夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

くも膜下出血と急性心筋梗塞 死ぬ時はどのくらい苦しいか、気弱な高齢者の私は学び、動顛して・・。

2016-08-11 15:30:04 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、自動車もない稀(まれ)な家となっている。

我が家は平素の日々の買物は、私が定年後に年金生活を始めて以来、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

こうした中で、家内が駅前のスーパー、ホームセンター、専門店などには3週間に一度ぐらい行くが、
たまたま本日の午前中、老ボーイの私は、家内のボディガード、お供そして荷物持ちをして、帰宅した。

昼食後、ときおりネットで愛読している『NEWS ポストセブン』を見ている中、
【 くも膜下出血と急性心筋梗塞 死ぬ時はどのくらい苦しいか 】と見出しを見て、
何かと気弱な私は、どのようになってしまうの、と思いながら、こっそりと読んでしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年2月5日号に掲載された記事のひとつで、
関連の『NEWS ポストセブン 』に於いて、2016年1月29日に配信された記事であり、
無断であるが転載させて頂く。
            

《・・誰しも安らかに、逝きたいと願うもの。
また、愛する人や親しい人には、どうか苦しまずに、旅立ってほしい。

しかし、「死ぬ瞬間」に感じる辛さは、その死因によって残酷なまでに異なると
米山医院院長の米山公啓医師が指摘する。

「医療技術は、格段に進歩しましたが、激しい痛みや苦しみを伴って、亡くなるケースはまだあります。
残念ながら、死に至る苦痛は、平等ではないのです」

死ぬ瞬間、人はどのような辛さを感じるのか。
まずは日本人の死因の上位を占める脳卒中と急性心筋梗塞を見てみよう。
            

脳梗塞や脳出血などの脳卒中(脳血管疾患)の一種で、
とくに激しい痛みで知られるのが、くも膜下出血だ。

3年前に発症したAさん(58歳)が、当時を振り返る。

「最初は突然、足に力が入らなくなり、思わずしゃがみこむと、
後頭部をガーンと思い切りハンマーで、殴られたような衝撃を感じた。
これまでの人生で経験したことのない痛みでした。

次第に激しい吐き気を感じたかと思えば、今度は寒気が襲ってきて、その場から一歩も動けなくなりました」

すぐ病院に搬送されたAさんは、幸いにして一命を取り留めた。

しかし、そのまま死に至ってしまうケースが少なくない。
医療ジャーナリストで医師の森田豊氏は、「くも膜下出血を発症された方の3分の1近くが、
亡くなられている」という。

「元気だった人が突然、頭を押さえて表情を歪め、そのまま亡くなることも多い。
ほとんどのケースで予兆がなく、いきなり症状がやってきます。

この病気は、脳内の狭いスペースで出血するから、痛みが圧縮されて激痛となる。
じわじわした痛みではなく、唐突に生じる痛みです。
あまりの衝撃に、苦悶の表情を浮かべたまま、気を失う患者もいます」
            

救急救命士で帝京平成大学健康メディカル学部の鈴木哲司准教授は、
救急医療システム学が専門で、救急医療の最前線を経験している。
そんな鈴木准教授が生死の懸かった現場で、患者が「辛そう」だと感じたのが、急性心筋梗塞だ。

「心臓に酸素や栄養を送る血管である冠動脈が、突然詰まって血栓ができ、
血流がストップして、心臓が壊死してしまう病気ですが、多くの搬送を見てきた中で、最も苦しそうでした。

経験された方々は、“バットで思い切り、胸を叩かれた感じ”、
“熱した鉄棒を、左胸のあたりに、突き刺されたみたいだった”と口にしていた。

手足をバタつかせて、もがきながら、救急車内で搬送中に、心肺停止するケースもありました」

重態の場合は、発症から3時間以内に絶命するケースが、
ほとんどで「それまでが治療のゴールデンタイムなので、迅速な119番を心がけてほしい」と話す。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私たち夫婦は子供に恵まれず、もとより子供に介護などは頼ることは出来ないので、
いつの日にか介護を要する身となった時は、介護施設に入居するか、或いは自宅でするか、
漠然としながらも思案し、ときおり私たち夫婦は話し合ったりしている。
        
ここ数年、私が何よりも恐れていることは、認知症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで認知症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が認知症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。

或いは逆に家内は認知症となり、私が看病する場合も同様である。

認知症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。
                                     

このような私の思いから、認知症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。
            

過ぎし6年の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
      
そして、いつものように木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、少し休息をした・・。

この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。

この遊歩道で、独りで歩き、好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、
といった状況を願ったりしたのである。
                                              

或いはいつの年か身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化を増す中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。

そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

やがて私の葬儀の中、家内が私の兄妹、知人に、
『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が言ったりしてくれれば、私はあの世で満足していると思われる。
                                      
          
こうした心情を重ねてきた私は、数年前に「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。

がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でも、そう簡単なことでは、ありません。

現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、
救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、やがて微苦笑したりした。
          
このように70代か80代のいつの日にか末期となると思われるが、
こうした「ピンピンコロリ」と突然にこの世とお別れになるか、
或いは入院もわずかで死去したい、と念願しているが、どのようになるか、今の所は漠然としてきた。
                        

このような深情で過ごしてきた私は、今回の記事を読み終わった後、動顛させられた。

『くも膜下出血』は、《・・「最初は突然、足に力が入らなくなり、思わずしゃがみこむと、
後頭部をガーンと思い切りハンマーで、殴られたような衝撃を感じた。
これまでの人生で経験したことのない痛みでした。

次第に激しい吐き気を感じたかと思えば、今度は寒気が襲ってきて、その場から一歩も動けなくなりました」・・》
と読みながら、何かと気弱な私は、このような病状は勘弁してほしい、と瞬時に感じたりした。

或いは『急性心筋梗塞』にしても、《・・、“バットで思い切り、胸を叩かれた感じ”、
“熱した鉄棒を、左胸のあたりに、突き刺されたみたいだった”と口にしていた。
・・手足をバタつかせて、もがきながら、救急車内で搬送中に、心肺停止するケースもありました」・・》
と学び、勘弁してほしい、と瞬時に思いを深めたりした。

私は小心者であり、せめて終末期は痛くないように眠るように、この世にサヨナラを願っているが、
こればかりは神様か仏様の采配で亡くなるので、つたない人生航路を歩んだ私は、果たして・・と思ったりしている。

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