東京郊外の調布市は、どんよりとした曇り空で、
昼過ぎから雪が降る、という今年一番の寒い日中となる。
そして、明日の明け方まで、数センチの積雪が予測されている。
昨日は、久々の快晴で、風が強かったのであるが、
室内はぬくもりが感じられる暖かな日でもあった。
街中の専門店、スーパーの店内は、『ひな祭り』のコーナーがあり、
華やいだ空気につつまれていた・・。
女の子にとっては、一年で一番華やかな『ひな祭り』の日であるが、
桃の花を飾り、陽だまりのよう早春の暖かさが何より贈り物と思ったりしている。
このような思いで、今朝ぼんやりと迎えたのであるが、
よりによって、今年一番の寒さなり、そして雪も降ると報じられていたので、
天上の気候の神々は、いたずらが酷(ひど)すぎる、と空を見つめたりした。
私は年金生活の5年生の身であるが、
雪が舞い降る情景は、魅了されて50年以上となっているが、
せめて『ひな祭り』の日は避けるのが本筋だろう、
と空のかなたを睨(にら)んだのである・・。
私は体力が衰えた64歳の身であるが、
私なりに『ひな祭り』の想いである・・。
このサイトに2008年3月2日に、
【 幼年期、『ひな祭り』の想いで・・♪ 】
と題して投稿しているが、あえて再掲載をする。
【・・
私は昭和19年に東京郊外で、農家の三男坊として生を受けた。
祖父、父が中心となって、程ほどの広さの田畑を耕していた。
長兄、次兄の後に私は生まれきたが、
祖父、父が何かしら女の子を期待していたらしく、
私の後に生まれた妹を溺愛した。
幼年期の私はこうした情景を見たしていると、
期待されないように感じ取り、いじけた可愛げのない児であった。
早春の2月の下旬になると、母の実家から贈られたひな人形を
父が蔵から出してきて、母や未婚の叔母に手渡していた。
10畳の一角にひな壇を設け、ひな人形の五段飾りを設置し、
この前に桃の花、ひし形の白色、桃色、薄緑色のひし餅を置いたりしていた。
ひし餅は、父が餅米を精米所に持ち込んだ後、
我家で臼(うす)で餅にしたものであった。
そして桃の花は、宅地の外れにある陽当たり良い所に3分咲きを活(い)け、
何かしら華やぎ、かぐわしい香りがしていた。
こんな情景を私は、ぼんやりと眺めていたが、
華やかな桃の花、3色のひし餅、そして絢爛(けんらん)な17人の人形を見つめていた。
そして、私はため息を吐(つ)きながら、
『女の子はいいよなぁ・・皆に大事にされるから・・』
といじけた私は思ったりしていた。
そして、人形の中のひとつ、護衛のようになっている人形を見つめ、
あのように綺麗な格好でいられたらいいよなぁ、
と眺めたりしていた。
このような思いを抱いた後、櫻の咲いた頃、
私は小学校に入学した。
尚、『桃の節句』が終り、翌日になると母は五段飾りを撤去し、
蔵に仕舞う準備をしていた。
私はせっかく飾ったのだから、せめて櫻の咲く頃まで、
このままにして置けばよいのではないか、と幼年心に感じていた。
・・】
このように綴っていたのであるが、
昨今の女の子は、10歳ぐらいまで、ひな人形に興味を示し、
好感しているのかしら、と感じたりしている。
昼過ぎから雪が降る、という今年一番の寒い日中となる。
そして、明日の明け方まで、数センチの積雪が予測されている。
昨日は、久々の快晴で、風が強かったのであるが、
室内はぬくもりが感じられる暖かな日でもあった。
街中の専門店、スーパーの店内は、『ひな祭り』のコーナーがあり、
華やいだ空気につつまれていた・・。
女の子にとっては、一年で一番華やかな『ひな祭り』の日であるが、
桃の花を飾り、陽だまりのよう早春の暖かさが何より贈り物と思ったりしている。
このような思いで、今朝ぼんやりと迎えたのであるが、
よりによって、今年一番の寒さなり、そして雪も降ると報じられていたので、
天上の気候の神々は、いたずらが酷(ひど)すぎる、と空を見つめたりした。
私は年金生活の5年生の身であるが、
雪が舞い降る情景は、魅了されて50年以上となっているが、
せめて『ひな祭り』の日は避けるのが本筋だろう、
と空のかなたを睨(にら)んだのである・・。
私は体力が衰えた64歳の身であるが、
私なりに『ひな祭り』の想いである・・。
このサイトに2008年3月2日に、
【 幼年期、『ひな祭り』の想いで・・♪ 】
と題して投稿しているが、あえて再掲載をする。
【・・
私は昭和19年に東京郊外で、農家の三男坊として生を受けた。
祖父、父が中心となって、程ほどの広さの田畑を耕していた。
長兄、次兄の後に私は生まれきたが、
祖父、父が何かしら女の子を期待していたらしく、
私の後に生まれた妹を溺愛した。
幼年期の私はこうした情景を見たしていると、
期待されないように感じ取り、いじけた可愛げのない児であった。
早春の2月の下旬になると、母の実家から贈られたひな人形を
父が蔵から出してきて、母や未婚の叔母に手渡していた。
10畳の一角にひな壇を設け、ひな人形の五段飾りを設置し、
この前に桃の花、ひし形の白色、桃色、薄緑色のひし餅を置いたりしていた。
ひし餅は、父が餅米を精米所に持ち込んだ後、
我家で臼(うす)で餅にしたものであった。
そして桃の花は、宅地の外れにある陽当たり良い所に3分咲きを活(い)け、
何かしら華やぎ、かぐわしい香りがしていた。
こんな情景を私は、ぼんやりと眺めていたが、
華やかな桃の花、3色のひし餅、そして絢爛(けんらん)な17人の人形を見つめていた。
そして、私はため息を吐(つ)きながら、
『女の子はいいよなぁ・・皆に大事にされるから・・』
といじけた私は思ったりしていた。
そして、人形の中のひとつ、護衛のようになっている人形を見つめ、
あのように綺麗な格好でいられたらいいよなぁ、
と眺めたりしていた。
このような思いを抱いた後、櫻の咲いた頃、
私は小学校に入学した。
尚、『桃の節句』が終り、翌日になると母は五段飾りを撤去し、
蔵に仕舞う準備をしていた。
私はせっかく飾ったのだから、せめて櫻の咲く頃まで、
このままにして置けばよいのではないか、と幼年心に感じていた。
・・】
このように綴っていたのであるが、
昨今の女の子は、10歳ぐらいまで、ひな人形に興味を示し、
好感しているのかしら、と感じたりしている。