昨夜、パソコンを立ち上げて、ヤフー・ジャパンのライフ記事を見ている中、
『 長生きの最大の秘訣は「主観年齢を若く保つ」
近年の研究で証明も 続・長生きは本当に幸せか? 』
と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、 程ほど貯金を取り崩しながら、 ささやかに過ごしている。
こうした中、過ぎし年に民間会社のある会社に35年近く勤めて、
2004年(平成16年)の秋に定年退職したが、この間、幾たびのリストラの中、
何とか障害レースを乗り越えたりしたが、 最後の5年半はリストラ烈風が加速され、
あえなく出向となった。
そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、 身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、
定年後はやむなく年金生活を始め、早や15年目となっている。
年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
このような深情を秘めた私は、《・・長生きの最大の秘訣は・・「主観年齢を若く保つ」・・》って、
どのようなことですか・・と思いながら記事を精読してしまった。
この記事の原文は、公式サイトの【 夕刊フジ 】に於いて、医師でジャーナリストの富家 孝(ふけ・たかし)さんが、
『続・長生きは本当に幸せか?』の連載記事のひとつで、2019年8月23日で配信され、
無断であるが記事の殆どを転載させて頂く。
《・・長生きの最大の秘訣は「主観年齢を若く保つ」 近年の研究で証明も 続・長生きは本当に幸せか?
「年相応」という言葉があります。
日本人はことさら年齢を気にし、自分の年齢にあった行動をしがちです。
老人が若者のような行動をすると、「いい年をして」と言われます。
しかし、年をとったら、年相応の行動をしてはいけません。
また、自分が老け込んだと思うこともよくありません。
「気持ちだけは若く」とよく言われますが、これは長生きをする最大の秘訣です。
なぜなら、近年の研究で、このことが証明されてきているからです。
4年前、アメリカの医学雑誌に紹介された、
フランスの研究者が行った「主観的年齢と認知能力」という研究では、
BMI(肥満指数)が低く活動的な人に、自分が実年齢より若いとのイメージを持ち続けている人が
多いことが突き止められています。
この調査は10年かけて行われましたが、実年齢に比べて、若いと思っている人々は、
実年齢に比べて、老いていると感じる人々より、記憶力と認知機能のスコアが高かったのです。
ここでのキーワードは、「実年齢」と「主観年齢」です。
実年齢は実際の年齢、主観年齢は自分が思う年齢です。
米バージニア大学の研究者たちは、人生における実年齢と主観年齢の違いが
どう変化するかを調査しました。
その結果は、子供や若者のほとんどは、実年齢よりも、主観年齢のほうが高いのですが、
25歳で逆転します。
ここからは、主観年齢が、実年齢よりも低くなるのです。
30歳になるまでに全体の7割が、実年齢よりも自分は若いと感じるようになり、
それ以降は差異が広がるだけなのです。
つまり、現代ではほとんどの人が、自分は実年齢より、若いと思っています。
そして、その思いが、実際に若さを保たせ、寿命を伸ばしているのです。
年をとるにつれて、性格は丸くなります。
そうして、だんだんに人と付き合うのがおっくうになり、新しいことには消極的になります。
このような傾向は、主観年齢が高い人ほど、顕著に表れるといいます。
自分が実年齢より若いと思っている人は、人付き合いもよく、新しいことにも挑戦するのです。(略)
アンチエイジングは、心の持ち方次第で、可能になります。
少なくとも、老け込むことを遅らせることができるのです。
このようなことから、「気持ちだけは若く」が本当だということがわかります。
いつまでも若くありたいと願うなら、自分は若いと思い、できるだけ若い行動をとればいいのです。
主観年齢と実年齢の研究は、今後も進んでいきます。
いまや、自分が若いと思った人が若く、自分は年寄りだと思った人が年寄りという時代になりました。
ただし、思うのはいいですが、年をとれば体がついてこなくなります。
そういうときは、体には無理をさせず。気持ちだけを若くもつこと。
これが、いちばん大事です。
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で築後40年が過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活15年近く過ごしてきた。
そして私は9月下旬の誕生日を迎えると、後期高齢者入門の75歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると、古希と称される70歳となる。
こうした中、 こうした根底には、何かと単細胞の私は、ここ数年、私が意識的に深めていることは、
介護などの必要がなく、 日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」をみると、
男性が72.14歳、女性が74.79歳(厚生労働省、2016年の推計値)で、
平均寿命とは男性で8.84年、女性は12.35年の差が実態となっていることである。
こうした中で、約10年もの間、何らかの介護支援が必要となる、 と改めて教示されて、
動顛をしたり、溜息を重ねたりしてきた・・。
いずれにしても、それぞれ多くの御方が自助努力をされ、
自身の日常生活も何とか制約され、人に頼よることの多い介護・要の期間をできる限りないように願い、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われるので、
ときおり私も歩きながら念願する時もある。
そして何かとプラス思考の私は、もしかしたら80歳の御誕生日を健康寿命で迎えられるかしら、
と微笑んだりしている。
しかしこうしたことは、自身の自助努力が肝要であるが、
こればかりは単細胞の私でも、仏様か神様が采配される世界だよねぇ・・微苦笑する時もある。