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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

足を洗おう!

2008年05月27日 | その他オピニオン
 最初に断っておくが、今回の「足を洗おう!」は決して“悪い行いをやめて真っ当に生きよう”などとお節介を焼くことを趣旨とした記事ではない。私は他人へのお節介の趣味は元々あまりない方である。
 今回の記事は純粋に足を水で洗う話について綴ったものである。

 本日の東京地方の予想最高気温は27度、二日連続の夏日である。場所によっては30度を超える地域もあるようだ。こんな暑い日には冷たい水で足を洗うと気持ちがよいであろう。


 さて、人にはそれぞれ様々な生活習慣があることと思う。

 私は基本的に几帳面な性格の人間であるため、自分が自分に課した日々のルーチンワークがおそらく人より多いのではないかと思うのだが、その中のひとつに帰宅直後に“足を洗う”という習慣があるのだ。この場合の足とは靴を履いている部分のことである。(まさか、ふとももまでも洗いませんよ…)
 帰宅後、手洗い、うがいをする人はおそらく多いと思う。私も当然ながらそれもこなす。その上で必ず足も洗うのだ。夏の暑い日はもちろん冬の凍てつくように寒い日にも洗って靴下を履きかえる。
 女性の場合ストッキングをはいたりすることもあるため、素足になるのは結構面倒だ。それにもめげず、帰宅後何をさておいても素足になって足を洗う。

 私にとってこの風変わりな習慣は、物心が付いた幼い頃から既に身に備わっていた。私の父親(既に他界)が極度の綺麗好きであったため、汚れた足で室内を歩く事を嫌ったのだ。そのため一家でこの習慣を励行していたという訳である。
 小さい頃は、庭の水道で洗ってきれいなサンダルに履き替えてから家に入った。娘時代以降は、人目のある庭で妙齢の娘が足を洗っている姿はどう考えても怪しい世界であろうため、帰宅後風呂場へ直行してシャワーで洗うのだが、その方式で現在も続行中である。


 それではここで、帰宅後すぐに足を洗うことの効用について考えてみよう。
 もちろん、洗わないより洗った方が自分自身の足の清潔は保てるであろう。 一方、私の父親が趣旨としていた室内の清潔についてはどうであろうか。足が土や埃等で相当汚れていた場合は当然効用はある。また、洗った直後も効果はあろう。ただ、時間の経過と共に体内の老廃物等が汗になって足からも出てくるし、室内を歩いているうちに汚れを足が吸着もする。足を洗った事により室内の清潔を長時間保ち続ける事が可能とは考えられない。
 そんなことは少し論理的に考察すればすぐわかることなのに、なぜ父は家族全員に帰宅後すぐ足を洗う事を強要したのか。それは自分の心の平静を保つためである。 要するに家族皆が帰宅直後に足を洗う事の第一の効用は、父親のひとりよがりの安心感の確保にあったのだ。
 実はそのことに私は小さい頃から気付いていて、父は自分勝手だと内心反発しつつ洗っていた。活動的な子どもにとって帰宅後いちいち足を洗うことは大変面倒な作業なのだ。
 
 ところが習慣とは恐ろしいもので、年月が経過すると今度は自分がそれを実践しないと落ち着かなくなる。そうこうして、一人暮らしを始めてからも、家庭を持ってからも私はこの習慣を続行している訳である。
 大袈裟に言うと、一人の独裁政治や独裁宗教が築いた社会的規範や慣習がその善悪の如何にかかわらず長年に渡り人民に受け継がれていくことと共通している現象である。

 父親似でやはり綺麗好きな私ではあるが、家族にはこの習慣を一切強要していない。自分ひとりで黙々と実践するのみである。その効用がひとりよがりであることを十分理解できているからである。
 とは言え、遺伝や環境の力は恐ろしいものである。我が子が長年に渡り毎日帰宅後必ず手を洗い、うがいを励行している。 その習慣を子どもに奨励はしたが決して強要していない私は、つい最近その理由を子どもに尋ねてみた。「何で毎日、手を洗ってうがいをしてるの?」

 中学生の娘曰く「単なる気休めなの。」  我が子ながらご立派である。


 暑い日に、くだらない話に最後までお付き合い下さいまして恐縮です。
 皆さんの一風変わった生活習慣等、教えていただけましたらうれしく思います。 
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