原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

お嬢様のお母様??

2008年07月14日 | その他オピニオン
 私が高齢出産で子どもを産んだことについては、当ブログでも既に何度か公開している。

 近年、少子化現象や婚姻年齢の高齢化と共に出産年齢の高齢化が急激に進み、高齢出産はさほど珍しい事でもなくなりつつある。
 ところが私が高齢出産をした頃は、まだ“マル高出産”という一種差別的用語の残影があった頃で、いい年をした女が子どもを産む事(特に初産)に関して少し肩身の狭い思いを抱かされるような社会的認識がある時代であった。

 そういった社会的背景もあったためか、私は子どもにとって年老いた母である事に関して潜在的な“後ろめたさ”を背負わされているような感覚があった。(子どもがある程度大きくなっている現在では、そういう観念はすっかり消え去っているが。)

 例えば子どもの幼稚園入園や小学校入学の時に一番気になるのが、周囲のお母様方の“若さ”であった。
 当然ながら周囲は私よりも10も(下手をすると20も)若いお母様方であるため、皆さん若くて美しくてはつらつとしていらっしゃる。この私とて、元々童顔で外見が派手好みのため実年齢より相当若く見てもらえるのだが、それでも私本人にとってはその年齢差は手に取るようにわかる。肌のきめ細かさや動作、立ち振る舞いの機敏さ等、やはり年齢とは隠しようがないものだ。
 実際問題、私の知る限りでは、今までに我が子の同級生のお母様方の中で私より年上だった方は数える程であり、その皆さんにとって子どもさんは第2子、第3子…でいらっしゃった。
 子どもが中3になっている今現在、保護者でいらっしゃる母親の皆さんを学校で垣間見ると、それなりに年齢を重ねられている様子で、皆さん私より年上かと一瞬勘違いしたりもするのだが…。(お母様方、大変失礼申し上げました。)


 面白いエピソードがある。

 3年ほど前の話になるが、子どもの私立中学受験のための公開模試に付き添って受験会場の某私立中学へ行った。
 保護者は控え室で待機なのだが、この時保護者控え室の入り口で担当者が一人ひとりの保護者に尋ねるのだ。
 「お嬢様のお母様でいらっしゃいますか?」
 先にこの質問の真意から説明するが、この会場は女子中高であったため女の子の保護者のみに自校のパンフレットを配布しようとして、担当者は受験者である子どもが女子が男子かを確認したかっただけの話である。すなわち、この質問は「“お嬢様”…」の方にポイントがあったのだ。
 ところが、前述の後ろめたさをトラウマとして背負っている私は、血迷って「お嬢様の“お母様”…」の方にポイントを置いて聞き取ってしまったのだ!!
 (“お婆様”に見えてしまったか…。それにしても失礼な質問をする担当者だ…、なんて応えりゃいいんだ…、私は正真正銘「母」なんだから、「はい」でいいのか…。) と、一瞬うろたえる私……
 後ろも混んでいるし、複雑な心境で「はい」と答えてパンフレットを受け取った後で、この質問の真意に気づいたという事の次第である。


 などと話を展開してくると、私が年老いた母であることに相当のコンプレックスを背負っているように感じられるかもしれないが、どうかご心配なきように。

 年齢を重ねてから子どもを産んで育てる事は、実は子育て上メリットの方が大きいように感じつつ、私は日々子育てに臨んでいる。
 高齢出産の女性達と言うのは、私も含めて皆さん子どもを産むまでに職業経験を含め社会経験を既に長年積んできているものだ。そんな社会経験に裏付けられた自分自身の人格形成がある程度出来上がった後の出産、子育てとなる。人間としての“迷い”というものがあまりなく、親としての理念に自信を持った子育てが可能なのだ。しかも、自分自身の職業経験等で自ら積み重ねてきた社会的地位や経済力と言う後押しもあり、万が一の場合も他者に依存せずに子どもを育てていけるバックグラウンドもある。
 そういった立場の母として、人間としての自信は必ず子どもに伝わる。特に子どもにとっていつも身近にいる母親が確固とした存在であることは、この上なく安心でき信頼できる対象であるように子どもに感じてもらえているのではなかろうか。
 もちろん高齢出産の場合、体力不足や見た目の若さの喪失、そして、どうしても子どもと人生を共にする期間が短いというようなデメリットもあろう。(いや、今時、年老いた親などさっさと他界した方が子孝行かもしれない。)

 何はともあれ、歳の離れた子どもとのコミュニケーションを今は楽しもう。
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