夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

人生の最期、どんな看護を受けて過ごす、改めて私は真摯に学び、多々教示されて・・。

2019-08-31 16:29:05 | ささやかな古稀からの思い

先程、パソコンを立ち上げて、ヤフー・ジャパンのライフ記事を見ている中、
『 人生の最期にどんな看護を受けて過ごす?  近年増加する老人ホームでの「看取り」 
と題された見出しを見たりした。


私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、 程ほど貯金を取り崩しながらささやかに過ごしている。

こうした中、過ぎし35年近くのサラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
15年近く過ごしてきた年金生活は、予測した以上に安楽な生活を享受している。

しかしながら、誰しも高齢者になれば、いつの日か自身が亡くなる時を思い馳せる時があると思われ、
何かと単細胞の私でも、漠然としながらも思案する時がある。

               

たとえば、いつの年か身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化を増す中、
布団の中で幼年期以来、オシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。

やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そして、この間に家内からは 『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

やがて私の葬儀の中、家内が私の兄妹、知人に、
『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が言ったりしてくれれば、私はあの世で満足していると思われる。

このような私は、自身の終末期を私は思いめぐらしてきたが、
大病に遭遇、或いは介護・要、そして死去の時期にしても・・こればかりは、
神様か仏様の采配される世界だと、親兄弟、知人を見たりして思い深めている・・。

このような深情を秘めた私は、今回の《・・人生の最期にどんな看護を受けて過ごす? 》、
そして《・・近年増加する老人ホームでの「看取り」・・》って、 どのようなことですか・・
やはり実態を学びたく、記事を精読してしまった。

                

この記事の原文は、公式サイトの【  夕刊フジに於いて、医師でジャーナリストの富家 孝(ふけ・たかし)さんが、
『続・長生きは本当に幸せか?』の連載している寄稿文のひとつで、
2019年8月30日で配信され、 無断であるが殆どを転載させて頂く。

《・・人生の最期にどんな看護を受けて過ごす? 近年増加する老人ホームでの「看取り」

人生の最期に、自分がどんな看護を受けて過ごすのか、知らない方が多いのに驚きます。

ピンピンコロリの理想的な死に方は例外として、
たいてい、がんなどを患い、最期は「終末期医療」(ターミナルケア)を受けることになります。

そして、最終的には「看取り」によって、この世から旅立ちます。

終末期医療と看取りにいて、その違いを知っておくことは、本人にとっても家族にとっても重要です。

 
               

まず、終末期医療ですが、ここでは、緩和ケアが中心になります。
がんなどの痛みを和らげるために、
鎮痛剤、モルヒネ、神経ブロック(局所麻酔の一種)などによる治療が行われます。

また、患者さんのQOL(生活の質)を重視して、
「スピリチュアル・ケア」と呼ばれる精神面のケアも行われます。
つまり、主に医学的なアプローチによって、終末期の患者さんを看護・治療するのです。

 
これに対して「看取り」は、医学的なアプローチというより、
死を前にした「介護」というべきものです。

公益社団法人全国老人福祉施設協議会の「看取り介護指針・説明支援ツール」では、こう定義されています。

 「『看取り』とは、近い将来、死が避けられないとされた人に対し、
身体的苦痛や精神的苦痛を緩和・軽減するとともに、人生の最期まで尊厳ある生活を支援すること」

 
つまり、患者さんの食事や排せつの介助や、褥瘡(じょくそう)の防止など、日常生活のケアが中心になるのです。

               

以上は、患者さんにとって大きな違いとは言えませんが、それをどこで受けるかで違ってきます。
終末期医療は、主に病院の緩和ケア病床、慢性期の療養病床となります。

看取りは、介護療養型老人保健施設、特別養護老人ホームなど。
自宅で看取りケアを受けるケースもあります。

ただ、病院などで在宅での看取りを実施しているところは、全医療機関のわずか5%しかありません。

 
これまでは、患者さんは終末期を迎えると、
入院を余儀なくされ、そこで、人工呼吸器を付けたりする延命治療が行われてきました。
近年は患者さんの意思を確認のうえ、むだな延命治療は少なくなってきました。

 
こうした変化から、2006年の介護報酬改定において「看取り介護加算」が創設されました。
看取りは広まり、老人ホームで看取りを行なっていないところは、ほとんどなくなりました。

さらに、昨年は、介護保険制度に「介護医療院」という新しい施設類型が創設され、
ホームでの看取りはさらに広まりました。

 
厚労省の調査によると、特別養護老人ホームの76・1%、
老人保健施設の64・0%、介護療養型医療施設の81・9%が
「看取りを行っている」と回答しています。

 
ただし、現代人は、やはり病院で死ぬというのが、いちばん多いのです。

               

老人ホームで看取りケアを受けていても、体調が悪化した場合には、
看護師が嘱託医に指示を仰ぎ、協力病院もしくは指定病院に緊急搬送することが多いからです。

 
老人ホームで息を引き取った場合は、
医者が呼ばれて検視を行い、死亡診断書を書いて、家族に死を知らせます。

 
看取りケアを行ってほしいときは、各施設にその旨を頼みます。

施設では、看取り介護指針、重要事項説明書、急変時や終末期における医療等に関する意思確認書の内容を
説明してくれます。
そうして、これらに同意すると、「看取り介護計画書」が作成されます。

 
ご自身がどのようなプロセスで死を迎えるか、早くから理解しておくことはとても重要です。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

               

記事を読み終わった時、多々教示されて、溜息をしたりした・・。

私の父は、肝臓を悪化して、町の医師に来宅して頂き、自宅治療をしていたが、
まもなく私が小学2年生の時に、42歳の若さで病死した。

やがて母は、モルタル造りのアバートを経営して、実家から別居していた。

こうした中で、私が20代の終わりの頃の結婚前に、母と一時同居していた時、
遠い親戚の裕福の女性の御方が、身体を壊して、高級な介護施設に入居されていたが、
たまたま母が見舞いに行った時は、植物人間のような状態であった、と教えられた。

『あたし・・嫌だわ・・そこまで生きたくないわ』 と母は私に言った。

母は寝たきりになった時の自身の身を想定し、実家である私の兄の宅などで、
下半身の世話をなるのは何よりも険悪して、何気なしに死生観のことを話し合ったりしていた。

そして容態が悪化して、病院に入院して、一週間ぐらいで死去できれば、
多くの人に迷惑が少なくて良いし、何よりも自身の心身の負担が少なくて・・
このようなことで母と私は、自分たちの漠然としながらも、死生観は一致していたりした。

こうした母の根底には、敗戦後の前、祖父の弟、父の弟の看病を数年ごとに看病し、
やがて死去された思いがあったと思われる。

そして近日に植物人間のように状況で、介護されている遠い親戚の方を見た思いが重なり、
このような考え方をされたのだろう、とこの当時の私は思ったりした。

やがて母は私が50代の初め、婦人系のガンで、都内の病院で幾たびも入退院された後、
私が53歳の時、母は78歳で亡くなった。

しかし母が懸念した下半身の世話をなることがなかったので、私なりに安堵したことは確かであった。

              

私は年金生活を始めて、3年過ぎた頃から、
いつの日にか認知症、脳梗塞など、そして寝たきりになる前に、
ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしていた・・。                   

過ぎし10数年の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろど)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。

そして、いつものように木のベンチに私は座り、ペットポドルの煎茶を飲みながら、少し休息をした・・。

この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。

この遊歩道で、独りで歩き、好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、
といった状況を願ったりした・・。

              
 
                                                             
しかしながら、この5年を過ぎた頃、私は「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。
がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でも、そう簡単なことでは、ありません。

現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、
心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、 救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、苦笑したりした。

そして『急性心筋梗塞』の場合は、
《“バットで思い切り、胸を叩かれた感じ”、 “熱した鉄棒を、左胸のあたりに、突き刺されたみたいだった”
と口にしていた。 ・・
手足をバタつかせて、もがきながら、救急車内で搬送中に、心肺停止するケースもありました」・・》

このような『急性心筋梗塞』のことを学び、
何かと小心者の私は怯(おび)えながら、 勘弁してほしい、と思ったりしてきた。

このような終末期を私は思いめぐらしてきた・・。 

                          

この後、親戚の叔父さん3名も、終末期に3年から5年も入院され、
こうした中、ふたりの叔父さんは自分の意思はなく、多大な手厚い延命治療を受けて、
やがて病院で亡くなってきた。

こうした話を私は聞いたりしてきたが、 自分で食物を口に運び、食べられなかったら、
もとより延命治療は断り、 痛みだけを執(と)って下さる平穏死を選ぶょ、
と私は家内に幾たびも言ったりしてきた。

家内も胃ろうや人工呼吸器などの延命治療は、お断りですから・・ と私に言ったりしている。
このような話を私たち夫婦は、幾たびも話し合ってきた・・。

今回、人生の最期にどんな看護を受けて過ごす・・終末期の最大の難題・・
やはり私は自宅の場合は介護して下さる御方の負担を考えれば、
病院で延命治療は断り、 痛みだけを執(と)って下さる方法で、あの世に旅立ちたい、
と願ったりしている。
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