夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。【2009.9.27.~9.30.】 ⑦

2009-10-02 15:52:26 | 
        第6章 郡上八幡~飛騨高山


私達のグループは、『いしかり』を下船した後、待機してくれた観光バスに乗車し、
高速道路で岐阜県の郡上八幡をめざして北上した。
私は東海北陸自動車道のこの地域は初めて観る情景であった。

20数年前に新宿から松本まで『L特急』で、この後は観光バスで木曽、中津川を周遊し、
下呂温泉に宿泊し、国道41腺を北上して、高山を観光めぐりをしたことがあり、
これから初めて訪れる郡上八幡は程々に近接した街と知ったりした。

私は郡上八幡に関しては、古き歴史のある街で、水の豊かな街並み、
この程度しか知らない拙(つたな)い身であり、
昼の12時過ぎに観光バスから下車したのである。

観光ホテルのレストランで昼食を頂いた後、
『博覧館』に於いて、若き男性から街の歴史、生活風習などを説明を受けたり、
郡上おどりの数曲を拝見したりした。
その後は、わずか一時間ばかり雨上がりの街を散策したのである。

やむえず『職人町』から古き情感のある街並みを拝見しながら、
名水百選と知られている『宗祇水』を飲んだり、甘い清らかな水、と感じた後、
観光バスの駐車している集合場所に帰路した。

このように私は短かな時間であり、郡上八幡を語れる資格はないのである。


この後、バスは北上し、高山市をめざしたした後、
高山市内で観光めぐりをされる方たちは下車し、
残りの私達は宿泊先の郊外の里山の『ホテル アソシア高山リゾート』に向ったのである。

http://www.associa.com/tky/
『ホテル アソシア高山リゾート』


私達夫婦は指定された7階の部屋は、ゆったりとした洋室ツィンで、
窓辺からは下方に高山市内が一望でき、遠方の彼方に北アルプスが観られる。

この後、私は別館となっている大展望風呂に行ったのであるが、
6階が受付となり、奥に進むと広い休憩室となっていた。
そして、5階と7階が男女別の大展望風呂フロアーとなっている。

たまたまこの日は、男性は5階となって折、私は階段を下りて、5階の大展望風呂に入った・・。

私はいつものように大浴場の湯につかった後、そして露天風呂に身をゆだねたりしているが、
今回は指定された部屋と同様に、下方に市内の街並み、遠方の彼方に北アルプスの山並みが観え、
心まで圧倒的にやすらぐ露天風呂でもある。
私は数種類の露天風呂に身も心にゆだねたりしたのである。


この後、私は6階の休息室のテラスで、
煙草を喫いながら、一昨年の2007年2月12日から5泊6日で、
私達夫婦は家内の母を誘い、
新平湯温泉にある観光ホテルに滞在ことを鮮明に想いだされたのである・・。

http://www.yakushi-hj.com/
『奥飛騨薬師のゆ本陣』

この観光ホテルに滞在して、周辺の新穂高ロープウェイを利用し、北アルプスの冬の情景を眺めたり、
高山市内の街めぐりを私は2日ばかりしたのである。


私はこのサイトに【奥飛騨温泉滞在記】と題して投稿していたが、
一部を再掲載をする。

【・・
     第3章  北アルプスの冬景色・・♪

13日(火曜日)の早朝、里山の頂(いただ)を見詰めると、柔らかな冬の陽射しが見られた。

私達3人は、高地から展望できる北アルプス連峰を見る為、
新穂高ロープウェイを利用した。

新平湯温泉前より新穂高バスターミナルまでバスで20分前後で行き、
第1ロープウェイの乗車口の『新穂高温泉駅(標高1117m)』から『鍋平高原駅(1305m)』まで乗った後、
第2ロープウェイの『しらかば平駅(1308m)』から終点の『西穂高口駅(2156m)』まで
ロープウェイの車窓から北アルプスの情景が見られる。

1番手軽に高地から山並みが展望出来るので、家内の母に私は勧めた。

20数年前に来た時には、午後3時過ぎの影響下であったので、
山霧につつまれて視界は10メートル前後の悲惨な状況であった。


西穂高口に着くと、マウントビュー千石という4階建ての施設があった。
この屋上が展望台のようになって折、
北アルプスの連山が澄み切った快晴の中で観られた・・。

槍ヶ岳(3180m)が遠方に聳(そび)え、
3000m前後の連山が厳冬の雪を擁(いだ)き、厳粛さを感じる。
そして前方には西穂高岳(2909m)が、圧倒的な威力のように聳(そび)え立っている・・。

この後、私達はコーヒータイムとし、家内達は下界の熊牧場に行くので別れた。

この西穂高口の周辺は、千石園地となり、
この時節には雪の回廊が係員のお手数で作られている。

暖冬のせいか、積雪は1m前後で20分程度の雪道であるが、
数多くの針葉樹が雪を枝葉に湛(たた)えて、
少女的な視線からはクリスマス・ツリーのように観える。
こうした景観には私は酔いしれる・・。

このような光景に私はデジカメで30数枚撮り、記憶の片隅としたりした。


余談であるが、私達3人が最初に第2ロープウェイに乗り換えた時、
何故かしらか若い女性の係り員がチョコレートを手渡していた。

『あたし・・もらえなかったわ・・』
と家内の母は残念そうに言った。

私は男性ばかりに手渡して折、
バレンタイン・デーでささやかなプレゼントとして解かったので、
家内の母に手渡した。

純米酒を愛する者にとっては、チョコレートは婦女子の食べ物である。

・・【略】

   第6章  雪の舞い降る『飛騨高山』往還・・♪

15日(木曜日)の新平湯は、小雪が舞い散る朝だった。

私達3人は飛騨の高山の中心街を散策するので、バスに乗り込んだ。
平湯峠を通り過ぎると路面は5センチ前後雪化粧をしており、
高山市の中心部に差しかかると、小雪から雪となった。

朝市を観た後、家内の母は初めての高山観光なので、
屋台会館、日下部民芸館を案内したいと昨夜に家内から聴いていたので、私達は別れた。

私は全国に唯一現存する郡代・代官役所と称せられた高山陣屋を見学した。
平屋建ての三百坪の周囲に簡素な庭があり、
素朴な趣(おもむ)きの中、雪が舞い降りている。
こうした格調さがない庭なりに、心が和(なご)んだりしたが、ある反面羨望もあったりした。

その後、雪の降りしきる中、古い街並みの周辺を散策した。
とある木工店に入り、楢(ナラ)の各種の一枚板を見た。

およそ90cm弱の幅、長さは180cm、そして厚さは9cmほどの一枚板であり、
価格は30~50万円前後であり、テーブルなどに用いると思われた。

私は机の板として、2枚の板を並列に置き、
そのときに応じた板を使い分けることを夢想したりした。

今の私は定年前に購入した机、脇机、そして椅子は広島産の書斎用を30万円弱であり、
パソコンなどを置いて日常使っているが、この1枚板が2種類置いてみたいと思ったりした。
理想の書斎としたならば、間口2間以上の窓辺となるが、
私には今から増改築する力はなく、夢と現(うつつ)の世界となるので、
無念ながらの現実である。


その後、街の本屋に行き、陳列してある本が少なく、本棚が見えたりしている。
たまたまご主人と書店の本屋の仕入れなどを話し込んだりした。
私は現役時代レコード会社を長年勤務した関係で、
書店と卸の関係を何かと参考にしてきたので、あれこれ話し合ったりした。

その後、街通りでジャージ姿の女子中学生の30数名を見かけた。
多分、修学旅行と思われ、みたらし団子を食べながら、ときおり歓声をあげながら、
雪の降りしきる中を歩いていた・・。
私はあの頃の時代、他愛も無く明るく過ごした時もあったかしら、
と思い返し、苦笑したりした。

駅前で簡素な飛騨蕎麦を食べた後、
バスを待つ間、付近の和菓子屋に入り、抹茶と和菓子を頂いた。
『語り部(かたりべ)』という和菓子であったが、
呑兵衛の私でも奥行きのある和菓子だと感じられた。


帰路のバスの車窓からは、強風が伴なう風雪となり、
雪は路上に20センチ前後のなって折、路肩、道路付近は吹き溜まりとなり、
小さな峠道を通り過ぎた時、前方の大型トラックがスリップし、道路をふさいだりした。
30分過ぎると徐行しながら何とか通過できた後、風雪は激しく視界が5メートル程となった。

こうした中を1時間ほど乗車していると、
運転していない私さえ、少しはらはらとしたりした。


観光ホテルに戻ると、風呂に入った後、
家内達が無事で戻ればよいが、と思ったりした時、
家内達の声がした。

家内達は帰りのバス・・雪と風で恐かったくらい、
と話しかけてきた。


   第7章  雪のあとには

早朝の5時前に目覚め、
ロビーで温かいベツトボトルの煎茶を飲みながら煙草を喫ったりした。
窓辺からは、昨日の雪の名残りで銀世界となっていた・・。

昨日、飛騨高山を訪れたが、心のふるさと、と街中で観られたので、
私なりに想いだされた。


確か昭和43年の頃だったか、
小説家・立原正秋氏が随筆した『心のふるさとにいく』を甦(よみがえ)ってきた・・。
この随筆は、JTBの発刊する月刊雑誌の『旅』の中で連続に掲載され、
飛騨高山を取り挙げており、私の若いころ影響を受けたりした。
編集長が岡田喜秋氏であり、後に紀行作家になった方であり、
この随筆の『心のふるさとにいく』のタイトルを命名し、
小説家・立原正秋の独自性の名文で私なりに心に残っている。


軒下に数多くの氷柱(つらら)が朝の陽射しを受けると、
わずかに雫(しずく)を落としている。

つららあと ためらいながら 落ちてゆく

このような拙(つたな)い俳句の真似事を詠(よ)んだが、
歌を詠む素養がなく、自分ながら赤面したりした。

日中、家内の母は館内でのんびりするので、家内と快晴の中、飛騨高山に出かけた。

行きの道路周辺は、昨日の雪の名残りが観られたが、
市内は雪が消え去り、帰路は峠道周辺あたりだけ雪が残っていた。

飛騨高山は私の好きな地酒を買い求め、
家内と和菓子屋、お土産屋と6軒ばかり廻ったが、
私は素朴な『とちの実 せんべい』に魅了されて買い求めた。
この包装紙には、昔なつかしい手焼の味・・飛騨銘菓・・金龍堂と明示されていた。

夕食の時、旅の最後となるので、骨酒を頼んだ。
小ぶりの岩魚(イワナ)を焼いて、人肌より少し温めた参合前後の地酒に、
どんぶりに岩魚が浮いて折、香ばしい香りがする。
このような戯(たわむ)れのお酒を呑みながら、夕食を頂いたりした。

・・】

私はこのような思いでがあったので、夕暮れの短かき街めぐりには参加しなかったのである。

                            《つづく》




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