまたヒステリックではなかった。という訳で私にはヒステリーに対する免疫力がなかったのであろう。学校に行くと(特に年少の頃ほど)毎日教員のヒステリーに怯えて身構えていたような記憶がある。


 子どもの指導に“ヒステリー”は無用である。これは学校のみならず家庭においてももちろん同様だ。ヒステリックな環境で育てられた子どもは自身もヒステリックに育つものである。近頃、無意味に奇声をあげる子どもが急増しているのは、周囲の大人の責任であろう。(先天的な要因である場合もあるが。)
 自分の感情を子どもに直接的にそのまま投げつけるのではなく、少し大人になって、自分の立場を客観視して、教育とは何なのか、指導とはどうあるべきなのか、一呼吸おいて冷静に考えてから子どもに接してはいかがか。


 今日も聞こえてくる。小学校のプールから、教員のヒステリックな怒鳴り声が…
 
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