夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

雪の舞い降る中、『ひな祭り』となり・・!?

2009-03-03 07:30:56 | 定年後の思い
東京郊外の調布市は、どんよりとした曇り空で、
昼過ぎから雪が降る、という今年一番の寒い日中となる。
そして、明日の明け方まで、数センチの積雪が予測されている。

昨日は、久々の快晴で、風が強かったのであるが、
室内はぬくもりが感じられる暖かな日でもあった。
街中の専門店、スーパーの店内は、『ひな祭り』のコーナーがあり、
華やいだ空気につつまれていた・・。

女の子にとっては、一年で一番華やかな『ひな祭り』の日であるが、
桃の花を飾り、陽だまりのよう早春の暖かさが何より贈り物と思ったりしている。

このような思いで、今朝ぼんやりと迎えたのであるが、
よりによって、今年一番の寒さなり、そして雪も降ると報じられていたので、
天上の気候の神々は、いたずらが酷(ひど)すぎる、と空を見つめたりした。

私は年金生活の5年生の身であるが、
雪が舞い降る情景は、魅了されて50年以上となっているが、
せめて『ひな祭り』の日は避けるのが本筋だろう、
と空のかなたを睨(にら)んだのである・・。

私は体力が衰えた64歳の身であるが、
私なりに『ひな祭り』の想いである・・。

このサイトに2008年3月2日に、
【 幼年期、『ひな祭り』の想いで・・♪ 】
と題して投稿しているが、あえて再掲載をする。

【・・
私は昭和19年に東京郊外で、農家の三男坊として生を受けた。

祖父、父が中心となって、程ほどの広さの田畑を耕していた。

長兄、次兄の後に私は生まれきたが、
祖父、父が何かしら女の子を期待していたらしく、
私の後に生まれた妹を溺愛した。

幼年期の私はこうした情景を見たしていると、
期待されないように感じ取り、いじけた可愛げのない児であった。


早春の2月の下旬になると、母の実家から贈られたひな人形を
父が蔵から出してきて、母や未婚の叔母に手渡していた。

10畳の一角にひな壇を設け、ひな人形の五段飾りを設置し、
この前に桃の花、ひし形の白色、桃色、薄緑色のひし餅を置いたりしていた。

ひし餅は、父が餅米を精米所に持ち込んだ後、
我家で臼(うす)で餅にしたものであった。

そして桃の花は、宅地の外れにある陽当たり良い所に3分咲きを活(い)け、
何かしら華やぎ、かぐわしい香りがしていた。


こんな情景を私は、ぼんやりと眺めていたが、
華やかな桃の花、3色のひし餅、そして絢爛(けんらん)な17人の人形を見つめていた。

そして、私はため息を吐(つ)きながら、
『女の子はいいよなぁ・・皆に大事にされるから・・』
といじけた私は思ったりしていた。

そして、人形の中のひとつ、護衛のようになっている人形を見つめ、
あのように綺麗な格好でいられたらいいよなぁ、
と眺めたりしていた。

このような思いを抱いた後、櫻の咲いた頃、
私は小学校に入学した。


尚、『桃の節句』が終り、翌日になると母は五段飾りを撤去し、
蔵に仕舞う準備をしていた。

私はせっかく飾ったのだから、せめて櫻の咲く頃まで、
このままにして置けばよいのではないか、と幼年心に感じていた。

・・】


このように綴っていたのであるが、
昨今の女の子は、10歳ぐらいまで、ひな人形に興味を示し、
好感しているのかしら、と感じたりしている。



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