夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京の郊外の我家、啓蟄(けいちつ)』の頃を迎えれば・♪

2009-03-05 08:08:13 | 定年後の思い
今朝、ぼんやりとカンレダーを見ていたら『啓蟄(けいちつ)』と明示され、
微苦笑をしたりしていた。

古人から、地中に冬眠していた虫たちも目覚め穴から這い出しきたり、
一雨ごとに暖かくなってくる時節、
と伝えられている。

我家の庭は、白梅散りはしめ、紅梅は満開となり、群生させた日本水仙が咲いている。
そして庭の外れに、蕗の薹(ふきのとう)が早春の息吹のように日増しに大きくなっている。

手入れを余りしない花壇からは、クロッカス、ヒアシンス、チューリップ等の春の花たちが芽を出したり、
陽当りの良い所は早くも莟(つぼみ)を見せたりしている。

落葉樹の紫木蓮(シモクレン)、無花果(イチジク)等の樹木は、芽吹き前の莟となり、
春の陽射しを待ち焦がれている。

常緑樹の白玉椿(シラタマツバキ)は清冽な白い花を咲かせ、
そして藪椿(ヤブツバキ)は、淡紅色、濃紅色の彩りを少し見せ、
昨年の12月なかばより咲いている。

こうした中で、小鳥たちが定期便のように飛来し、
朝、昼、夕暮れのひとときは、花梨(かりん)、紫木蓮の莟(つぼみ)をついばんで行く。
日中は白玉椿の密を吸ったりしている。
そして地上の黒土の上を歩きながら、餌を探し求めて、数羽がいることが多く、
私は微笑んだりしている。

しかし私は、2月の初めに白梅、そして今の時節は紫木蓮の莟となっているが、
余りは食べないで・・と思っているが大半食べられてしまっている。
残り少なくなった莟を思い、ときおり止む得なく小鳥を追っ払っている。


このように、桃の節句を過ぎた頃は、我家の庭の情景となっている。

早朝の6時に日の出となり、気温は数度で寒く感じるが、
日中は10数度の陽気に恵まれることが多くなる。

こうした頃になると、私は本格的に庭の手入れをはじめ、
草むしりをしたり、樹木の剪定をしたりして春本番を迎えたりしている。


今こうして主庭の樹木を眺めながら、綴っているのであるが、
昨夜の雨で、しっとりと清々しい中、
朝の陽射しが射し込み、もみじの小枝、白梅、そして紅梅などに雨粒をたたえた光景となって折、
私はぼんやりと眺めている・・。







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