私は東京郊外に住む64歳の年金生活の身であるが、
日中のひととき、スーパーに買物に2店ばかり廻ったり、
冬物をクリーニング店に持ち込んだりしていた。
この後、ぼんやりとラジオを聴いていたら、
サイモン&ガーファンクルの『スカボロー・フェア』が流れてきたので、
私は懐かしげに聴いたのである。
そして、私はこの曲が街に流れていた頃、
そして私が初めてサイモン&ガーファンクルの唄声を聴いた頃の時代が思い出され、
蘇(よみがえ)ったのである・・。
この頃の私なりの時代は、
【 私がサイモン&ガーファンクルを聴いた頃・・♪ 】
と題して、あるサイトに2006年11月28日に投稿していたが、
あえて再掲載をする。
【・・
昭和43年、私は大学を中退して3年が過ぎようとした頃であった。
映画、文学青年の真似事をし、先行きの見えない日々を過ごしていた。
学生時代の友人達は社会の第一線で出て、
私は社会に対しまぶしくもあったが、
根拠のない自信ばかり強くて、屈折した日々を送っていた。
大学を中退した後、シナリオ・ライターの養成所に入り、
養成所、講師からアルバイトを紹介してもらった。
アメリカのテレビドラマの下請けで、出演者として脇役で数本出たりした。
或いは、ある月刊誌の記事の与えられた課題を取材し、下書きをし、
講師が筆を入れて、講師の名で発表されたが、
ある程度の収入となった。
このようなことを何時まで行っても文章修行の時間がなくなり、
警備員などのアルバイトをしながら自由な時間を確保したりした。
あるお彼岸の時、親戚の叔父さんから、
『若い時・・なんとでも成るが・・30からどうするの・・』
と云われたりした。
学生時代の友人達は、社会に出て、逢う機会も次第になくなり、
何かしら取り残されたようになってきた。
やはり定職に就いて、いずれは・・と思い、
新聞広告で就職募集の中途採用欄を見て、
ある大手の家電会社の営業職に入社の受験した。
この試験の帰りに映画館で『卒業』を観た・・。
この頃、ラジオから『サウンド・オブ・サイレンス』がよく流れていた。
映画はこの曲を中心に流れ、私は魅了させられ、
初めてサイモン&ガーファンクルの歌声、メロディーに酔いしれた。
家電の営業職の中途採用は、その後は面接を2回ばかりして、
幸いに採用通知を頂いた。
このような時、近所の家電販売店の店主が、
実家にたびたび来宅していた。
『あんたなぁ・・家電の営業・・といってもなぁ・・
余程の覚悟でならないと・・使い捨て・・消耗品なるよ・・
同じやるなら・・手に職を持った・・・技術だょ・・』
と私は忠告された。
私は社会に対し、中途半端な身であったので、
技術職といっても皆目検討が付かなかった・・。
このような時に、本屋の店頭でダイヤモンド社のビジネス雑誌で、
付録として『三週間でわかるコンピューター』と題された小冊誌があった。
購入して読んだが、理工関係にも弱い私は理解出来ない方が多かった。
ただ漠然として、これからの企業ではコンピューターが伸張する、
と理解していた程度であった。
この後、私はコンピューターのソフトコースの専門学校に1年間学んだ上、
ある程度の企業に中途入社しょうと思った。
同期の生徒は、高校を卒業したばかり理工方面に優秀な若い男女が多く、
私は遅れた青年のひとりとして、学んだ。
私は積分、微分には苦慮したが、授業を受けていく中、
コンピューターを操作していても処理時間に相当掛かるので、
空き時間があり、企業に入ったら、
この時間を創作時間に当てようと思ったりした。
そして、近所の家電販売店の店主の紹介で、
ある大手の音響・映像の会社の首脳陣のお方を知り、
このお方のご尽力もあり、昭和45年4月、私は何とか中途入社が出来たのであるが、
まもなく企業は甘くないと知り、
私は徹底的に管理部門のひとりとして鍛えられた。
この頃は、サイモン&ガーファンクルの『ミセス・ロビンソン』、『スカボロー・フェア』、
『サウンド・オブ・サイレンス』等が収録されたLP『サイモンとガーファンクルのグレーテイス・ヒット』をよく聴いていた・・。
そして究極のアルバム『明日に架ける橋』が発売され、
レコードが擦り切れるくらい好く聴いた・・。
♪Sail on silvergirl、
Sail on by
Your time has comev to shine
【song by Poul Simon】
私はガーファンクルの声でこの部分に触れると胸が熱くなり、思わず涙ぐむ・・。
私の彷徨した時代に終わり、
遅ればせながら社会人としてスタートを切り、
そして海の彼方のアメリカの混迷した社会も思いながら、
この曲を聴いたりしていた。
私の勤める会社の一部門が、レコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に異動させられ、企業の1年生として業務にのめり込んだ。
この年の夏、他社であるがサイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んで行く』が流行し、
そして晩秋には作家・三島由紀夫が自裁され、
私の青年期は確実に終わりを告げた。
・・】
このように綴っていたが、大学を中退し、企業に中途入社出来るまでの期間は、
ときには観たい映画、欲しい本を買う為に、食事を何度も抜いたりしたことがあったが、
私にとっては、まぎれない心の黄金時代だった、と深く感じたりしたのである。
日中のひととき、スーパーに買物に2店ばかり廻ったり、
冬物をクリーニング店に持ち込んだりしていた。
この後、ぼんやりとラジオを聴いていたら、
サイモン&ガーファンクルの『スカボロー・フェア』が流れてきたので、
私は懐かしげに聴いたのである。
そして、私はこの曲が街に流れていた頃、
そして私が初めてサイモン&ガーファンクルの唄声を聴いた頃の時代が思い出され、
蘇(よみがえ)ったのである・・。
この頃の私なりの時代は、
【 私がサイモン&ガーファンクルを聴いた頃・・♪ 】
と題して、あるサイトに2006年11月28日に投稿していたが、
あえて再掲載をする。
【・・
昭和43年、私は大学を中退して3年が過ぎようとした頃であった。
映画、文学青年の真似事をし、先行きの見えない日々を過ごしていた。
学生時代の友人達は社会の第一線で出て、
私は社会に対しまぶしくもあったが、
根拠のない自信ばかり強くて、屈折した日々を送っていた。
大学を中退した後、シナリオ・ライターの養成所に入り、
養成所、講師からアルバイトを紹介してもらった。
アメリカのテレビドラマの下請けで、出演者として脇役で数本出たりした。
或いは、ある月刊誌の記事の与えられた課題を取材し、下書きをし、
講師が筆を入れて、講師の名で発表されたが、
ある程度の収入となった。
このようなことを何時まで行っても文章修行の時間がなくなり、
警備員などのアルバイトをしながら自由な時間を確保したりした。
あるお彼岸の時、親戚の叔父さんから、
『若い時・・なんとでも成るが・・30からどうするの・・』
と云われたりした。
学生時代の友人達は、社会に出て、逢う機会も次第になくなり、
何かしら取り残されたようになってきた。
やはり定職に就いて、いずれは・・と思い、
新聞広告で就職募集の中途採用欄を見て、
ある大手の家電会社の営業職に入社の受験した。
この試験の帰りに映画館で『卒業』を観た・・。
この頃、ラジオから『サウンド・オブ・サイレンス』がよく流れていた。
映画はこの曲を中心に流れ、私は魅了させられ、
初めてサイモン&ガーファンクルの歌声、メロディーに酔いしれた。
家電の営業職の中途採用は、その後は面接を2回ばかりして、
幸いに採用通知を頂いた。
このような時、近所の家電販売店の店主が、
実家にたびたび来宅していた。
『あんたなぁ・・家電の営業・・といってもなぁ・・
余程の覚悟でならないと・・使い捨て・・消耗品なるよ・・
同じやるなら・・手に職を持った・・・技術だょ・・』
と私は忠告された。
私は社会に対し、中途半端な身であったので、
技術職といっても皆目検討が付かなかった・・。
このような時に、本屋の店頭でダイヤモンド社のビジネス雑誌で、
付録として『三週間でわかるコンピューター』と題された小冊誌があった。
購入して読んだが、理工関係にも弱い私は理解出来ない方が多かった。
ただ漠然として、これからの企業ではコンピューターが伸張する、
と理解していた程度であった。
この後、私はコンピューターのソフトコースの専門学校に1年間学んだ上、
ある程度の企業に中途入社しょうと思った。
同期の生徒は、高校を卒業したばかり理工方面に優秀な若い男女が多く、
私は遅れた青年のひとりとして、学んだ。
私は積分、微分には苦慮したが、授業を受けていく中、
コンピューターを操作していても処理時間に相当掛かるので、
空き時間があり、企業に入ったら、
この時間を創作時間に当てようと思ったりした。
そして、近所の家電販売店の店主の紹介で、
ある大手の音響・映像の会社の首脳陣のお方を知り、
このお方のご尽力もあり、昭和45年4月、私は何とか中途入社が出来たのであるが、
まもなく企業は甘くないと知り、
私は徹底的に管理部門のひとりとして鍛えられた。
この頃は、サイモン&ガーファンクルの『ミセス・ロビンソン』、『スカボロー・フェア』、
『サウンド・オブ・サイレンス』等が収録されたLP『サイモンとガーファンクルのグレーテイス・ヒット』をよく聴いていた・・。
そして究極のアルバム『明日に架ける橋』が発売され、
レコードが擦り切れるくらい好く聴いた・・。
♪Sail on silvergirl、
Sail on by
Your time has comev to shine
【song by Poul Simon】
私はガーファンクルの声でこの部分に触れると胸が熱くなり、思わず涙ぐむ・・。
私の彷徨した時代に終わり、
遅ればせながら社会人としてスタートを切り、
そして海の彼方のアメリカの混迷した社会も思いながら、
この曲を聴いたりしていた。
私の勤める会社の一部門が、レコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に異動させられ、企業の1年生として業務にのめり込んだ。
この年の夏、他社であるがサイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んで行く』が流行し、
そして晩秋には作家・三島由紀夫が自裁され、
私の青年期は確実に終わりを告げた。
・・】
このように綴っていたが、大学を中退し、企業に中途入社出来るまでの期間は、
ときには観たい映画、欲しい本を買う為に、食事を何度も抜いたりしたことがあったが、
私にとっては、まぎれない心の黄金時代だった、と深く感じたりしたのである。