原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

公立大学の混乱

2008年05月19日 | 教育・学校
 私は過去において某公立大学、同大学院修士課程に合計6年間在籍し、有意義な学生生活を満喫し経営法学修士を取得している。
 その公立大学が今、法人化の波を受けて混乱しているという。

 先だって5月5日の朝日新聞朝刊教育面の記事によると、財政難にあえぐ自治体から予算を大幅に削られたり、法人化による影響で学内が混乱したりする公立大学が相次いでいるそうである。
 大学全入時代を迎え、国立大学も私立大学も生き残りに躍起になる中、公立大学の行くべき未来は如何にあるべきなのか。


 現在、公立大学は全国に75校あり、これは全大学の11、8%を占める。意外に多い数字である。このうち約半数が単科大学であるが、複数の学部を抱える公立大学も多い。また医学部のある公立大学も多く、附属病院を併設し市民の医療を担う役割も果たしている。
 これら公立大学のうち、本年度2008年4月に39校が法人化した。

 上記朝日新聞の記事によると、自治体の財政悪化により大学の予算の削減計画も進んでいるようだ。例えば、公立大学の中で最大の8学部を持つ大阪市立大学では、付属病院を除き人件費、物件費を06年から5年間で20%カットする計画が進んでいる。人件費削減の手段としては教授が退官しても補充せず短時間だけ教える“特任教授”を当てる等で対応し、その結果学内では専門科目が減る等の弊害が生じているそうである。 他の公立大学においても非常勤職員の採用増加による対応や海外出張旅費の予算カット等で経費削減を図っているという。
 このような自治体の財政悪化に伴う公立大学の予算削減は大学の教育力、研究力の質の低下に直結する忌々しき事態である。

 一方で、大学中心の街づくりにより公立大学に経済効果を期待する動きもある。市民向けの講座の開講や地元行事への教員や学生の参加を促す等、地域貢献を意識する公立大学は多い。
 某公立大学では市の人口3万2千人に対し、学生数3千人を全国から集めている。市民の約1割が公立大学の学生という計算だ。これだけの学生を集めるだけで年36億円の経済効果を市にもたらすという。この市では、5ヵ年計画のトップ項目として“大学中心の街づくり”を掲げている。地元の公立大学の存在を市政に活かした類稀な例である。地方の小規模な自治体ではこのような成功例もうなずける話である。
 
 また他方、自治体が多額の税金を投じたのに自治体に人材が残らないという問題点もあるようだ。ある県立大学では卒業生のうち県内に就職したのは1割に満たないという例もある。自治体が期待する公立大学が果たすべき使命である地元のための人材育成という観点と、グローバル化を目指す大学側の意向との間に大きな食い違いが生じている例である。
 
 公立大学を法人化するかどうかは自治体の判断に任せられているらしい。この春法人化した39校の大半は財政難に苦しむ自治体が不採算部門である大学を切り離すことを主目的に法人化されたものである。
 我が出身大学では、今回の自治体からの強引な法人化に際して任期制や年俸制の導入をめぐり教員側と自治体が対立し、大勢の教員が辞職する事態が起き混乱した経緯がある。(付け加えると、我が出身大学は以前、自治体の財政難により医学部のみを残し大学自体を潰そうという案が自治体から出された経緯さえあるのだ。卒業生にとって出身校が消えてなくなるというのは何とも寂しいものである。何とか生き延びてくれたようで私も胸を撫で下ろしていた矢先なのであるが…。)

 
 国民の所得格差が広がる中、公立大学は低所得層の進学先として重要性が増している。 この私も自活する勤労学生として当時6年間公立にて学んだ訳であるが、市民である学生への入学金減額等の特典措置を享受し学業に励んだ経緯がある。

 自治体からのある程度の独立性の確保の観点からは、大学にとって法人化は肯定される事象であろう。大学も経営手腕が問われる時代への突入である。
 一方で、基本的には大学とは学生のための学府であるべきだ。自治体の財政難による経費削減がもたらす教育力や研究力の低下は、今後に続く頭の痛い問題である。
   
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