原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

傘を返して欲しい…

2008年05月25日 | 恋愛・男女関係
 出逢いにはいつも別れが付きまとう。
 どうせ別れるのならきれいに後腐れなく別れたいものであるが、なかなかそうはいかないのが別れというものの特質でもある。

 こんな雨が降り続く週末の日曜日には、私の脳裏にひとつの風変わりな“別れ”の記憶がよみがえる。
 今日は、そんな若気の至りの別れを少し綴ってみよう。


 彼との出逢いは六本木のディスコだった。未成年者お断りの、入り口で身分証明書を提示して入場する少しアダルト系の比較的落ち着いたディスコだ。
 混雑度もそこそこで全体が見回せる。 ロン毛で鼻の下にヒゲを生やした少しニヒルな独特の雰囲気の彼は目立っていて、私も既にその存在を把握していた。
 ディスコで声をかけられる(当時は大抵男性が女性に声をかけたものだが。)のは、自分の座席かダンスホールで踊っている最中というのが多いパターンだ。が、今回は違った。何がしかの用で私が通路をひとりで歩いている時、そのニヒルな彼に引き止められたのだ。存在を把握していた男性に声をかけられるとは、意外とラッキーな展開である。と言うのも、当時はこういう場では女性はまだまだ受身の立場なため(少なくとも私は。)、意に沿わない男性に声をかけられた場合の対応が面倒なのだ。そういう場合もちろんお断りするのだが、しつこく付きまとわれる場合もあって迷惑する場合もあるからだ。
 しばらく通路で二人で立ち話をしたのだが、この場では通行人の邪魔だし、一緒に飲もうということになり彼のグループが私のテーブルまで移動してきた。こちらは女性2人、あちらは男性が3人程だったと思う。
 私の友人も含め他のメンバーのことは記憶がないのだが、とにかく私とそのニヒルな彼はすっかり意気投合し、飲みながらあれやこれやと語り合った。そして、また会う約束をした。

 彼は美容師であった。フリーのカリスマ美容師を目指し当時原宿の美容院で修行中の身だった。片や当時の私は医学関係の専門職サラリーマン。そんな異文化コミュニケーションが若くて無邪気な私には何とも新鮮で刺激的だった。
 彼にはエスニックの趣味があり、メキシコ料理を好んで食べていた。それで、デートの時にはいつも彼の行きつけのメキシコ料理店へ行く。それまで辛口の食べ物を好まなかった私も、テキーラやマルガリータを飲みながら彼と一緒に唐辛子等の香辛料の効いたトルティーヤやタコスをヒーヒー言いながら食べたものである。
 エスニック調の皮革品を好む彼の鞄を二人で選ぶために、原宿の彼の職場の近くのショップを探索したりもした。
 そして、デートの締めくくりはいつも私鉄沿線にある彼の部屋で飲むのだが、オリエンタルなムードが漂う独特な雰囲気の彼の部屋が私はとてもお気に入りだった。バリ島が好きな彼の部屋はバリ島の民芸品であるバティックやシルバー製品などで装飾され、私が訪ねるといつもインドのお香をたいてくれた。そしていつも二人のお気に入りの音楽を聴いた。


 ただ、私の頭の片隅には彼との関係は長くは続かないであろうとの不安定感がいつも蔓延っていた。お互いに自立心旺盛でお互いに自分の夢を描いていて、お互いに自己主張が強過ぎるのだ。
 いつかは別れが来る、その別れは意外と早いかもしれないという不安定感が、返って二人の関係を加速させていたのかもしれない。

 そして何ヶ月か経過し、表向きの付き合いの楽しさと脳裏をかすめる不安定感とのギャップはさらに深まっていた。
 ある日、もう潮時かと悟った私の方から別れ話を持ち出す決意をした。彼の脳裏にも同様の考えはあったはずだ。だが、唐突に私の方から具体的な別れ話を持ち出された彼は動揺した。負けん気の強い彼は別れを認める。それも私は計算済みであった。そして、二人は別れることになり私は彼の部屋を出ようとした。
 その時、彼が言う。 「傘を返して欲しい…」 と。
 
 雨の日に彼の部屋から帰る時に借りていた安ビニール傘をまだ返していなかったのだ。「わかった。今度届けに来る。」そう言って私は去った。

 後日、私は彼の留守中を狙って彼の部屋を訪れ、鍵のかかった玄関先のドア付近にビニール傘を届けた。傘には再度お別れの手紙を綴って巻き込んでおいた…。
Comments (12)