過ぎし4日の前、本屋に寄り、新書本コーナーを見たりしていたら、
『 古関裕而―流行作曲家と激動の昭和 』(中公新書) を見かけて、
手に取ったりした・・。
そして本の裏表紙の帯を読んだりした・・。
《・・古関裕而(一九〇九~八九)は忘れられた名作曲家である。
日中戦争中、軍歌「露営の歌」で一世を風靡、
アジア・太平洋戦争下のニュース歌謡や戦時歌謡を多く手がけ、
慰問先でも作曲に勤しんだ。
戦後は鎮魂歌「長崎の鐘」、東京五輪行進曲「オリンピック・マーチ」、
映画「モスラ」劇伴音楽と、
流行歌からスポーツ音楽まで数々の名曲を残す。
戦争、そしてテレビの普及まで、昭和史を彩った彼の生涯をたどる。・・・》
私は小学生の頃、この当時、生家のラジオから歌が流れて、聴いたりした・・。
後年になって作曲家の古関裕而さんの創られた曲と知ったのは、
1947年『とんがり帽子』(作詞:菊田一夫、歌:川田正子)、
1949年『長崎の鐘』」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)
1949年『イヨマンテの夜』(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1952年『黒百合の歌』(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子)
1953年『君の名は』(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子)
1954年『高原列車は行く』(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)
『 古関裕而―流行作曲家と激動の昭和 』(中公新書) を見かけて、
手に取ったりした・・。
そして本の裏表紙の帯を読んだりした・・。
《・・古関裕而(一九〇九~八九)は忘れられた名作曲家である。
日中戦争中、軍歌「露営の歌」で一世を風靡、
アジア・太平洋戦争下のニュース歌謡や戦時歌謡を多く手がけ、
慰問先でも作曲に勤しんだ。
戦後は鎮魂歌「長崎の鐘」、東京五輪行進曲「オリンピック・マーチ」、
映画「モスラ」劇伴音楽と、
流行歌からスポーツ音楽まで数々の名曲を残す。
戦争、そしてテレビの普及まで、昭和史を彩った彼の生涯をたどる。・・・》
私は小学生の頃、この当時、生家のラジオから歌が流れて、聴いたりした・・。
後年になって作曲家の古関裕而さんの創られた曲と知ったのは、
1947年『とんがり帽子』(作詞:菊田一夫、歌:川田正子)、
1949年『長崎の鐘』」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)
1949年『イヨマンテの夜』(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1952年『黒百合の歌』(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子)
1953年『君の名は』(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子)
1954年『高原列車は行く』(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)
これくらいの歌は盛んに聴いたりしていたが、
《・・日中戦争中、軍歌「露営の歌」で一世を風靡、
アジア・太平洋戦争下のニュース歌謡や戦時歌謡を多く手がけ、
慰問先でも作曲に勤しんだ。・・》は、無知であった・・。
私は楽譜も読むことができず、短調、長調も知らず、つたない感性で、
こよなく音楽を聴いている実情であるが、
作詞家の著名な御方の評伝は、好奇心に負けて、8名の著名人の御方はに購読してきた・・。
しかしながらメロデイー・ラインの理論、音符も知らないので、
作曲家の御方の評伝は避けたりしてきた。
今回、作曲家の古関裕而さんの足跡に導かれて昭和の社会状況を学ぼうと思い、
購読して、多々教示されたりした。
もとより歌は、世につれて・・名言されている通り、時代を映す鏡であり、
作曲家の古関裕而さんは、軍歌を作曲された事情も学んだりした・・。
今回の『 古関裕而―流行作曲家と激動の昭和 』(中公新書)を著作された御方は、
日本大学で日本近代史を専攻されている刑部芳則さんである。
そして刑部芳則さんは、昭和歌謡のレコードや歌詞を収集し、
5000枚にのぼるレコードを保管されながら、関連資料を懇切丁寧に吟味して、
本書を上梓されている。
そして刑部芳則さんに導かれて、古関裕而さんの足跡を学び、
昭和の特に戦前の社会状況を学んだりした。
私は本書を読み終わった後、強く心の中に残った一章がある。
《・・日中戦争が起きなければ、古関裕而は古賀政男や服部良一と肩を並べて、
昭和の三大作曲家になることはできなかったろう。
勇壮さに欠ける古賀メロディーと、
敵性音楽のジャズを基本とした服部メロディーは戦時中に息を潜めた。
クラシック音楽を主軸とした古関メロディーの独壇場となったのである。
日中戦争とアジア・太平洋戦争へ突入したことは、
古関裕而の天才的な持ち味を発揮するときがきたといえる。
しかし、古関裕而のにとってのその「時の運」はあまりにも悲しいものであった。
中国大陸で見た悲惨な光景は『露営の歌』となり、
インパール作戦では胸が痛くなるような体験を味わった。
戦局が悪化していくと、彼が作る楽曲は勇壮さよりも悲壮感が増していった。
本書の240ページから241ページの一部・・》
こうしたこと私は学び、しばらく溜息を重ねたりした。
そして刑部芳則さんは、昭和歌謡のレコードや歌詞を収集し、
5000枚にのぼるレコードを保管されながら、関連資料を懇切丁寧に吟味して、
本書を上梓されている。
そして刑部芳則さんに導かれて、古関裕而さんの足跡を学び、
昭和の特に戦前の社会状況を学んだりした。
私は本書を読み終わった後、強く心の中に残った一章がある。
《・・日中戦争が起きなければ、古関裕而は古賀政男や服部良一と肩を並べて、
昭和の三大作曲家になることはできなかったろう。
勇壮さに欠ける古賀メロディーと、
敵性音楽のジャズを基本とした服部メロディーは戦時中に息を潜めた。
クラシック音楽を主軸とした古関メロディーの独壇場となったのである。
日中戦争とアジア・太平洋戦争へ突入したことは、
古関裕而の天才的な持ち味を発揮するときがきたといえる。
しかし、古関裕而のにとってのその「時の運」はあまりにも悲しいものであった。
中国大陸で見た悲惨な光景は『露営の歌』となり、
インパール作戦では胸が痛くなるような体験を味わった。
戦局が悪化していくと、彼が作る楽曲は勇壮さよりも悲壮感が増していった。
本書の240ページから241ページの一部・・》
こうしたこと私は学び、しばらく溜息を重ねたりした。
余談であるが、刑部芳則さんは、NHK連続テレビ小説「エール」に於いて、
風俗考証を担当されている。
風俗考証を担当されている。