我が家は公立小学校の目と鼻の先に位置している。
この地に転入して以来、我が子も3年余りの期間お世話になった小学校であるため、元保護者として滅多な発言はできない立場にはある。が、あえて言うと学校からの日々の騒音は相当のものがある。
周辺が低層住宅地で商業施設も近隣になく都会にしては閑静な環境であるため、学校の騒音ばかりが日々際立っている。我が家の場合集合住宅の上階であることも影響し、学校からの音の伝達を遮る物が何もないことも一因であると推測できるが、学校の日課の一部始終が毎日大音量で押し寄せてくる。
学校においては児童生徒がその主役であるため、子どもの歓声や歌、楽器の演奏等に関してはもちろん受容可能である。
そして、児童の日課管理のためのチャイムの音や児童への諸連絡放送に関しても常識的な内容に関しては許容範囲内である。
そんな中、鼻に付く騒音は教員の行き過ぎた指導の叫び声や、教員の呼び出し放送等である。(ピンポンピンポ~ン♪「○○先生、お電話がかかっていますので職員室までお戻り下さい。」ピンポンピンポ~ン♪等々。)これが、日々多いのだ。学校には電話が3本位しか引かれていないため放送に頼らざるを得ないのかもしれないが、騒音を発しない代替の呼び出し手段はないものなのか。
特にこの時期、毎年プール指導が行われるのであるが、プールが我が家側の屋外にあるため、メガフォンを使用しての指導の様子の開始から終了までの一部始終が手に取るように聞こえてくる。まるで、毎日一緒にプール指導を受け(させられ)ている気分だ。
このプール指導の様子を聞いて(聞かされて)いると、指導者の個性や指導法が様々で興味深いものがある。
笛の合図ひとつで、整然と淡々と指導を進めているらしき指導者。この場合、聞こえてくるのは笛と水しぶきの音だけだ。
2時間中(プール指導は通常2時間のようだが)、児童がキャーキャー喜ぶ歓声しか聞こえない授業もある。(指導ではなく水遊びをさせているのか?)
私が一番苦手な騒音は、2時間中ヒステリックに黄色い声で児童を怒り続ける指導者だ。すべての言葉が命令的で否定的である。「早くしなさい!」「そんなんじゃダメ!」「何やってるの、違うでしょ!」等々…。これは、端で聞いていても耐えられない。 子どもへの悪影響を考えると、「先生、ちょっと落ち着きましょうか?」とプールまで教員をなだめに行きたい衝動に駆られる。
実は私が学校嫌いであったことは本ブログのバックナンバーで既に何度か触れている。今と異なり昔は不登校、登校拒否等の言葉すらなかった時代で、子どもは嫌でも何でも学校へ“行く”という選択肢しかなかった。この私も、真面目で律儀な性格も手伝って高校卒業まではほぼ皆勤賞で学校へ通っている。(大学は自主的にサボって有意義に遊んだけどね♪)
なぜ私が学校嫌いだったのかと言うと、その一番の理由がこの教員の“ヒステリー”のせいである。
私は小学校6年間と中学校2年時の担任が子持ちの40、50代位の女性(というより、まさに近所の“おばさん”と言った方が相応しいのだが…)だったのだが、この合計6名の女性教員が一人として例外なくヒステリックなのだ。学校へ行くと毎日毎日、朝から下校まで命令的で否定的な言葉を私たち生徒に投げつける。私自身は真面目な生徒だったため(?)直接怒鳴られたりすることはまずないのだが、感受性が強い私は周囲の生徒が怒られるのを端で聞くのが忍びないのだ。
こういう教員はおそらく家庭でも自分の子どもをヒステリックに叱り飛ばしているのであろう。その延長線上で学校でも教員として同様の言動を取るのであろう。あるいは、個人的な欲求不満の憂さ晴らしであるかもしれない。自分よりも弱者で抵抗しない子どもを、無意識に欲求不満のはけ口としている恐れもある。
私自身の母はお喋りではあるが、決してヒステリックではなかった。そして私は祖母のお世話にもなっているが、その祖母も毅然とした人物であったがこれまたヒステリックではなかった。という訳で私にはヒステリーに対する免疫力がなかったのであろう。学校に行くと(特に年少の頃ほど)毎日教員のヒステリーに怯えて身構えていたような記憶がある。
子どもの指導に“ヒステリー”は無用である。これは学校のみならず家庭においてももちろん同様だ。ヒステリックな環境で育てられた子どもは自身もヒステリックに育つものである。近頃、無意味に奇声をあげる子どもが急増しているのは、周囲の大人の責任であろう。(先天的な要因である場合もあるが。)
自分の感情を子どもに直接的にそのまま投げつけるのではなく、少し大人になって、自分の立場を客観視して、教育とは何なのか、指導とはどうあるべきなのか、一呼吸おいて冷静に考えてから子どもに接してはいかがか。
今日も聞こえてくる。小学校のプールから、教員のヒステリックな怒鳴り声が…
この地に転入して以来、我が子も3年余りの期間お世話になった小学校であるため、元保護者として滅多な発言はできない立場にはある。が、あえて言うと学校からの日々の騒音は相当のものがある。
周辺が低層住宅地で商業施設も近隣になく都会にしては閑静な環境であるため、学校の騒音ばかりが日々際立っている。我が家の場合集合住宅の上階であることも影響し、学校からの音の伝達を遮る物が何もないことも一因であると推測できるが、学校の日課の一部始終が毎日大音量で押し寄せてくる。
学校においては児童生徒がその主役であるため、子どもの歓声や歌、楽器の演奏等に関してはもちろん受容可能である。
そして、児童の日課管理のためのチャイムの音や児童への諸連絡放送に関しても常識的な内容に関しては許容範囲内である。
そんな中、鼻に付く騒音は教員の行き過ぎた指導の叫び声や、教員の呼び出し放送等である。(ピンポンピンポ~ン♪「○○先生、お電話がかかっていますので職員室までお戻り下さい。」ピンポンピンポ~ン♪等々。)これが、日々多いのだ。学校には電話が3本位しか引かれていないため放送に頼らざるを得ないのかもしれないが、騒音を発しない代替の呼び出し手段はないものなのか。
特にこの時期、毎年プール指導が行われるのであるが、プールが我が家側の屋外にあるため、メガフォンを使用しての指導の様子の開始から終了までの一部始終が手に取るように聞こえてくる。まるで、毎日一緒にプール指導を受け(させられ)ている気分だ。
このプール指導の様子を聞いて(聞かされて)いると、指導者の個性や指導法が様々で興味深いものがある。
笛の合図ひとつで、整然と淡々と指導を進めているらしき指導者。この場合、聞こえてくるのは笛と水しぶきの音だけだ。
2時間中(プール指導は通常2時間のようだが)、児童がキャーキャー喜ぶ歓声しか聞こえない授業もある。(指導ではなく水遊びをさせているのか?)
私が一番苦手な騒音は、2時間中ヒステリックに黄色い声で児童を怒り続ける指導者だ。すべての言葉が命令的で否定的である。「早くしなさい!」「そんなんじゃダメ!」「何やってるの、違うでしょ!」等々…。これは、端で聞いていても耐えられない。 子どもへの悪影響を考えると、「先生、ちょっと落ち着きましょうか?」とプールまで教員をなだめに行きたい衝動に駆られる。
実は私が学校嫌いであったことは本ブログのバックナンバーで既に何度か触れている。今と異なり昔は不登校、登校拒否等の言葉すらなかった時代で、子どもは嫌でも何でも学校へ“行く”という選択肢しかなかった。この私も、真面目で律儀な性格も手伝って高校卒業まではほぼ皆勤賞で学校へ通っている。(大学は自主的にサボって有意義に遊んだけどね♪)
なぜ私が学校嫌いだったのかと言うと、その一番の理由がこの教員の“ヒステリー”のせいである。
私は小学校6年間と中学校2年時の担任が子持ちの40、50代位の女性(というより、まさに近所の“おばさん”と言った方が相応しいのだが…)だったのだが、この合計6名の女性教員が一人として例外なくヒステリックなのだ。学校へ行くと毎日毎日、朝から下校まで命令的で否定的な言葉を私たち生徒に投げつける。私自身は真面目な生徒だったため(?)直接怒鳴られたりすることはまずないのだが、感受性が強い私は周囲の生徒が怒られるのを端で聞くのが忍びないのだ。
こういう教員はおそらく家庭でも自分の子どもをヒステリックに叱り飛ばしているのであろう。その延長線上で学校でも教員として同様の言動を取るのであろう。あるいは、個人的な欲求不満の憂さ晴らしであるかもしれない。自分よりも弱者で抵抗しない子どもを、無意識に欲求不満のはけ口としている恐れもある。
私自身の母はお喋りではあるが、決してヒステリックではなかった。そして私は祖母のお世話にもなっているが、その祖母も毅然とした人物であったがこれまたヒステリックではなかった。という訳で私にはヒステリーに対する免疫力がなかったのであろう。学校に行くと(特に年少の頃ほど)毎日教員のヒステリーに怯えて身構えていたような記憶がある。
子どもの指導に“ヒステリー”は無用である。これは学校のみならず家庭においてももちろん同様だ。ヒステリックな環境で育てられた子どもは自身もヒステリックに育つものである。近頃、無意味に奇声をあげる子どもが急増しているのは、周囲の大人の責任であろう。(先天的な要因である場合もあるが。)
自分の感情を子どもに直接的にそのまま投げつけるのではなく、少し大人になって、自分の立場を客観視して、教育とは何なのか、指導とはどうあるべきなのか、一呼吸おいて冷静に考えてから子どもに接してはいかがか。
今日も聞こえてくる。小学校のプールから、教員のヒステリックな怒鳴り声が…
しかも、他にこれと言った騒音がないために余計際立っているのです。
何だか、毎日小学校に通って怒られている気分ですよ!!?
楽しいなどと言っていられませんね。許容範囲を超えた学校の騒音ですから・・・。
教員の指導力を問いたいと私も同感です。
どの様にして生徒の能力を引き出すのか、伸ばすのか、ここが教員の指導力を発揮するところです。
ヒステリックに叫ぶのは指導ではありませんね。
ヒステリックな環境で育てられた子供はヒステリックになる、家庭での教育も学校でのそれも同じですね。
指導力に欠ける教員は、もう一度教育原理の基本から勉強し直していただきましょう。
頭でっかちにならず、教育と指導の作法を身につけて
貰いましょう。
教員を指導する教員が必要なのでしょうね。
そして、そういうのってよく憶えているんですよ。
私は家庭でもオヤジどのがヒステリックだったのですが、人間ってイロイロだから、そういうセンセイと会っておくのもいいのかもしれませんよ。
学びの一環として。
加えて教員教育が一切行なわれず、本人の好き放題に子どもに対応していたのでしょうね。
しかも、教員は昔から優遇されていて、女性が子どもを育てながら続けられる仕事の唯一が教員だったため、“子持ちおばさん教員”が昔から多かったようですね。
ほんとに“ただのおばさん”でしたね。自分の好きな子はえこひいきして可愛がる一方、嫌いな子にはけんもほろろの対応でした。(私は可愛がられた方なんですけどちっともうれしくないんですよ、こんな低レベルな世界で可愛がられても。表向きはいい子ぶっていましたが、内心はいつも白けていました。)中にはまれに職業意識のあるおばさん教員もいましたけど。
何とまあいい加減な教育制度であったことか、と今さらながら呆れます。
現在の教員採用や教員教育も、そんな昔からさほど進化していないところが怖いですね。(大分の不祥事と言い、何を考えているのやら…)
一方、教員のヒステリーは到底許せません。
プロの指導者としてのプロ意識に欠け過ぎです。教員とは指導者とはいつ何時も冷静でいるべきです。たとえ演技であれ、生徒の前では冷静を繕っているべきです。自分の感情を児童生徒にそのままぶつけるような甘えた幼稚な言動は謹んで欲しいものです。
確かに高校生ぐらいになると、生徒の方に許容力が育ってきているので受け流してくれる生徒もいますね。
私も経験がありますが、精神的に生徒に助けられることがあり、頭の下がる思いをよくしました。
(なんて、墓穴を掘りましたが。)
ところであんちょびさん、お久しぶりでしたね!
(ここでしか言えませんが、公立学校の教員ってほんと楽ばかりしてる割には高給だけが取り得で、専門性も低いから努力もしないで、そこそこの地位に安穏といている連中の集合体ですよ。はっきり言いまして、自分の能力をもっと活かして羽ばたきたい人間にとっては、あんな世界は何の魅力もありませんよ。だから、私もとっとと去りました。)
はるこ先生にはもう既に娘が長年お世話になっております。私なりにはるこ先生をご信頼申し上げておりますからこそ、長年、力不足の娘をはるこ先生にご指導いただいております次第です。
こちらこそ、親子共々不足の時には何なりとお伝え下さればと、いつも思っております。
仰るように戦後間もない間は教員不足で、誰もが先生になれたようです。
特に私の郷里の様な僻地では、就職先が少ないものですから、伯父や従兄弟、親戚の殆どは教員です。姉も教員でした。
私が学んだのは山村の小さな小学校です。木造校舎の学び舎は今も残っています。先生が3人、生徒が36人、勿論、複式学級でした。この小学校の恩師の一人に素晴らしい男の先生がいらっしゃいまして、私は少なからず影響を受けています。
ピアノも絵も、それに演劇も上手で、殆ど独学で学ばれたようです。
先生は、高卒後臨時教員として採用されたのですが、夏休みになると東京の大学にスクーリングに出かけていました。
夏休み中、私が真っ黒に日焼けして川遊びや昆虫採集に夢中になっていると、先生から度々手紙が届きます。
「東京の大学に来ています。今、ここで先生になるための勉強をしています。時間があると、本屋さんを回ったり、美術館にも出かけます。演劇も観ました。東京は広いです。夏休み中は皆と川で鮎を獲っていますか。蝉は鳴いていますか。二学期が始まったら、また、学校で会いましょう」とありました。
子供心に私は、
「先生が大学で勉強している。とすれば、大学って凄いところなんだなあ。僕も絶対に東京に出て、大学に行きたい!」
と思いました。
沢山の本を読んで、絵を描いてみたいと思いました。演劇も面白そうだなあ、と思いました。
小学校時代の恩師の話です。想い出深い私の素晴らしい先生です。
特に印象的なのは、中3の先生です。これは偶然なのですが、私の父の実家の裏の家の息子さんで父と幼馴染だったのです。それで、私の担任になった後で私が父の娘である事を知り、それはそれは驚いていました。(しかも、私が真面目でそれなりの実績をあげている生徒だったため)「○○(父の名)にはこんないい娘がいたのか!」と、いつも心底感嘆していました。当然ながらとても可愛がってくれて高校受験勉強をずっと応援してくれました。
私の場合、教員からの影響力というのは今振り返ってみてもあまりない(元々私は人から影響を受けにくい人間だと思います。)のですが、成長を優しく見守ってくれたような恩師は複数います。