今、数日前に届いたドニゼッティ作曲の歌劇「アンナ・ボレーナ」のDVDをチラチラ見ながらパソコンを打っています。
歌劇「アンナ・ボレーナ」!
私がオペラに興味を持った頃、まさか、この領域まで脚を踏み入れるとは夢にも思わなかった。ワーグナーのオペラと同様、当時の私にとって遠い存在のオペラでした。
そんなオペラをグッと私の傍に引き寄せてくれたのは、マリア・カラスでした。カラスの存在が無ければ歌劇「アンナ・ボレーナ」やベルリーニのオペラを知らずにいたかもしれません。
私がオペラを意識したのは、いつだったのだろうか?どうも思い出せない。
中学3年の頃にクラッシック音楽に興味を持ち、小使いを少しずつ貯めてはLPレコードを買い求めていましたが、その中でオペラの有名アリア(マリア・カラスの歌も含まれていたのでEMI盤)を寄せ集めたレコードが、おそらく第1歩だったはずである。
ただ、その頃は現在のようにテレビでオペラ全曲を放送してくれることは、まず無かったので、オペラの全曲を聴くなど全く意識の外だったと言えるでしょう。
ただひたすらオペラの有名アリア集のレコードを聴きながら、単に有名オペラ歌手たちの美しい声に聴き入っていた時代でした。
ですからオペラは、単に美しい声を披露するだけのものと思っていたと言えるでしょう。
そんな状況の私に黒船がやって来ました。
マリア・カラスである。私が高校2年の時、1974年の秋のことである。マリア・カラスがテノールのジュゼッペ・ディ・ステファノと来日して、そのジョイントリサイタルをNHKのテレビ放送で見て、たいへんな衝撃を受けました。
正にドカーン!である。
それまで私はマリア・カラスの録音は有名オペラアリア集のレコードに収録されていた歌劇「トスカ」から「歌に生き、愛に生き」と歌劇「カルメン」から「ハバネラ」しか聴いたことがないというお粗末な状態。
ただマリア・カラスがオペラ界で、たいへんな存在であったことは知っていました。
放送されたのは私の記憶では次の曲目だったはず。(大分、私の記憶が薄れてきたので漏れがあるかも。ディ・ステファノのソロを思い出せない)
ビゼー 歌劇「カルメン」より「ハバネラ」、第4幕大詰めの2重唱「あんたね?おれだ」
マスカーニ 歌劇「カヴァレルリア・ルスティカーナ」より2重唱「サントゥッツァ、ここにいたのか」
プッチーニ 歌劇「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」
ドニゼッティ歌劇「愛の妙薬」より2重唱「アディーナ、ひとことだけ~風にお聞き下さい」
「カルメン」から「ハバネラ」や「カヴァレルリア・ルスティカーナ」から「ママも知る通り」は知っていましたが、2重唱を聴くのは初めてでした。
テレビを見ていて本当に画面に釘付けになった。マリア・カラスの表情、ちょっとした仕草、そして動き。オペラは単に美しい声を披露するだけの場ではない。オペラはドラマであることをカラスは身を持って教えてくれました。音楽を聴き、そして全知全霊をかけて身を持って表現していくこと。
特にアリアより2重唱の方が強く心に残りました。オペラ歌手にとって聴かせどころのアリアより、2重唱の方がオペラの魅力が一杯詰まっているのよとカラスが言っているように感じました。
後日、音楽雑誌を読んでみると、この時の来日公演に関してオペラに詳しいヒョーロンカの方々は、全盛期に比べてカラスの声の状態が、どうのこうのとコメントしていて、あまり評価は高いようではありませんでしたが、私は当然ながら、その時は、まだカラスの全盛時代のオペラ全曲録音は全く聴いていない時代。「ノルマ」も「清教徒」も「仮面舞踏会」も、まだまだ未知の世界。
ただ、それだけに変な先入観無しで無垢の状態でカラスの来日公演の放送を見ることが出来た、マリア・カラスの教えを純粋に乞うことが出来たのは、多感な年ごろだっただけに、かえって良かった、たいへん幸運だったと今は強く思っています。
やはりヒョーロンカに左右されるのではなく、その時の自分自身の感受性が、やっぱり大切ですね。
カラスの来日公演をテレビで見て強く思ったのは、やはりオペラは全曲を通して聴かなければダメということである。
いよいよ四国の片田舎の一高校生がオペラの全曲レコードを手にしたいと強く思うようになりました。
ここから私の今も続いているオペラの旅が始まったと言えるでしょう。
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