第2章 志津川湾の入り江に建つ観光ホテル
私達は志津川湾の入り江に建つ観光ホテルに到着したのは、午後4時過ぎであった。
http://www.mkanyo.jp/
南三陸 ホテル観洋
この観光ホテルは家内が半年前に観光パンフレットで初めて知り、
3泊ぐらいでゆっくりと過ごしたいわ、と私に云ったのである。
その後、思案のひとつとして、個人旅行で、
東北新幹線で一ノ関から観光周遊し、この観光ホテルに3連泊した後、
松島を観て、仙台より帰京する案を私達は検討したこともあったのである。
たまたま今回の団体観光ツアーに一晩だけは含まれていたので、
この後の仙台港から名古屋港までのフェリーに寄るクルーズを含め、
参加した主な理由であった。
果たして家内が観光パンフレット、ネットで魅了された部屋、風呂からの展望は、
と私も期待して、指定された部屋に入室したのである。
ベランダ越しからの前方に志津川湾に浮かぶ養殖の魚、貝の筏(いかだ)が数多く見られ、
その彼方は太平洋の海上が観え、湾の左右は人家が点在している美景となっていた。
そして日の出の頃を想像すれば、まぎれない光景となるが、
曇り空の夕方のひとときでも、それなりに魅せられる海の色合いとなっている。
家内はベランダに鴎(カモメ)が飛来してくるので、
ホテルの売店でカッパエビセンを購入して、鴎(カモメ)の十数羽と戯(たわむ)れていた。
しばらく私は見ていたが、動物に興味のない私は、大浴場・露天風呂に向った。
そして、のんびりと露天風呂の湯に身をゆだね、
目の前の志津川湾、彼方の海上を眺めると、心まで安らぐのである・・。
この後、私は部屋に戻ると、家内は鴎(カモメ)にカッパエビセンを放り投げて、歓声をあげたりしていた。
その後、家内は入浴に行くと、私はベランダに近い椅子に座り、
ビールを呑みながら煙草を喫ったりしていた。
薄暗くなった前方の志津川湾に浮かぶ筏(いかだ)が淡き灯(あか)りが灯(とも)され、
湾の左右は人家の灯(あか)りが点在されて、眺めているとあきない情景となっていた。
夕食の焼物は鮑(アワビ)踊り焼、お造りは鮪(マグロ)、女梶木(メカジキ)、鮭(サケ)、間八(カンパチ)、牡丹海老(ボタンエビ)、
蓋物としては鮫(サメ)しんじょう、鱶鰭(フカヒレ)あんで、この他の魚介料理も美味であり、
私達はビールを呑みながら頂いたのである。
私は何よりも魅せられたのは、汁椀の浅利汁であった。
この夜、華麗に繰り広げられる息をのむ妙技の数々と称される中国の雑技ショーが開催されていたが、
私は興味がなく、部屋のベランダに近い椅子に座り、
暗くなった前方の志津川湾を見つめたり、湾の左右は人家の灯(あか)りを眺めていたりした。
翌朝、曇り空でほんのわずか朱色の紅をしいた空模様で、
無念ながら日の出の美景は観るできず、露天風呂の三種類ばかり入り、
部屋に戻った。
私は煎茶を飲みながら家内に、
『俺も中学生までは劣等性であったが・・その後は何とか人並みになり、定年を迎え・・
待望の年金生活を過ごしてきたのであるが・・
65歳の高齢者になった今・・このお天気のように前途・・良くないのかぁ・・』
と苦笑しながら云ったりしていた。
その後家内は昨夕、鴎(カモメ)にカッパエビセンを3袋ばかり放り投げたので、
右腕が少し痛いわ、
と私に微笑みながら云ったりした。
《つづく》
私達は志津川湾の入り江に建つ観光ホテルに到着したのは、午後4時過ぎであった。
http://www.mkanyo.jp/
南三陸 ホテル観洋
この観光ホテルは家内が半年前に観光パンフレットで初めて知り、
3泊ぐらいでゆっくりと過ごしたいわ、と私に云ったのである。
その後、思案のひとつとして、個人旅行で、
東北新幹線で一ノ関から観光周遊し、この観光ホテルに3連泊した後、
松島を観て、仙台より帰京する案を私達は検討したこともあったのである。
たまたま今回の団体観光ツアーに一晩だけは含まれていたので、
この後の仙台港から名古屋港までのフェリーに寄るクルーズを含め、
参加した主な理由であった。
果たして家内が観光パンフレット、ネットで魅了された部屋、風呂からの展望は、
と私も期待して、指定された部屋に入室したのである。
ベランダ越しからの前方に志津川湾に浮かぶ養殖の魚、貝の筏(いかだ)が数多く見られ、
その彼方は太平洋の海上が観え、湾の左右は人家が点在している美景となっていた。
そして日の出の頃を想像すれば、まぎれない光景となるが、
曇り空の夕方のひとときでも、それなりに魅せられる海の色合いとなっている。
家内はベランダに鴎(カモメ)が飛来してくるので、
ホテルの売店でカッパエビセンを購入して、鴎(カモメ)の十数羽と戯(たわむ)れていた。
しばらく私は見ていたが、動物に興味のない私は、大浴場・露天風呂に向った。
そして、のんびりと露天風呂の湯に身をゆだね、
目の前の志津川湾、彼方の海上を眺めると、心まで安らぐのである・・。
この後、私は部屋に戻ると、家内は鴎(カモメ)にカッパエビセンを放り投げて、歓声をあげたりしていた。
その後、家内は入浴に行くと、私はベランダに近い椅子に座り、
ビールを呑みながら煙草を喫ったりしていた。
薄暗くなった前方の志津川湾に浮かぶ筏(いかだ)が淡き灯(あか)りが灯(とも)され、
湾の左右は人家の灯(あか)りが点在されて、眺めているとあきない情景となっていた。
夕食の焼物は鮑(アワビ)踊り焼、お造りは鮪(マグロ)、女梶木(メカジキ)、鮭(サケ)、間八(カンパチ)、牡丹海老(ボタンエビ)、
蓋物としては鮫(サメ)しんじょう、鱶鰭(フカヒレ)あんで、この他の魚介料理も美味であり、
私達はビールを呑みながら頂いたのである。
私は何よりも魅せられたのは、汁椀の浅利汁であった。
この夜、華麗に繰り広げられる息をのむ妙技の数々と称される中国の雑技ショーが開催されていたが、
私は興味がなく、部屋のベランダに近い椅子に座り、
暗くなった前方の志津川湾を見つめたり、湾の左右は人家の灯(あか)りを眺めていたりした。
翌朝、曇り空でほんのわずか朱色の紅をしいた空模様で、
無念ながら日の出の美景は観るできず、露天風呂の三種類ばかり入り、
部屋に戻った。
私は煎茶を飲みながら家内に、
『俺も中学生までは劣等性であったが・・その後は何とか人並みになり、定年を迎え・・
待望の年金生活を過ごしてきたのであるが・・
65歳の高齢者になった今・・このお天気のように前途・・良くないのかぁ・・』
と苦笑しながら云ったりしていた。
その後家内は昨夕、鴎(カモメ)にカッパエビセンを3袋ばかり放り投げたので、
右腕が少し痛いわ、
と私に微笑みながら云ったりした。
《つづく》