夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『ピンピンコロリ』から発展して『ピンピンヒラリ』が良い、高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2020-07-27 15:33:07 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
先程、愛読している公式サイトの【 NEWS
ポストセブン 】を見ている中で、
敬愛している諏訪中央病院名誉院長の鎌田 實(かまた・みのる)医師の寄稿文が掲載されていた。

何かしら『ピンピンコロリ』から発展して『ピンピンヒラリ』が良い、
このようなことが記載されていて、私は多々教示をされたりした。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2020年7月31日・8月7日号に
掲載されていた記事のひとつであり、
関連の【 NEWSポストセブン 】7月24日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。



《・・病気に苦しむことなく、元気に長生きして、
最後は寝付かずに死ぬことを「ピンピンコロリ(PPK)」と呼び、
健康寿命の長さをいう。

今から約40年前に、長野県の医師が提唱し始めたこともあり、
全国でも有数の長寿で知られる長野県佐久市には、
「ぴんころ地蔵」が建立されている。

諏訪中央病院名誉院長で長野県茅野市在住の鎌田實医師が、
最近、「ピンピンコロリ」から発展して、
「ピンピンヒラリ」がいいと思っている理由について語る。



昨年暮れ、京都大学で宗教・生命倫理学者のカール・ベッカー特任教授と、
「生と死の間にあるもの」について語り合った。

ベッカー教授は、ターミナルケアや遺族の悲嘆について研究している。

自分は無宗教だからという日本人も、
終末期になると、“あっち”のことを考えるというベッカー教授。

「“あっち”に意識を向けると、父ちゃんや母ちゃん、
あるいは戦死してしまった友人や先輩に会えるかもしれない、
という希望が湧いてくるんです」

たしかに、そうだ。
ぼくは緩和ケア病棟を回診しながら、「あの世」を信じている人ほど、
上手に「死」を受け入れているように感じてきた。

「あの世」は「生」と「死」の間にあるクッションのような役割を果たし、
「死」の恐怖を和らげているように思う。


健康長寿の標語で「PPK(ピンピンコロリ)」というのがあるが、
ぼくは最近、PPHがいいと思っている。

ピンピン生きて、ヒラリと逝く、そんな生き方だ。

「ヒラリ」には、“あっち”もそんなに捨てたもんじゃないという前向きなニュアンスがある。
「死」への恐怖を緩和して、「生」を見つめ直す力をくれるような感じもする。

そんな話をすると、ベッカー教授は
「ピンピンヒラリのほうが、日本人の死生観に合っていると思います。
鎌田先生が許可をくれるなら、私も使わせていただきます」と笑った。



日本人の死生観は、世界的に研究されてきたそうだ。
アメリカの宗教心理学者デニス・クラスの「続く絆」理論は、
日本人の墓や仏壇に対する態度から着想を得たという。

親しい人を亡くしたとき、人は悲嘆に暮れる。
多くの人が一刻も早く悲嘆を癒そう、忘れさせようとしがちだが、
悲嘆は癒すべきものでも、乗り越えるべきものでもない、
故人との絆は続かせていい、忘れなくていいという考えである。

かつての日本人は、当たり前に墓や仏壇を通して、先祖と対話してきた。
葬儀や初七日、四十九日などの法事も、
集まって故人のことを語り、遺された者の心を支えている。

こうした死者と語らうプロセスのなかで、
生きる力をためていったのではないか。

だから、「死」と向き合うことは、生きることと向き合うことなのだろう。

こうした「死」の力についての考察を『コロナ時代を生きるヒント』(潮出版)にまとめた。
終末期医療、幽霊、沖縄のユタ・・・いろいろな「死」が登場する。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



何かしら終末期になると、
「“あっち”に意識を向けると、父ちゃんや母ちゃん、
あるいは戦死してしまった友人や先輩に会えるかもしれない、
という希望が湧いてくるんです」


ぼくは緩和ケア病棟を回診しながら、
「あの世」を信じている人ほど、
上手に「死」を受け入れているように感じてきた。

「あの世」は「生」と「死」の間にあるクッションのような役割を果たし、
「死」の恐怖を和らげているように思う。


このようなことを真摯に学び、改めて『あの世』のことを
漠然としながらも思い馳せたりした・・。



或いは《・・親しい人を亡くしたとき、人は悲嘆に暮れる。
多くの人が一刻も早く悲嘆を癒そう、忘れさせようとしがちだが、
悲嘆は癒すべきものでも、乗り越えるべきものでもない、
故人との絆は続かせていい、忘れなくていいという考えである。

かつての日本人は、当たり前に墓や仏壇を通して、先祖と対話してきた。
葬儀や初七日、四十九日などの法事も、
集まって故人のことを語り、遺された者の心を支えている。

こうした死者と語らうプロセスのなかで、
生きる力をためていったのではないか。・・》


確かに亡くなわれた故人を偲(しの)びながら、
生前のしぐさ、ことば、出来事などを葬儀や初七日、四十九日などの法事などで、
遺(のこ)された人が、自然のように故人のことを私も語りあったりしてきた。

やがて悲嘆は時が過ぎれば、浄化されいくが、
こうした根底には故人に遺(のこ)された人がそれぞれ語り合いながら、
結果的には故人から励まされて、遺(のこ)された人は、生きる力を与えられる・・
このようなことを思い馳せたりしている。



余談であるが、確か10年前の頃、
私は「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。

がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でも、そう簡単なことでは、ありません。

現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、
心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、 救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、苦笑したこともあったりした
コメント
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