夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

改めて、私の若き頃、五輪真弓の唄声と共に・・♪  

2009-03-29 16:24:24 | 音 楽
私は東京オリンピックが開催された少し前に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事を4年ばかり過ごしたりした。

この後は、コンピュータの専門学校で一年間ばかり学んだ後、
遅ればせながら昭和45年(1970年)の春に、
ある大手企業に中途入社ができた・・。

まもなくして、この会社の音楽事業本部の中の大手レーベルのひとつが、
レコード専門会社として独立した。
私はこのレコード会社に異動されて、コンピュータ専任者として配属していたが、
制作畑のように直接に音楽に携わる部署でなく、
管理畑であったので、ある程度は気楽に職場に流れる音楽を聴いたりしていた。


昭和47年の初秋、私は日曜日で自宅でラジオを聴きながら、
身のまわりの整理をしていた。


♪あたたかい陽のあたる
 真冬の縁側に
 少女はひとりで
 ぼんやりと座ってた

【 『少女』 作詞、作曲、唄・五輪真弓 】


私は思わず手を止めて、ソファに座り、
煙草に火を点(つ)けた・・。


♪つもった白い雪が
 だんだん とけてゆくのを
 悲しそうに 見ていたの
 夢が大きな音を
 たてて 崩れてしまったの

【 『少女』 作詞、作曲、唄・五輪真弓 】


私は瞬時に感性の鋭い人と思い、初めて作詞・作曲し、そして唄っている人が、
五輪真弓と知ったのである。


翌朝、会社で、たまたま私が朝礼の当番であった。

本社の営業本部、同じフロアーの営業所の数多くいる社員の前で、
私は前に立ちながら、一通り業務関係を言った後、
『・・CBSソニーさんから、凄い感性のある人でデビューします。
10月に発売されますが、五輪真弓という若い女性が・・
「少女」という曲で・・感性と感覚が際立って・・』
と私は他社のアーティスであったが、半分得意げで言った。

たまたま営業の本部長の所に、邦楽の制作本部長が打ち合わせて来ていたのを、
後で知った。

この後、一時間後に、私は制作本部長とエレベータの中で、
偶然ふたりとなった。
『・・お前さんねぇ・・よく言うょ・・』
と微苦笑された。

私はレコード会社で、コンピュータ専任者の身であったが、
世の中の怖さも知らず、颯爽とし風をも切るような27歳の時であった・・。


この後、五輪真弓のレコードのアルバムの発売日に待ち焦がれ、
『五輪真弓/少女』を買い求めたのは昭和47年(1972年)の10月の下旬であった。

この頃の私は、個室にレコード・プレイヤー、プリメイン・アンプ、そしてスピーカと、
この当時の普通の音楽ファンの機器構成で聴いていた。
しかし、この頃の機器は、私の基本給の月収より数倍高く、
私はローンで返済していた。

そして、私は帰宅後、このアルバムに夢中になり、
殆ど毎日聴いていたし、会社の友人はもとより次兄にも賞賛をしたりしていた。

翌年の7月に『風のない世界』が発売されて、
特にこの中の一曲『煙草のけむり』には、この人の才能が満ち溢れている、
と友人らにも絶賛していた。

確か数年後であったと記憶しているが、
虎ノ門ホールで五輪真弓のコンサートがあり、
この頃に交際していた女性と私は観たのである。

この女性はある音楽大学を卒業したばかりで、
先生に師事しながら、ピアニストを目指している人であり、
私はピアノを専攻する人に多少なりとも気後れしながらも、
この女性をピアノを弾きながら自身の作詞・作曲され歌を唄う五輪真弓のコンサートに、
誘い出したのである。

この女性とは、コンサートの終了後に食事をしていた時、
虎の門ホールの音響のことなどを話したりした後、
五輪真弓に関しては才能のある人ね、
と私は聴いて、私なりに五輪真弓のデビュー以来才能を認めたひとりとして、
賛意されたので、安堵したりしていた。

そして、この間も、渋谷、新宿で度々待ち合わせ、夕食を共にした後、自宅に送り、
この方の母親に可愛がって頂だき、親愛の情をしぐさを見せてくれたりした。

私の住んでいる所にも来て貰ったり、
私の実家にも連れて行ったりしていた。

このような時、有数なソプラノ歌手のコンサートが東京文化会館の小ホールで開催され、
伴奏としてのピアノを弾く担当に選ばれ、
私は当然のような気持ちで、このコンサートを観たのである。
ただ開演前、ロビーにいる時、
私が今までの人生で体験したことのない、音楽大学の現役、卒業生の20代から50代の人たちが、
特有な雰囲気につつまれていると感じたりしたのである。


私は結婚したい、と申し込んだ夜、
『貴方が思っている・・サラリーマンの良い奥さんには・・なれないわ・・』
と言った。

確かに毎日少なくとも8時間前後はピアノ弾いているので、
サラリーマンの家庭に多くある生活ペースは無理もあるが、
私は承知の上だ、とも言葉を重ねたりした。

数ヵ月後、貴方に負担をかけたくないの、
と私は言われ、
私は失恋をしたのである。


私は五輪真弓に関しては、スターとなった今、
何となく遠ざかり、シャンソンなどに夢中になり、深めていった・・。


私は数年後、妹の嫁ぎ先の父親が茶事で知り得た女性を紹介され、
しばらく交際した後、この女性と結婚した。

私が家を建て始めて、ローンの負担が重苦しく感じ、
数年続いた折、私は懐かしい歌声を聴いたのである。


♪枯葉散る 夕暮れは
 来る日の寒さを もの語り
 雨に壊れた ベンチには
 愛をささやく 歌もない

【『恋人よ』 作詞、作曲、唄・五輪真弓 】


私は思わず、真弓ちゃんだ、と心の中で叫んだのである。
そして、相変わらず、才能を発露させ、確固たるスターの五輪真弓さんに、
しばらくぶりだったけれど、凄い詞を書いたよね、
と心の中で祝杯したりしていた。


♪恋人よ そばにいて
 こごえる私の そばにいてよ
 そしてひとこと この別れ話が
 冗談だよと 笑ってほしい

【『恋人よ』 作詞、作曲、唄・五輪真弓 】

私はピアノニストに熱望した人は、今はどうされているか解からないが、
私にとっては青年期の終りの頃の貴重な苦い想いのひとつである。



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年金青年の私、ピアノの名曲で好きな曲は・・♪

2009-03-29 09:37:07 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
昨日の午前中のひととき、私は主庭のテラスに下り立ち<
樹木、草花を眺めながら、煙草を喫っていると、
近所のお宅からピアノの音色が聴こえてきた・・。

女の子の弾くのは、バイエルの何番かしらと思ったりした・・。

私は小説、随筆などの読書、居間で映画を観たりしているが、
ときおり音楽も聴いたりしている。


音楽に関しては、小・中学期の音楽の通信簿は『2』の劣等性であり、
音譜も読めない素養のない身である。

25歳の時に、民間会社に中途入社した時、この中の音楽事業本部に要望し、
この中のひとつの大手レーベルが、まもなくレコード会社として独立され、
私も配属されて30数年勤めたのであるが、
私自身は管理畑で情報部門を大半を所属した身であるが、
職場上は音楽が流れたりしていたので、何かと音楽の数々を聴く機会が多かった。

これまでの私は、二十歳の頃に偶然に、
モーツァルトの《ピアノ協奏曲 第20番》に魅了されたぐらいで、
クラシックの名曲を殆ど知らなかったひとりであった。

こうした中で、業務上の関連として音楽の曲の話題になると、
恥をかく無邪気な私であったが、
それなりに各分野の曲を平然と聴いたりしていたが、
いまだにオペラとジャズは苦手である。


私が昭和48年前後の頃、ある休日の時に、
ショパンの『12の練習曲 作品10』を聴き、瞬時に魅了された・・。
ピアニストのポリーニのレコードであり、
私は熱愛し、半年ばかり殆ど毎晩聴いたりした・・。

その後、『25』も発売されて、私なりに愛聴した。

そして10数年後、CDの時代となり、レコードと同じ録音であるが、
たった一枚で『12の練習曲 作品10、25』が収録されているので買い求めたりした。


年金生活の今、各分野の音楽をその日の心情で聴いたりしているが、
クラシックのピアノの名曲の中で、
最も聴くことが多いのは、2枚のCDである。

小説の世界にたとえれば、
長編小説としては、モーツァルトの『ピアノ協奏曲 第20番』で、
短編の小説を集めたれたのがショパンの『12の練習曲 作品10、25』であり、
私としては、最上の作品として、愛聴しているのである。


つたない感性から選定したのであるが、
具体的に何が良いのか、と問われれば、
ご自分の愛している女性のどこが良いのか、
と同様な質問と思われるので、明記しょうがないのである。



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