昨夕、NHKBS2で夜の9時から、
【『七人の侍』脚本家・橋本 忍が黒澤監督との創作を語る】という番組を、
1時間15分を視聴したのである。
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2008-08-28&ch=12&eid=21291
NHKのBS2では、黒澤 明・監督の没後10年に際し、
遺された名作の数々を今後に於いて放映する。
http://www.nhk.or.jp/kurosawa/
そのまえぶれとして、黒澤 明・監督と接触の多かった脚本家の橋本 忍を招き、
インタビュー形式番組で、会場には若い映画研究生の方たちが50数名いる、
状況の中で行われていた。
橋本 忍は90代のご高齢にかかわらず、
『七人の侍』のエピソードを交え、脚本の完成までの創作のありかを、
明言され、私は安堵したりしたのである。
殆どの証言されていることは、氏の随筆、本、シナリオのメモで読んでいたのであるが、
改めてテレビでご健在の姿を拝見し、直接にインタビューに応(こた)えられ、
私なりの熱いひとときを過ごしたのである・・。
私は東京オリンピックの頃、大学を中退し、
映画青年の真似事をした時期があった。
この頃は、『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』、『切腹』等のシナリオを読み、
脚本家の橋本 忍を神様のようにあがめ、
絶賛し、心酔しながら、名画座が通ったりしていたので、
世の中は東京オリンピックの開催中、前後であったが、
眼中になかったのである。
番組の最後に若い映画研究生の質問に答えられたり、
最初から巧(うま)くシナリオを書こうと思うな、
何故ならば書けなくなってしまうから、と云うような主旨を、
暖かなまなざしで研究生に明言されたのが、
私なりに胸が熱くなったのである。
そして私は、数年前に読んだ一冊の本を本日の午後、
再読したりしていた・・。
村井淳志・著の『脚本家・橋本 忍の世界』(集英社新書)であるが、
映画評論家の専門家に寄る評論と違い、
これもひとつの橋本 忍の世界も見方である、
と微苦笑しながら、読んだりしていたのである。
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0305-f/index.html
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【『七人の侍』脚本家・橋本 忍が黒澤監督との創作を語る】という番組を、
1時間15分を視聴したのである。
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2008-08-28&ch=12&eid=21291
NHKのBS2では、黒澤 明・監督の没後10年に際し、
遺された名作の数々を今後に於いて放映する。
http://www.nhk.or.jp/kurosawa/
そのまえぶれとして、黒澤 明・監督と接触の多かった脚本家の橋本 忍を招き、
インタビュー形式番組で、会場には若い映画研究生の方たちが50数名いる、
状況の中で行われていた。
橋本 忍は90代のご高齢にかかわらず、
『七人の侍』のエピソードを交え、脚本の完成までの創作のありかを、
明言され、私は安堵したりしたのである。
殆どの証言されていることは、氏の随筆、本、シナリオのメモで読んでいたのであるが、
改めてテレビでご健在の姿を拝見し、直接にインタビューに応(こた)えられ、
私なりの熱いひとときを過ごしたのである・・。
私は東京オリンピックの頃、大学を中退し、
映画青年の真似事をした時期があった。
この頃は、『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』、『切腹』等のシナリオを読み、
脚本家の橋本 忍を神様のようにあがめ、
絶賛し、心酔しながら、名画座が通ったりしていたので、
世の中は東京オリンピックの開催中、前後であったが、
眼中になかったのである。
番組の最後に若い映画研究生の質問に答えられたり、
最初から巧(うま)くシナリオを書こうと思うな、
何故ならば書けなくなってしまうから、と云うような主旨を、
暖かなまなざしで研究生に明言されたのが、
私なりに胸が熱くなったのである。
そして私は、数年前に読んだ一冊の本を本日の午後、
再読したりしていた・・。
村井淳志・著の『脚本家・橋本 忍の世界』(集英社新書)であるが、
映画評論家の専門家に寄る評論と違い、
これもひとつの橋本 忍の世界も見方である、
と微苦笑しながら、読んだりしていたのである。
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