私は民間会社を定年退職後、まもなくしてプログの世界を知り、
四つばかりのサイトに加入して、ほぼ毎日数通は綴ってきた。
投稿が出来なかった日は国内旅行に行っているか、
左目が赤っぽくなり、眼科の医師から一日だけドクター・ストップ、
そしてパソコンが壊れ、買い替えまでの5日間だけと思われる。
私は先程から、3月の中旬はどのような思いで日常を過ごしていたが、
3月15日を中核に読み返していたのである・・。
2005年3月15日に於いては、
【 街の中では・・。 】
と題して、投稿していた。
【・・
最近、出不精になったのか、余り家から出かけなくなった。
スーパーに買物に行くか、遊歩道を散策する程度である。
本日ちょっとした用事があったので、街に出た。
行きは散歩がてら歩いて行った。
途中、神社の境内の入り口に白梅が五、六本あり満開であった。
その中で、早咲きの大島桜が咲いていた。紅梅を薄くしたような色合いだった。
静寂な境内のはずれに、白と薄紅の彩りの光景にしばらくただずんでいた・・。
街に出ると、商店街の歩道で羽織袴の女性を見かけた。
付近に音楽専門大学があり、小学から大学までの著名な学校がある。
この生徒達が卒業式か謝恩会なのだろう。
六、七人羽織袴の生徒たちを見ると、華やいだ容姿の中に、清楚さを感じ、幸福を頂いたように思えた。
しばらくすると、母親と振袖姿の娘の二人ずれとすれ違った。
私は思わず振り返った。
春の訪れ・・ここにもあり、微笑ましく、見詰めた。
やはり女性は、ときたま和服がよろしいのではないか、と余計な事を感じた。
帰路は、バスの中で、小学生の十数人と出会った。
小学五年生ぐらいかな、と思いながらも声をかけた。
『貴女達、六年生ぐらいかなぁ・・』
とひとりの女の子に声をかけた。
『いいえ、三年生です』
と答えた。
『そぉ、小父さん、解んないなぁ・・』
と私は少し照れて、赤面した。
女の子達は、小さな声で、
『あの小父さん、あたし達のこと、六年だって・・』
と笑いながら話あっていた。
春の楽しいひとときでした・・。
・・】
2006年3月15日に於いては、第一弾として、
【 穏(おだ)やかな朝の陽射しにつつまれて・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
東京の郊外は、春の陽射しにつつまれた朝を迎えている。
6時半過ぎに戸を開け放ち、煎茶とコーヒーを淹れて、
朝刊を読み始める・・。
居間に朝の陽射しが差し込んで、主庭を観ると、しだれ紅梅も陽射しを受けている。
この樹木の地表は苔で覆われて、ふきのとうが10数個浮いているようだった。
日増しに成長し、春の匂いをもたらしてくれる。
このしだれ紅梅付近は、春の時、朝の二時間ばかりしか、陽射しが当たらず、
ほんのひとときの光景でもある。
日本水仙、白梅、しだれ紅梅、そして白玉椿、藪椿の花に心満たされ、
紫木蓮の莟も膨らみ、無花果、花梨が芽吹きをはじめている・・。
東京の郊外の我が家は、こうして春の日を迎えている。
・・】
2006年3月15日に於いては、第二弾として、
【 私の告別式にこの一曲を・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
私は、家内には葬儀に関して、親族のみで行うように、伝えている。
自宅でささかなに行い、和花につつまれて、そして音楽をながしてほしい・・
選曲は私が生前揃えて置くから、と・・。
今、音楽を聴いているが、ふうっととりとめなく、この一曲も良い、と思った。
そして、東北の山里に樹木蔡で埋葬してもらう、
このようなことを家内とここ五年話し合っている。
普通の墓地は少なくとも生者の慰めであり、
山里の土に還る、というのが私に相応しい、と思考を深めている。
この一曲は、『アルビノーニのアダージョ』である。
素直に美に触れことの出来る曲のひとつである。
私は日常の美を追求し、はからずも拙(つたな)い知識に埋もれ、
無名の死に相応しい、と思ったりしている。
・・】
2006年3月15日に於いては、第三弾として、
【 昼前後の買い物・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
10時過ぎに、春の陽射しの中、銀行に行った。
住宅街の路上も陽射しを燦燦と受けて折、
布団を乾したり、庭の手入れをしているお宅があったりした。
住宅地のバス通りに面した処に銀行はあるが、
平日のこのような時間帯は、行内は私を含めても少なかった。
通帳の記載した後、保険の振込みをする。
その後、最寄のスーパーに寄り、つぶ餅ピーナッツを購入する。
柿ピーの一種であるが、購入したメーカーのは、ここ五年愛食している。
帰路、公園に立ち寄り、欅(けやき)の芽吹きはまだかしら、と見上げたりした。
あと数週間が過ぎれば、萌黄色の芽吹きが観られる予感がする。
家に一旦戻り、プリンター用のインクタンクと用紙の予備在庫を確認した後、
家電量販店に行く。
川べりの遊歩道は、川風に吹かれたが、
寒くはなく、心地よいほどであった。
私はこの量販店に行った時は、DVDの映画作品をときたま買ったり、
パソコンの最新型を観て、驚いたりしている。
私は昭和44年にコンピューターの専門学校で初めて触れ、
会社で専門職として20年間担当し、
その後にWebの世界を知ったが、技術の進化にため息を付いたりしている。
・・】
2006年3月15日に於いては、第四弾として、
【 ときには名曲を聴きながら・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
家内が留守のを幸いに、
少し音量を上げて、クラシックを聴いたりしていた。
アルビノーニの『アダージョ』、モーツァルトのビアノ協奏曲『第20番』
そして交響曲『第40番』、『第41番』を聴いたりした。
先程、ショパンの12の練習曲 作品10を聴いている。
夜はベートーヴェンのピアノソナタ『悲愴』、『月光』、『熱情』を
純米酒の辛口を呑みながら、
聴こうとしている。
私は音楽に関しては、素養がないが、
ときおりクラシックの名曲を聴いたりしている。
・・】
2006年3月15日に於いては、第五弾として、
【 月の光は、情感にあふれ・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
先程、2階の戸締りをする時、月が観えた。
花が咲き始めた春の夜は、
日中の暖かさの余韻か、月を眺める、という気持ちにしたれる。
ぽっかりと漂(ただよ)う月の光からは、情感にあふれているようだった。
・・】
2007年3月15日に於いては、第一弾として、
【 それぞれの夫婦の先には・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
昨夕、家内が4泊5日の里帰りから帰宅した。
少し疲れている表情をしていたので、
『お寿司でも取ろうょ・・』
と私は言った。
お風呂を沸かしている間、私は家内にコーヒーを淹れて、
家内は普段着に着替えたりした。
『お母さん・・相変わらず夜は遅いし・・
私は早朝から掃除と洗濯でしょう・・寝不足よ・・』
と家内は言ったりしていた。
私は家内にお風呂に入っている間、読売新聞の夕刊を読んだりした。
この中で、月に数回と思われるが北 連一・氏が綴られている『遠景近景』連載があり、
私より10歳前後の年配のお方で、私は愛読している。
昨夕の記事の中に、曽野綾子・女史のお言葉を引用されていた。
【「仲の悪い夫婦の方が晩年は楽だな、と思うことがある。
夫婦のどちらかが死ぬと、自然に解放されるからである。
しかし仲のいい夫婦は、どちらが生き残って一人の生活をするようになっても寂しいのである」
(「一冊の本」2004年1月号、朝日新聞社)】
私は曽野綾子・女史を常日頃信頼しているので、
至言と思い、苦笑いをしてしまった。
その後、私達夫婦は配達された寿司をつまみながら、
他愛ない話をしたりした。
私は家内の留守の間は、殆ど朝風呂と決めて折、
あとは寝るばかりであったので、純米酒を普段より大目となったりした。
私は7時前に布団にもぐり、今朝は4時過ぎに目覚めた。
私は何時もの通り、6時半になると家内用のコーヒーを淹れはじめた。
・・】
2007年3月15日に於いては、第二弾として、
【 現役世代のストレス解消には・・!? 】
と題し、投稿していた。
【・・
私は今朝ネットでニュースを見て、憂いている・・。
【 私立高校長、万引きで逮捕=「ストレス感じていた」 】
という見出しの記事であった。
時事通信に寄る配信の記事であり、無断であるが転記させて頂きます。
食料品店で万引きをしたとして、千葉県営・君津所署は14日までに、
窃盗の現行犯で私立・千葉未来高校(同県・鴨川市)校長・鈴木康夫・容疑者(48歳)=鴨川市・横渚=を逮捕した。
『校長の仕事にストレスを感じていた』
と容疑を認めているという。
調べでは、鈴木容疑者は、12日午後1時15分頃、
同県・君津市末吉の食料品で、蜂蜜一瓶とうま味調味料一瓶(販売価格計1580円)を盗んだ。
商品を上着の内側に隠してレジを通らずに店を出ようとして、
男性従業員に声を掛けられ、逃走。
従業員が追跡し、約100メートル先の水田で、
足をとられて動けなくなっているところを取り押さえ、
通報で駆け付けた同署員に引き渡した。
以上が時事通信の配信記事の全文です。
私はこの記事を読みはじめた時は、
何て馬鹿げたことを思い、逃走する様子を浮ぶと悲しみとなった。
昨今、特に公職に係わる方達が、万引き、セクハラ、痴漢などでニュースを視聴するたびに、
ストレス解消が下手であると私は思っている。
多少の過ちで、ご自分の一生を棒に振るなどど、気が知れないからである。
家庭があれば、ご自分の愛妻に酒でも呑みながら、
素直に日頃からの思いを愚痴を言ったりすれば良い。
私は自分の敵は自分です、と思って職務に就いていたが、
表面は強がりな私も帰宅すれば、
ときたま深夜の晩酌の時に家内に愚痴をこぼしたりした・・。
女性に関しては、家内に分からないように適度に風俗店に行ったりした。
良いか悪いか分からないが、ストレス解消が少しでもなれば、
職務は順調になり、家庭は万全であると思っている。
私の現役時代よりも現代の現役諸氏は何かと大変なので、
それぞれご自分にあったストレスを解消して欲しいと願っている。
・・】
2007年3月15日に於いては、第三弾として、
【 過ぎ去った日々は、自分にやさしくなれる・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
10時半過ぎに、散髪屋(理髪店)に行き、樹木の花の話などをした。
梅の花が散った今、マンサク、コブシ、沈丁花が何処は咲いている、
なとどの他愛のない話である。
帰宅後、家内と昼食をすますと、これといって特に用事がなく、
ぼんやりとこのサイトに綴ったのを見たりしていた・・。
このサイトに綴りはじめて2年4ヶ月過ぎているが、
ほぼ毎日数通は投稿しているので、少なくとも2000通は越えている。
定年退職後の一ヶ月後から投稿しているので、
その時の思いが素直に熱く綴っていて、自分ながら微笑ましく思ったりした。
そして綴りの幼さもあり、ときおり赤面したりしているのである。
私は過ぎ去った日々の綴りを読むと、自分に優しく、甘くなれるのに驚いたりしている。
日本酒に詳しい研究家の太田和彦・氏の言葉をお借りすれば、
人はある年齢になると、新しさより古さを尊ぶようになる。
それは自分が生きてきた人生を肯定したいからだ。
確か月刊誌の『文藝春秋』2004年の12月に発売された時だったかしら、
と遠い記憶を思い出している。
・・】
昨年の2008年3月15日に於いては、第一弾として、
【 私の年金生活、最大のボーナスは・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
第一章
私は民間の中小業の会社を定年退職後、
年金生活の4年生の身である。
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をし、
根拠のない自信の頼りに、アルバイトをしながら習作をしていた。
このような社会の流れの先のみえない生活を過ごしていたので、
お彼岸の折、親戚の叔父さんより、
『今はよいが・・30過ぎた時、きちんと家庭を持てるの・・』、
とやんわりと諭(さと)された・・。
私は文藝雑誌の新人募集コンクールに応募していたが、
小説部門として、最終予選には何度も残れず、
自身の努力、そして才能のなさを嘆いてもいた。
私はある時、ビジネス雑誌の『ダイヤモンド』の付録で、
『1週間でわかるコンピュータ』を手に取り、
自宅で精読したが、全くわからなかったが、
この分野は少なからず将来性ある、と思ったりしていた。
そして情報部門の処理などは、待機する時間が多いと知り、
この間で私の習作時間にあてられる、と思い、
コンピュータの専門学校でソフトウェア学科を一年ほど学んだ・・。
この頃、自宅のから程遠くない処に、
ある大企業の首脳人のお住まいがあり、お力添えを得て、
何とか大企業に中途入社できたのは、昭和45年の春で、
私は25歳の遅れた社会人のスタートとなった。
私は職場で共に席をしたのは、新卒の団塊世代の人達が多く、
この後、長らく業界の空気を共にした。
私は企業に入社してまもなく、業務を含め徹底的に企業人として教えられ、
組織の一員として邁進し、甘い期待などは思い出す暇(ひま)なく、
多忙な期間のはじまりとなったのである・・。
第二章
私が入社した直後、現場を知れ、と辞令を受けて、
各商品を製造する工場に隣接した商品管理部門で、一年弱勤務した・・、
会社の一本部部門としてレコード部門の一員であったが、
レーベル元の外資の要請で独立し、
この新しいレコード会社に私も異動させられた。
レコード会社は中小業であるが、
私は上司の手取り足取りの指導の下で精勤し、
本社の営業本部の管理課で、コンピュータの専任者となった。
数多くのサラリーマンと同様に上司を見習い激務を体験したので、
入社前の甘い期待などは跡形もなく、
組織の中の一員として過ごしたのである。
私は家内と結婚し、賃貸マンションで2年生活した後、
実家に近い処で一戸建てを建てたが、
土地・建物などの住宅ローンが家計に重くなり、
家内のパート勤務の援軍を受けて、何とか30代を乗り切ったのである。
私達夫婦は子供に恵まれなかった為か、
家計に余裕のない時でも、連休の合間に、小旅行を楽しんだりしていた。
私の業務は、会社の各業務の開発・運営に伴うコンピュータ専任であったので、
多忙な時は休日もなく、徹夜になることも数多くあった。
私は上層部から指示を受け、成果がない様だったならば、
常に退社を覚悟し、少なくとも地方勤務に放り出されると思い、
3年ごとの総合見直しにも対処できたのである。
このような形で1970、80年代を過ごした後、
私は情報部門から他の管理部門に異動したのは、50代からであった。
この頃になるとレコード会社は、外資の要請で利益の追求が厳しくなり、
各会社は総合見直しとなり、会社間の統廃合もあり、
組織の統廃合で大幅な人員削減も行われたのが多かった。
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、
上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりした。
私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。
音楽商品であるCD、ビデオテープ、DVDの保管、出荷等の管理場所であり、
私のような管理5名で、若手の男性の契約、パート社員の10名前後、
そしてパートの女性が百名前後の職場であった。
毎日CD、DVDの販売店等の注文に応じるので、
指定時間、日々、曜日、季節ごと出荷量の変動が激しいが、
これに対応させる管理もひとつであった。
私は本社から放り出され、都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、精務した。
私は振りかえると、中途入社し、最初に配置された業務部門と同様で、
30年ぶりで管理一新されたが、基本は同じなので、
鮭と同様に故郷の川に戻るか、と微苦笑をしたりしていた。
この間も私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、
或いは葉書で挨拶状を頂いたりしている中、
私は出向先で定年退職を迎えたのである。
第三章
私は音楽関係の中小業の一介のサラリーマンとして、
年収1千万円台で何とか卒業できたが、
大企業、官公庁の上層部のように高額所得地位にも成れず、
わずかな年収、退職金であったので、金融資産は程ほどである。
私の現役時代の財産といえば、
その時代と共に過ごした名曲の数多くが心に残り、
そして上司、同僚、後輩と共に音楽業界の空気を共にできたことである。
今でも、OBの懇親会などの会合の折、
流行った曲名でその時代を表現し、
そうだったよね、とお互いにうなづいたりしている・・。
私は定年退職の直前まで、失業保険の申請して、
勤める意志はなかったが、
わずかばかりの額を甘受する予定であった。
しかし、私は長年管理部門の身であったので、これといって特別な技術もなく、
たまたま家内の父が死去し、
退職直前は業務の引継ぎに加わり多忙となったのである。
そして、この頃は大企業もリストラ旋風で失業された人達も多く、
真に職さがしをしている人に失礼と思い、
失業保険の申請書を破棄したのである。
私達夫婦は、50代のなかば、定年退職後の生活目標を何度も話し合っていたので、
予定通り私は年金生活に入った。
これらについては、このサイトで数多く綴ってきたので、
省略する。
私達夫婦は、東京郊外の調布市の外れで、
わずか百坪の敷地で古惚けた家に住み、家内との2人だけの家庭である。
限られた年金を頂戴し、程々の貯金を取り崩して、
お互いの趣味を尊重して、過ごしている。
私は趣味の時間に過ごすことが多く、
そして樹木・草花の季節の移ろいを眺め、享受している。
このように好きな時に趣味に没頭し、ときたま昼寝などをしているので、
私としては、このことが何よりのボーナスと思っているのである。
そして家内はときおり、
『働らなくとも・・こうして過ごせるのだから・・』
と私に云ったりしている。
私は家内には、何でも話すタイプであるので、私の心の悩みも解消され、
住宅ローンの苦しかった時、一時時期パート勤務で助けて貰い、
何より私の母を亡くなるまで心の気遣いをしてくれたりした。
世間の一部では専業主婦の立場を後方支援とよぶが、
私は更に親族との確執も加わり、何かと家内に苦労させた。
退職後こうしてのんびりと生活できるのは、
家内の協力が不可欠であったので、
私は秘かな家内を戦友と思っているのである。
尚、退職後の年金生活の日々の思い、思考していることは心の発露として、
このサイトに殆ど綴っているが、未熟な綴りは、
私のつたなさであり、今後私なりに努力しますので、
ご了解の程をお願い致します。
・・】
昨年の2008年3月15日に於いては、第二弾として、
【 春風は、甘く、せつなく・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
東京郊外の調布市は、昨日は小雨が降ったり止(や)んだしたが、
4月の雨のようで寒さが感じられず、
何かしら物思いを重ねるには最適な日でむあった。
今朝は雲ひとつない青空がひろがり、
日中は4月中旬のような陽気となり、嬉しい限りであったが、
平年であったならば、桜の舞い散る時節なので、
どうしてなの、と空をみつめたりしていた。
花壇のクロッカスの白い可憐な咲き、
日本水仙の近くに植えているラップ水仙が黄色の莟(つぼみ)を見せている。
昼下りのひととき、昼寝を一時間ばかりした後、
庭先に下り立ち、煙草を喫ったりしていた時、
微風が吹き、白梅の花びらが散り、黒土に薄化粧をさせている。
このような情景をぼんやりと眺めていると、
高校生の春休み時、少しませた同級生の女の子と、
新宿御苑で手を握りながら散策したことが想いだされた・・。
そして20代のなかば、2歳ばかり年下の女性と交際していたが、
相手のお宅に招かれ、後日、父親から世間を知らなくて、と反対され、
私達は次第に気まずくなり、桜の咲く時節に私は失恋したのである・・。
春の微風は甘い匂いをするが、
ときには過ぎ去った若き日々を想いだす、せつなさを感じる時でもある。
・・】
このように2005年~昨年の2008年までの
3月15日をランダムに4年間を再掲載したりしたが、
果たして心の発露としての表現が進化したか退廃したか解からない。
何よりも、サイトの表看板に掲げた通り、
《 定年退職後の【身過ぎ世過ぎ】の日常ですが、
日々に感じたこと、思考したことを
心の発露とし、真摯に、ときには楽しく綴ります・・♪
人それぞれ光と影を持ちあわしていますので、
つたない私でも、ささやかな光、そして秘められた影がありますが、
余すところなく綴る所存です♪ 》
このように素直に表現できたならば、60代前半の私としては、
やむ得ないと微苦笑したりしている。
a href="http://www.blogmura.com/">
四つばかりのサイトに加入して、ほぼ毎日数通は綴ってきた。
投稿が出来なかった日は国内旅行に行っているか、
左目が赤っぽくなり、眼科の医師から一日だけドクター・ストップ、
そしてパソコンが壊れ、買い替えまでの5日間だけと思われる。
私は先程から、3月の中旬はどのような思いで日常を過ごしていたが、
3月15日を中核に読み返していたのである・・。
2005年3月15日に於いては、
【 街の中では・・。 】
と題して、投稿していた。
【・・
最近、出不精になったのか、余り家から出かけなくなった。
スーパーに買物に行くか、遊歩道を散策する程度である。
本日ちょっとした用事があったので、街に出た。
行きは散歩がてら歩いて行った。
途中、神社の境内の入り口に白梅が五、六本あり満開であった。
その中で、早咲きの大島桜が咲いていた。紅梅を薄くしたような色合いだった。
静寂な境内のはずれに、白と薄紅の彩りの光景にしばらくただずんでいた・・。
街に出ると、商店街の歩道で羽織袴の女性を見かけた。
付近に音楽専門大学があり、小学から大学までの著名な学校がある。
この生徒達が卒業式か謝恩会なのだろう。
六、七人羽織袴の生徒たちを見ると、華やいだ容姿の中に、清楚さを感じ、幸福を頂いたように思えた。
しばらくすると、母親と振袖姿の娘の二人ずれとすれ違った。
私は思わず振り返った。
春の訪れ・・ここにもあり、微笑ましく、見詰めた。
やはり女性は、ときたま和服がよろしいのではないか、と余計な事を感じた。
帰路は、バスの中で、小学生の十数人と出会った。
小学五年生ぐらいかな、と思いながらも声をかけた。
『貴女達、六年生ぐらいかなぁ・・』
とひとりの女の子に声をかけた。
『いいえ、三年生です』
と答えた。
『そぉ、小父さん、解んないなぁ・・』
と私は少し照れて、赤面した。
女の子達は、小さな声で、
『あの小父さん、あたし達のこと、六年だって・・』
と笑いながら話あっていた。
春の楽しいひとときでした・・。
・・】
2006年3月15日に於いては、第一弾として、
【 穏(おだ)やかな朝の陽射しにつつまれて・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
東京の郊外は、春の陽射しにつつまれた朝を迎えている。
6時半過ぎに戸を開け放ち、煎茶とコーヒーを淹れて、
朝刊を読み始める・・。
居間に朝の陽射しが差し込んで、主庭を観ると、しだれ紅梅も陽射しを受けている。
この樹木の地表は苔で覆われて、ふきのとうが10数個浮いているようだった。
日増しに成長し、春の匂いをもたらしてくれる。
このしだれ紅梅付近は、春の時、朝の二時間ばかりしか、陽射しが当たらず、
ほんのひとときの光景でもある。
日本水仙、白梅、しだれ紅梅、そして白玉椿、藪椿の花に心満たされ、
紫木蓮の莟も膨らみ、無花果、花梨が芽吹きをはじめている・・。
東京の郊外の我が家は、こうして春の日を迎えている。
・・】
2006年3月15日に於いては、第二弾として、
【 私の告別式にこの一曲を・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
私は、家内には葬儀に関して、親族のみで行うように、伝えている。
自宅でささかなに行い、和花につつまれて、そして音楽をながしてほしい・・
選曲は私が生前揃えて置くから、と・・。
今、音楽を聴いているが、ふうっととりとめなく、この一曲も良い、と思った。
そして、東北の山里に樹木蔡で埋葬してもらう、
このようなことを家内とここ五年話し合っている。
普通の墓地は少なくとも生者の慰めであり、
山里の土に還る、というのが私に相応しい、と思考を深めている。
この一曲は、『アルビノーニのアダージョ』である。
素直に美に触れことの出来る曲のひとつである。
私は日常の美を追求し、はからずも拙(つたな)い知識に埋もれ、
無名の死に相応しい、と思ったりしている。
・・】
2006年3月15日に於いては、第三弾として、
【 昼前後の買い物・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
10時過ぎに、春の陽射しの中、銀行に行った。
住宅街の路上も陽射しを燦燦と受けて折、
布団を乾したり、庭の手入れをしているお宅があったりした。
住宅地のバス通りに面した処に銀行はあるが、
平日のこのような時間帯は、行内は私を含めても少なかった。
通帳の記載した後、保険の振込みをする。
その後、最寄のスーパーに寄り、つぶ餅ピーナッツを購入する。
柿ピーの一種であるが、購入したメーカーのは、ここ五年愛食している。
帰路、公園に立ち寄り、欅(けやき)の芽吹きはまだかしら、と見上げたりした。
あと数週間が過ぎれば、萌黄色の芽吹きが観られる予感がする。
家に一旦戻り、プリンター用のインクタンクと用紙の予備在庫を確認した後、
家電量販店に行く。
川べりの遊歩道は、川風に吹かれたが、
寒くはなく、心地よいほどであった。
私はこの量販店に行った時は、DVDの映画作品をときたま買ったり、
パソコンの最新型を観て、驚いたりしている。
私は昭和44年にコンピューターの専門学校で初めて触れ、
会社で専門職として20年間担当し、
その後にWebの世界を知ったが、技術の進化にため息を付いたりしている。
・・】
2006年3月15日に於いては、第四弾として、
【 ときには名曲を聴きながら・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
家内が留守のを幸いに、
少し音量を上げて、クラシックを聴いたりしていた。
アルビノーニの『アダージョ』、モーツァルトのビアノ協奏曲『第20番』
そして交響曲『第40番』、『第41番』を聴いたりした。
先程、ショパンの12の練習曲 作品10を聴いている。
夜はベートーヴェンのピアノソナタ『悲愴』、『月光』、『熱情』を
純米酒の辛口を呑みながら、
聴こうとしている。
私は音楽に関しては、素養がないが、
ときおりクラシックの名曲を聴いたりしている。
・・】
2006年3月15日に於いては、第五弾として、
【 月の光は、情感にあふれ・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
先程、2階の戸締りをする時、月が観えた。
花が咲き始めた春の夜は、
日中の暖かさの余韻か、月を眺める、という気持ちにしたれる。
ぽっかりと漂(ただよ)う月の光からは、情感にあふれているようだった。
・・】
2007年3月15日に於いては、第一弾として、
【 それぞれの夫婦の先には・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
昨夕、家内が4泊5日の里帰りから帰宅した。
少し疲れている表情をしていたので、
『お寿司でも取ろうょ・・』
と私は言った。
お風呂を沸かしている間、私は家内にコーヒーを淹れて、
家内は普段着に着替えたりした。
『お母さん・・相変わらず夜は遅いし・・
私は早朝から掃除と洗濯でしょう・・寝不足よ・・』
と家内は言ったりしていた。
私は家内にお風呂に入っている間、読売新聞の夕刊を読んだりした。
この中で、月に数回と思われるが北 連一・氏が綴られている『遠景近景』連載があり、
私より10歳前後の年配のお方で、私は愛読している。
昨夕の記事の中に、曽野綾子・女史のお言葉を引用されていた。
【「仲の悪い夫婦の方が晩年は楽だな、と思うことがある。
夫婦のどちらかが死ぬと、自然に解放されるからである。
しかし仲のいい夫婦は、どちらが生き残って一人の生活をするようになっても寂しいのである」
(「一冊の本」2004年1月号、朝日新聞社)】
私は曽野綾子・女史を常日頃信頼しているので、
至言と思い、苦笑いをしてしまった。
その後、私達夫婦は配達された寿司をつまみながら、
他愛ない話をしたりした。
私は家内の留守の間は、殆ど朝風呂と決めて折、
あとは寝るばかりであったので、純米酒を普段より大目となったりした。
私は7時前に布団にもぐり、今朝は4時過ぎに目覚めた。
私は何時もの通り、6時半になると家内用のコーヒーを淹れはじめた。
・・】
2007年3月15日に於いては、第二弾として、
【 現役世代のストレス解消には・・!? 】
と題し、投稿していた。
【・・
私は今朝ネットでニュースを見て、憂いている・・。
【 私立高校長、万引きで逮捕=「ストレス感じていた」 】
という見出しの記事であった。
時事通信に寄る配信の記事であり、無断であるが転記させて頂きます。
食料品店で万引きをしたとして、千葉県営・君津所署は14日までに、
窃盗の現行犯で私立・千葉未来高校(同県・鴨川市)校長・鈴木康夫・容疑者(48歳)=鴨川市・横渚=を逮捕した。
『校長の仕事にストレスを感じていた』
と容疑を認めているという。
調べでは、鈴木容疑者は、12日午後1時15分頃、
同県・君津市末吉の食料品で、蜂蜜一瓶とうま味調味料一瓶(販売価格計1580円)を盗んだ。
商品を上着の内側に隠してレジを通らずに店を出ようとして、
男性従業員に声を掛けられ、逃走。
従業員が追跡し、約100メートル先の水田で、
足をとられて動けなくなっているところを取り押さえ、
通報で駆け付けた同署員に引き渡した。
以上が時事通信の配信記事の全文です。
私はこの記事を読みはじめた時は、
何て馬鹿げたことを思い、逃走する様子を浮ぶと悲しみとなった。
昨今、特に公職に係わる方達が、万引き、セクハラ、痴漢などでニュースを視聴するたびに、
ストレス解消が下手であると私は思っている。
多少の過ちで、ご自分の一生を棒に振るなどど、気が知れないからである。
家庭があれば、ご自分の愛妻に酒でも呑みながら、
素直に日頃からの思いを愚痴を言ったりすれば良い。
私は自分の敵は自分です、と思って職務に就いていたが、
表面は強がりな私も帰宅すれば、
ときたま深夜の晩酌の時に家内に愚痴をこぼしたりした・・。
女性に関しては、家内に分からないように適度に風俗店に行ったりした。
良いか悪いか分からないが、ストレス解消が少しでもなれば、
職務は順調になり、家庭は万全であると思っている。
私の現役時代よりも現代の現役諸氏は何かと大変なので、
それぞれご自分にあったストレスを解消して欲しいと願っている。
・・】
2007年3月15日に於いては、第三弾として、
【 過ぎ去った日々は、自分にやさしくなれる・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
10時半過ぎに、散髪屋(理髪店)に行き、樹木の花の話などをした。
梅の花が散った今、マンサク、コブシ、沈丁花が何処は咲いている、
なとどの他愛のない話である。
帰宅後、家内と昼食をすますと、これといって特に用事がなく、
ぼんやりとこのサイトに綴ったのを見たりしていた・・。
このサイトに綴りはじめて2年4ヶ月過ぎているが、
ほぼ毎日数通は投稿しているので、少なくとも2000通は越えている。
定年退職後の一ヶ月後から投稿しているので、
その時の思いが素直に熱く綴っていて、自分ながら微笑ましく思ったりした。
そして綴りの幼さもあり、ときおり赤面したりしているのである。
私は過ぎ去った日々の綴りを読むと、自分に優しく、甘くなれるのに驚いたりしている。
日本酒に詳しい研究家の太田和彦・氏の言葉をお借りすれば、
人はある年齢になると、新しさより古さを尊ぶようになる。
それは自分が生きてきた人生を肯定したいからだ。
確か月刊誌の『文藝春秋』2004年の12月に発売された時だったかしら、
と遠い記憶を思い出している。
・・】
昨年の2008年3月15日に於いては、第一弾として、
【 私の年金生活、最大のボーナスは・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
第一章
私は民間の中小業の会社を定年退職後、
年金生活の4年生の身である。
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をし、
根拠のない自信の頼りに、アルバイトをしながら習作をしていた。
このような社会の流れの先のみえない生活を過ごしていたので、
お彼岸の折、親戚の叔父さんより、
『今はよいが・・30過ぎた時、きちんと家庭を持てるの・・』、
とやんわりと諭(さと)された・・。
私は文藝雑誌の新人募集コンクールに応募していたが、
小説部門として、最終予選には何度も残れず、
自身の努力、そして才能のなさを嘆いてもいた。
私はある時、ビジネス雑誌の『ダイヤモンド』の付録で、
『1週間でわかるコンピュータ』を手に取り、
自宅で精読したが、全くわからなかったが、
この分野は少なからず将来性ある、と思ったりしていた。
そして情報部門の処理などは、待機する時間が多いと知り、
この間で私の習作時間にあてられる、と思い、
コンピュータの専門学校でソフトウェア学科を一年ほど学んだ・・。
この頃、自宅のから程遠くない処に、
ある大企業の首脳人のお住まいがあり、お力添えを得て、
何とか大企業に中途入社できたのは、昭和45年の春で、
私は25歳の遅れた社会人のスタートとなった。
私は職場で共に席をしたのは、新卒の団塊世代の人達が多く、
この後、長らく業界の空気を共にした。
私は企業に入社してまもなく、業務を含め徹底的に企業人として教えられ、
組織の一員として邁進し、甘い期待などは思い出す暇(ひま)なく、
多忙な期間のはじまりとなったのである・・。
第二章
私が入社した直後、現場を知れ、と辞令を受けて、
各商品を製造する工場に隣接した商品管理部門で、一年弱勤務した・・、
会社の一本部部門としてレコード部門の一員であったが、
レーベル元の外資の要請で独立し、
この新しいレコード会社に私も異動させられた。
レコード会社は中小業であるが、
私は上司の手取り足取りの指導の下で精勤し、
本社の営業本部の管理課で、コンピュータの専任者となった。
数多くのサラリーマンと同様に上司を見習い激務を体験したので、
入社前の甘い期待などは跡形もなく、
組織の中の一員として過ごしたのである。
私は家内と結婚し、賃貸マンションで2年生活した後、
実家に近い処で一戸建てを建てたが、
土地・建物などの住宅ローンが家計に重くなり、
家内のパート勤務の援軍を受けて、何とか30代を乗り切ったのである。
私達夫婦は子供に恵まれなかった為か、
家計に余裕のない時でも、連休の合間に、小旅行を楽しんだりしていた。
私の業務は、会社の各業務の開発・運営に伴うコンピュータ専任であったので、
多忙な時は休日もなく、徹夜になることも数多くあった。
私は上層部から指示を受け、成果がない様だったならば、
常に退社を覚悟し、少なくとも地方勤務に放り出されると思い、
3年ごとの総合見直しにも対処できたのである。
このような形で1970、80年代を過ごした後、
私は情報部門から他の管理部門に異動したのは、50代からであった。
この頃になるとレコード会社は、外資の要請で利益の追求が厳しくなり、
各会社は総合見直しとなり、会社間の統廃合もあり、
組織の統廃合で大幅な人員削減も行われたのが多かった。
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、
上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりした。
私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。
音楽商品であるCD、ビデオテープ、DVDの保管、出荷等の管理場所であり、
私のような管理5名で、若手の男性の契約、パート社員の10名前後、
そしてパートの女性が百名前後の職場であった。
毎日CD、DVDの販売店等の注文に応じるので、
指定時間、日々、曜日、季節ごと出荷量の変動が激しいが、
これに対応させる管理もひとつであった。
私は本社から放り出され、都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、精務した。
私は振りかえると、中途入社し、最初に配置された業務部門と同様で、
30年ぶりで管理一新されたが、基本は同じなので、
鮭と同様に故郷の川に戻るか、と微苦笑をしたりしていた。
この間も私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、
或いは葉書で挨拶状を頂いたりしている中、
私は出向先で定年退職を迎えたのである。
第三章
私は音楽関係の中小業の一介のサラリーマンとして、
年収1千万円台で何とか卒業できたが、
大企業、官公庁の上層部のように高額所得地位にも成れず、
わずかな年収、退職金であったので、金融資産は程ほどである。
私の現役時代の財産といえば、
その時代と共に過ごした名曲の数多くが心に残り、
そして上司、同僚、後輩と共に音楽業界の空気を共にできたことである。
今でも、OBの懇親会などの会合の折、
流行った曲名でその時代を表現し、
そうだったよね、とお互いにうなづいたりしている・・。
私は定年退職の直前まで、失業保険の申請して、
勤める意志はなかったが、
わずかばかりの額を甘受する予定であった。
しかし、私は長年管理部門の身であったので、これといって特別な技術もなく、
たまたま家内の父が死去し、
退職直前は業務の引継ぎに加わり多忙となったのである。
そして、この頃は大企業もリストラ旋風で失業された人達も多く、
真に職さがしをしている人に失礼と思い、
失業保険の申請書を破棄したのである。
私達夫婦は、50代のなかば、定年退職後の生活目標を何度も話し合っていたので、
予定通り私は年金生活に入った。
これらについては、このサイトで数多く綴ってきたので、
省略する。
私達夫婦は、東京郊外の調布市の外れで、
わずか百坪の敷地で古惚けた家に住み、家内との2人だけの家庭である。
限られた年金を頂戴し、程々の貯金を取り崩して、
お互いの趣味を尊重して、過ごしている。
私は趣味の時間に過ごすことが多く、
そして樹木・草花の季節の移ろいを眺め、享受している。
このように好きな時に趣味に没頭し、ときたま昼寝などをしているので、
私としては、このことが何よりのボーナスと思っているのである。
そして家内はときおり、
『働らなくとも・・こうして過ごせるのだから・・』
と私に云ったりしている。
私は家内には、何でも話すタイプであるので、私の心の悩みも解消され、
住宅ローンの苦しかった時、一時時期パート勤務で助けて貰い、
何より私の母を亡くなるまで心の気遣いをしてくれたりした。
世間の一部では専業主婦の立場を後方支援とよぶが、
私は更に親族との確執も加わり、何かと家内に苦労させた。
退職後こうしてのんびりと生活できるのは、
家内の協力が不可欠であったので、
私は秘かな家内を戦友と思っているのである。
尚、退職後の年金生活の日々の思い、思考していることは心の発露として、
このサイトに殆ど綴っているが、未熟な綴りは、
私のつたなさであり、今後私なりに努力しますので、
ご了解の程をお願い致します。
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昨年の2008年3月15日に於いては、第二弾として、
【 春風は、甘く、せつなく・・♪ 】
と題し、投稿していた。
【・・
東京郊外の調布市は、昨日は小雨が降ったり止(や)んだしたが、
4月の雨のようで寒さが感じられず、
何かしら物思いを重ねるには最適な日でむあった。
今朝は雲ひとつない青空がひろがり、
日中は4月中旬のような陽気となり、嬉しい限りであったが、
平年であったならば、桜の舞い散る時節なので、
どうしてなの、と空をみつめたりしていた。
花壇のクロッカスの白い可憐な咲き、
日本水仙の近くに植えているラップ水仙が黄色の莟(つぼみ)を見せている。
昼下りのひととき、昼寝を一時間ばかりした後、
庭先に下り立ち、煙草を喫ったりしていた時、
微風が吹き、白梅の花びらが散り、黒土に薄化粧をさせている。
このような情景をぼんやりと眺めていると、
高校生の春休み時、少しませた同級生の女の子と、
新宿御苑で手を握りながら散策したことが想いだされた・・。
そして20代のなかば、2歳ばかり年下の女性と交際していたが、
相手のお宅に招かれ、後日、父親から世間を知らなくて、と反対され、
私達は次第に気まずくなり、桜の咲く時節に私は失恋したのである・・。
春の微風は甘い匂いをするが、
ときには過ぎ去った若き日々を想いだす、せつなさを感じる時でもある。
・・】
このように2005年~昨年の2008年までの
3月15日をランダムに4年間を再掲載したりしたが、
果たして心の発露としての表現が進化したか退廃したか解からない。
何よりも、サイトの表看板に掲げた通り、
《 定年退職後の【身過ぎ世過ぎ】の日常ですが、
日々に感じたこと、思考したことを
心の発露とし、真摯に、ときには楽しく綴ります・・♪
人それぞれ光と影を持ちあわしていますので、
つたない私でも、ささやかな光、そして秘められた影がありますが、
余すところなく綴る所存です♪ 》
このように素直に表現できたならば、60代前半の私としては、
やむ得ないと微苦笑したりしている。
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