夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

改めて、私なりのビートルズの『イエスタディー』の想いで・・♪

2009-03-23 14:40:29 | 音 楽
ビートルズの数多くの名曲の中に、『イエスタディー』がある。

確か1966年(昭和41年)の初めの頃だったと思われるが、
私はこの曲を知ったのは、妹がビートルズを熱愛して、
数多くのレコードを買い求めて、盛んに聴いていた。

この頃の私は、大学を中退し、映画、文学青年の真似事をしていて、
食寝を忘れるくらいに映画作品を映画館で観たり、
小説の数多くの作品を読みふけっていたので、余り音楽には興味がなかった時だった。

妹が応接間にあるステレオで、
ビートルズを大きな音量で聴いていても、
うるさいと感じながら、騒音のような音楽としか聴こえてこなかった。

ある時、メロディー・ラインが良く、英語の詩も良い、と直感した曲が、
この後に、妹から曲名を教えて貰ったのが『イエスタディー』であった。

その後、妹はビートルズが来日公演の時、
学校では禁止されていたが、無視して何とか日本武道館に行って、
公演には満足した、と私に云ったりしていた。

このように妹は団塊世代で高校の初めの頃であったから、
何事も一番感化されやすい時であるので、
音楽面はたまたまビートルズに熱中した、と思われる。

私は二十歳を過ぎたせいか、或いは映画・文学に熱愛していたので、
ビートルズからは音楽の影響は受けなかった。


その後、私が1970年(昭和45年)にある企業に中途入社して、
音楽のポピュラーとして影響を受けたのは、
サイモン&ガーファンクルの『スカボロー・フェア』、『明日に架ける橋』等の一連であった。

私は音楽に関してはメロディーも大切であるが、
このアーティストは、何を伝えたいのか、という命題を重要視していたので、
作詞を優先するひとりである。

まもなくして、私はシャンソンの世界にに魅せられ、
百枚程度のアルバムを買い求めたりし、聴き込んだりしていたが、
特にシャルル・アズナヴールには魅了させられた。
ある程度の年齢になり、若き日の青春時代を表現した『帰り来ぬ青春』(1964年)、
そして『遠い想い出』(1971年)は、友人達に絶賛したりした。

このような時に、ビートルズの『イエスタディー』(1965年)が甦(よみがえ)ってきた。
そしてビートルズのメンバーが、
あの若い時に《青春時代》を凝縮させた表現出来たのは、
天才という以外の言葉は見つかず、唖然とさせられたのである。

この『イエスタディー』の曲は、世界の著名の歌手に多く歌われ、
日本に於いても名のある歌手も多く取り上げていた。

私は、少なくとも10人以上の歌い手のレコード、カセット、
そしてCDで聴いている。


こうした間に、映画の『ワンス・アホン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)に於いて、
ロバート・デ・ニーロが扮する主人公が駅構内で過去を回想するシーンに、
この曲が流れた。
私はこの感覚には思わず(うな)り、そして感銘した・・。

映画の音楽は、このように使うと映画の画面が引き立ち、
効果のある見本でもある。

このことは、監督・脚本のセルジオ・レオーネ、
そして音楽のエンニオ・モリコーネの功績であるのは、いうまでもない。

私はビートルズからは影響は受けてはいないが、
このたった一曲であるが『イエスタディー』の曲だけは、
最初に聴いてから、ここ40年は絶賛している。


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雨の日、ときには『西條八十』を学び・・。

2009-03-23 08:01:17 | 音 楽
私は東京郊外に住む64歳の年金生活の身であるが、
先程、ぼんやりと地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時過ぎ12度で、昼下がりには17度前後となり、夜の6時は10度前後と予測され、
快晴の一日であるが、ときおり北風が強く吹きますので、
幼児・ご高齢者は特にご注意の程をお願いします、
と私には聴こえたのである・・。


昨日は朝の10時すぎから雨が降りだし、ときおり風の舞う日中となった。

こうした折、私は一冊の本の読むのに最適と思い、
居間のソファーの椅子に座ったり、そして寝室の布団にもぐり、
文庫本を読みはじめたのである・・。

この文庫本は数日前に買い求めた一冊であり、
筒井清忠・著の『西條八十』(中公文庫)である。

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9984031969

私は買い求める気持ちになったのは、
昭和19年に東京郊外で生を受けて、
幼年期の時、このお方の歌謡曲がラジオから流れ、
私は聴き入ったことがある。
こうしたことは、後年に作詞家の西條八十氏の作品であった、
ということを知ったのであった。

何より興味があったのは、本の裏の明記された、
【・・
戦前戦後のヒット曲に作詞家として名を連ね、
ランボー研究をはじめ、詩人・フランス文学者としても大きな足跡を残した西條八十。
多大な功績にもかかわらず近代文学の系譜から疎外されてきた、
忘れられた巨人の生涯を精緻に描いた初の本格的評伝。
第57回読売文学賞、第14回山本七平賞特別賞、
第29回日本児童文学学会特別賞受賞。
・・】
こうしたことを読みながら、
私は西條八十氏は数々のヒット曲を遺(のこ)された単なる作詞家だけでなく、
《 近代文学の系譜から疎外されてきた ・・》
このような文面を読むと、読みたくなるのが私の性格のひとつである。


こうして、雨の降る静寂な午後、私は読みふけったのである。
第一世界大戦後、パリに留学した氏が、この頃のパリの状況、心情などを
読むと、
まぎれなく文化史である、と思索させられたりした・・。

このように読み込むと、中々ページが進まず、
5時間ばかり読書であっても、3分の1程度であり、
私は苦笑したりしたのである。


従って、もとより読了していないので、書評は綴れないが、
私の幼年期に於いて、このお方が作詞された名曲のひとつから、
慰められた想いである。


【 幼年期の心の歌は、『越後獅子の唄』・・♪ 】
と題し、2006年11月24日にあるサイトに投稿したが、
改めて西條八十氏に敬意し、あえ再掲載をする。

【・・
私は目覚めた時、ときおり鼻歌を唄うことがある。

今朝はどうした心持ちであるのか解からないが、

♪笛にうかれて 逆立ちすれば
 山が見えます ふるさとの
 
   【『越後獅子の唄』 作詞・西條八十】

口ずさんでいた。

家内は笑っていて、
『貴方・・どういう風のふきまわし・・』
と言ったりした。

私にもどうしてこの歌を口ずさんだか、
瞬間解からなかった・・・。


私は昭和19年に東京の郊外で、農家の子と生を受けた。
男の子ばかり続けて生まれた三男坊であったので、
余り期待されていないようで、いじけた屈折のある可愛げのない私の幼年期であった。

小学校の幼年期、映画が何よりの楽しみであったので、
映画館にひとりで行くのが好きだった。

こうした時に映画で観た中で、幼年心として、ひとつの歌が心に沁みた・・。


♪わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
 
【『越後獅子の唄』 作詞・西條八十】


私は周囲から孤独感を勝手に感じ取り、
寂しい時は心の中で、この歌を唄っていた・・。

後年、この歌は『越後獅子の唄』であり、昭和26年に松竹映画『とんぼ返り道中』の主題歌として、
越後獅子の少年を美空ひばりが演じていた、
と解かった懐かしい映画のひとつとなった。

私が身勝手に孤独感を感じ、屈折した幼年期を過ごしたが、
この歌は心を癒(いや)して、慰めてくれた貴重な心の歌となっている。
・・】

このようにつたない綴りであるが、
このほかにも数多くの西條八十氏の作詞された歌の想いである、
と私は思わず微笑んだりした。



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