夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

台風が過ぎ去り・・♪    《初出2006.8.9.》

2008-05-03 21:58:26 | 定年後の思い
台風が伊豆半島、大島、房総半島の沖を通過したが、
東京の郊外でも昨日より雨が強く降ったり、小降りとなったりしていた。
ときたま、雨は止んだり、風が吹いたりした程度であった。

昨夕は、雨が止んだ後、空は明るくなり、夕暮れの雲は茜雲(あかねぐも)のように赤く染まり、
家内と驚いたりした。

本日の午後になると、小雨がときおり降り、
先程、玄関庭に下り立つと、雨は上がり、樹木の枝葉、草花は濡れて折、
地表は湿った黒土となっていた。

私の住む周辺では、猛暑の続いた日々であったので、
恵みの雨となり、過ごしやすい2日間となった。

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都会の地下水・・♪    《初出2006.8.9.》

2008-05-03 21:49:48 | 時事【社会】
今朝の読売新聞で、【環境ルネサンス】の連載に於いて、
《水都再生》の2回目が掲載されていた。

東京の郊外に住む私は、湧き水には人一倍心を寄せる身であるので、
朝のひととき精読した。

地方部の高倉正樹・記者の記事を無断であるが、転記させて頂きます。



台風一過の朝・・2004年10月、
井の頭公園(東京都・武蔵野市)の「井の頭池」が突然、きれいになった・・。

なぜ池の水が急に透明になったのか。
東京都・西部公園緑地事務所によると、原因は直前の豪雨だった。
雨で地下水位ず4メートルも上昇、きれいな水が池に流れ込んで、一時的に浄化した・・。

池の水源である湧き水は1960(昭和35)年代半ば以降、
相次いで枯れた。
宅地開発で一帯の農地が減少し、雨水が地中に浸透しなくなったためだ。
地下水の異変は、地上の変化に直結する。
水量が落ちた井の頭池は、よどみ、年々濁っていった。

「瀕死の池のすぐ下で、地下水という巨大な『ダム』が豊かな水をたたえている。
きれいになった池が、それに改めて気づかせてくれた」
と小口健蔵・事務所長は語る。

関東平野はもともと地下水が豊富な土地だ。
特に武蔵野台地の地中10~25メートルに広がる砂利の層は水がたまりやすく、
貯水タンクのような機能がある。

しかし高度成長期、工業用水を大量に地下から取水した結果、
地盤沈下が深刻化した。
東京都は1970年代に地下水のくみ上げ規制に着手。

そして現代、墨田区などの地下水位は、
1965年当時に比べて、50メートル上昇している。


以上、引用させて頂きました。


私の住んでいる所は、井の頭公園にはそれ程遠くない。
小学生のころから、ときたま行ったりしている。

私の幼年期は農家であり、実家の田畑の中、湧き水があり、私なりに深い思いがある。

その後の私の周辺の変貌は、私の成長と共に、この時代を目撃しているひとりである。



前記に続き、読売新聞の地方部・高倉正樹・記者の記事を転記させて頂きます。



その水位の回復が、地下施設では困った事態も招いている。

東京の玄関口・JR東京駅では1999年(平成11年)、
増え続ける地下水が駅舎を浮き上がらせる恐れがあるとして、
70本の錨(いかり)を地中に打ち込んだ。

上野駅でも鉄板を積むなどの対策を講じている。

東京駅の最深部は、地下27メートルにある総武線ホーム。
40年前、はるか下に流れていた地下水は、地下15メートルにまで上がり、
現在、駅の地下部分のほぼ半分が《水没》した状態だ。

都内8路線の地下鉄を運営する東京メトロによると、
トンネルから漏れ出す地下水は年間240万トン。

JR東日本では、東京~錦糸町駅間のトンネルから漏れる日量4500トンの地下水を立会川に流し、
水質改善に役立てている。



以上、引用させて頂きました。


私は東京の山手から下町の地帯は、新聞、テレビのニュースで知る程度であるが、
これほど凄い量とは知らなかった。

思い返せば、敗戦後、経済の復興として、下町の工業地帯は、地下水を汲み上げて、地盤沈下となった。
東京オリンピックの前後、人々が住む団地のような大きな建物が地盤沈下となり、
道路と入り口の間に大きな亀裂、段差ができた、と報じられていた。

その後、東京都は総合対策の一環として、地下水の汲み上げを規制した結果、
地下水の回復となり、現在はあふれ出す地下水の対策を講じている。

東京を中核とした戦後の急激な復興の陰には、
こうした光と影の部分がある。

都民の多くは、こうした犠牲を得て、今日の表面上の繁栄で成り立っている。

地方の小都市にお住まいの人々は、どのように感じられるか分からないが、
決して都心は贅沢にあふれた街だけではない、と真摯に思っている。

前回は、山の手から下町にかけての悲劇であるが、
この23区に隣接した三多摩は、少し違って状況である。


前記に続き、読売新聞の地方部・高倉正樹・記者の記事を転記させて頂く。



一方(三多摩)で、地下水の回復を願う街も多い。
小金井市では、雨水で地下水を潤そうという取り組みを始めた。
雨水を下水道に流さずに地中に逃がす『雨水浸透ます』の導入を市民に呼び掛けている。
1軒あたり上限40万円の設備補助に後押しされ、
個人宅などで計5万基が設置された。
いったん枯れた市内三ヶ所の湧き水で水量が戻り、効果も上々だ。

水がきれいになった「怪現象」をきっかけに地下水への関心が高まった井の頭池でも、
9月、小金井市長を招いて地下水回復シンポジウムが開かれる。
同じ浸透ます設置を、三鷹、武蔵野両市民に働きかける計画だ。

井の頭池の下に眠る巨大な『ダム』が復活する日は来るのだろうか。



以上、記事を転記させて頂きました。


私の住む三鷹、武蔵野市に隣接する調布市に於いて、
確か昭和55年頃、『雨水浸透ます』の設置を私達市民に呼び掛けた。
設置の補助金が数万円だったと記憶する。

調布市は世田谷区、狛江市、三鷹市、武蔵野市に囲まれた位置にある。
水道水は高台にある都立・神代公園に隣接する深大寺付近から、
汲み上げてある程度まかなっている。

旧家に残るわずかな田畑、雑木林を除外すれば、
殆どが一戸建て、マンションが立ち並ぶ住宅街である。

一戸建てといっても、地方のようにゆったりとした敷地に住居が建てられているわけでなく、
多くは50坪以下の敷地に住居を構えた住宅街となっている。
地方にお住まいの方達は信じられないと思うが、
最近では30坪前後の敷地で住居を2階建てで30坪前後の住居となっているのが多い。

私の場合は、ある程度の庭が無ければと思い、
無理をしながら敷地を確保し、銀行から借り入れて長年ローンを返済してきた。

私が一戸建てを構えた数年後、
『雨水浸透ます』の設置の呼びかけが市から通達された。

私の身として多額なローンの返済金を抱えていたので、
わずか数万円の補助金で排水工事を改めてやり直す余裕もなかった。

私の住む市では、ここ25年『雨水浸透ます』は公共の建物以外は、
設置が余り導入されていないのが、現状である。

私は雨が降るたびに、わずかな庭の黒土から地下に浸透するように願い、
日々を過ごしている。


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秋田の美少女達・・♪    《初出2006.8.8.》

2008-05-03 21:18:12 | 旅のあれこれ
秋田の『竿燈まつり』を観ていた時、12歳前後の女の子のグループが、
順番に小太鼓を敲(たた)いていた。

観客から見詰められている視線を意識しているのか、少し照れた表情をしている。
小太鼓を敲いている時は、真剣な表情をしていて、
その後、役目が終わった後、同級生と思われる人と談笑をしていた。

7人の女の子のグループであり、その2人は色白で、
最近のテレビに出ているタレントと称する同い年の少女達より、
遥かに美しい表情を湛(たた)えていた。

あのお2人は、秋田出身の日本の代表的な美人になる、と余計な事を思ったりした。


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曇り空となったが・・♪   《初出2006.8.8.》

2008-05-03 21:16:10 | 定年後の思い
東京の郊外は、午前中は小雨となった。

猛暑が続いていたので、私の住む地域では恵みの雨となった。

気温は27度前後で、樹木、草花もしっとりと濡れ、地面は黒土となっている。

先程、昼寝から目覚めたが、冷やした煎茶を飲んだ後、
主庭に下り立ち、煙草を喫いながら、空を見上げ、樹木を見詰めたりした。

雨は上がり、雀の一羽が地面にある餌を探しているらしく、
あちらこちらと移っている。

群れのなさない一羽の雀を見ていると、
俺に似ているなぁ、と思えた・・。

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小雨の朝を迎えて・・♪

2008-05-03 20:55:15 | 定年後の思い
東京の郊外は、小雨が降って折、ときたま遠方から雷鳴が聴こえてくる。

台風7号で、関東から九州にかけての太平洋側について、
大雨や暴風、高波の警戒を呼び掛けている、と気象庁が報じていた。

尚、予報部は
『台風7、8、9号が同時に三つの台風が日本に影響する例は余り無い』
と発表している。

東京の郊外として、連日暑い日々が続いたので、恵みの雨と思っている。
他の地域にお住いの方達が台風の上陸など被害がなければよいが、
と久々の雨空を見詰めている。

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キュウリ、1本70円・・!?

2008-05-03 20:52:49 | 時事【社会】
真昼に買い物に行った時、日常の生鮮野菜を見ている。

キャベツ、レタス、セロリ、キュウリ、トマト等を見ているが、
7月の長雨の影響で、少し高めとなっている。

日常の生鮮野菜は、豊作であれば、最悪の場合捨てられて、
今回のように不作の場合は、品薄すとなり多少高めの値段が店頭で並ぶ。

私は大都市と田園の生産地が疎遠になった現在、
身近に結ぶ糸は生鮮野菜であると日頃から思っている。

工業製品と違い、生鮮野菜は生き物である。

陽射し、水、土壌、そして肥料で育つ、ナイーブな生鮮野菜である。

大都市で住まわれ、生鮮野菜の価格にご不満があるお方は、
一度家庭菜園のような形で作られてから、発言をしてほしい、と思っている。
野菜のひとつ、ひとつは労苦が伴って、初めて出来る品である。

私は東京の郊外に住み、私の家を含めて、息苦しいほどの家並みの住宅街であるが、
幼年期、農家であった私は、昨今このような思いである。

家内はサラリーマン出の家柄であるので、
『貴方・・野菜・・高いわよ・・』
と無邪気に言っている。


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真昼の買い物・・♪    《初出2006.8.7.》

2008-05-03 20:50:35 | 定年後の思い
旅行に行き、帰宅後も日常生活のパターンが狂っているので、
通常のサイクルに戻す為、11時過ぎに買い物に行った。

家内は早朝から、洗濯と掃除をしている。

東京の郊外は、猛暑の34度前後となり、
帽子とサングラス、扇子そしてハンドタオルは私の必須となる。

住宅街を急ぎ足で通り抜けたが、
宗旦木槿(ソウタンムクゲ)は暑さと水不足の為か、どのお宅の花びらも元気がない。
百日紅(サルスベリ)の薄い紅色の花は、暑い陽射しを受けても盛華となり彩っている。

買い物の帰り、何時ものように八百屋に寄り、西瓜(スイカ)を提げて、帰宅する。

帰宅後、エアコンの冷気にあたり、顔を洗い、着替えて、冷やした煎茶を呑む。

昼の1時に過ぎに、冷やした素麺(そうめん)を食べながら、
炎天下の主庭を見詰めたりした。
そして、家内と旅行のこぼれ話をしたりしている。

居間の気温は27度を指している。



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『秋田竿燈』、『青森ねぶた』祭り【2006.8.4. ~ 8.6.】

2008-05-03 14:58:43 | 
   序章  夏祭り見物のあれこれ

家内が『東北の夏祭り』を観たいわ、と言い出してから10数年過ぎている。

現役時代の頃は、良い旅行企画があったが、休暇が取れないので見送っていた。

5月頃から家内は、旅行社のパンフレットを集めたりしていた。

個人旅行だと、この祭りの期間は宿泊先が殆ど取れない上、
取れたとしても余りにも高額な宿泊代となる。

東北の4大祭りと称して、『青森のねぶた祭』、『秋田の竿燈まつり』、
『山形の花笠まつり』、『仙台の七夕まつり』がある。

私はどうせ行くのだったら、桟敷席に座って、じゅくり観よう、
と言ったりしていた。

『駄目だわ・・どのお祭りもその夜は近くの温泉地に泊まるの・・
ゆっくり、お祭りを観たいわ・・
慌しく、お祭りの現地を去り、温泉観光ホテルに行くのよ・・』
と家内はぼやいていた。

『このピーク時、止む得ないよ』
と私は言った。

家内は市内のホテルに宿泊し、その現地のお祭りの最後まで見届け、
祭りの後の余韻を楽しみたい、と拘(こだわ)っていた・・。

色々と選択し、『ねぶた祭』、『竿燈まつり』に絞った結果、
お祭りが最後まで観られるプランを家内が見つけた。

価格はびっくりする程、安かったが、ハード・スケジュールであった。

『バスかょ・・遠いよ・・混むしなぁ・・
帰りは夜行で帰ってくるんだょ・・』
と私は渋った。

『退職後は毎日が日曜日でしょう・・
翌日・・疲れたら昼寝をすれば・・』
と家内は言った。

《新幹線とバスで移動し、現地のお祭りを桟敷席で観て、
程ほどに切り上げて、近場の温泉観光ホテルに泊まる》
私は最初パンフレットを見た時、このように思っていた。

『俺・・最近・・体力が衰えてきたからなぁ・・』
と私は更にぼやいた。

『まだ60代の初めでしょう・・』
と家内は言った。

我が家では、ときには家内の叱咤激励がある。

『人生・・ときには妥協だょなぁ・・』
と私は呟(つぶや)いた。


明日の早朝より、『秋田の竿燈まつり』、『青森のねぶた祭』を観にハード・スケジュールで旅立つ。



   第一章  明日より、夏祭り旅行

明日より観光団体旅行に参加する。

早朝、自宅を出て、集合時間が6時半となり、一路バスで秋田に行く。
『竿燈まつり』を観て、市内ホテルに泊まる。

翌日、日本海沿いの観光名所に寄った後、青森の『ねぶた祭』を観て、
深夜に現地を出て夜行で東京に戻る。

これはハード・スケジュールで私はだいぶ抵抗した旅行日程であるが、
家内の祭りの最後まで観たいわ、との要望には勝てない。

帰宅は日曜日の朝となり、夜行バスで帰路するので、
日曜日はぐったりと昼寝が予測される。

家内の要望を満たすのは、それ相当の体力がいる、
と思ったりしている。



   第二章  旅の終りは、夜行バス

秋田の『竿燈まつり』、青森の『ねぶた祭』を観終えて、
昨夜の午後9時半頃に青森を出て、青森発を観光団体周遊のバスで帰京した。



『ねぶた祭』が終了した後、現地を出発し、青森中央ICから東北自動車道の高速を走り、
金成PA、那須高原SA、三郷JCTと通り、東京外環自動車道の大泉ICで高速を折、
集合場所だった処に7時半に到着し、散会となった。


私は夜行バスで周遊団体ツアーを利用するのが二度目であるが、
40代の少し前、高野山の宿坊を泊まるというツアーに参加した折、
東京の郊外から和歌山県の高野山に夜行の行程であった。

今回、夜行バスは20数年ぶりであった。

確かに東北自動車道を快走したが、少し疲れと眠気がある。
夜行バスで帰京したが、深夜走行中、ときおり眠った程度、
車内の座席をリクライニングで身をゆだねていた。

パーキング・エリアに止まった時は、煙草を喫い、冷たい煎茶のペットボトルを購入したりした。



   第三章  旅の始まりは、ゆったりの日の出

4日の早朝、家内は3時に起床し、家を出たのは、4時45分であった。

京王線の最寄駅まで歩いて、
5時過ぎの1番電車をプラット・ホームで待っているとき、
東の空に朝日が昇ってきた。

その方面は住宅街で高い建物がないので、ゆっくり日の出を観ることができた。

駅のベンチに座って、日の出を観るのは、
旅行のような非日常のひとときしかない。

我が家は住宅街の外れであり、
ある程度日の出が昇ってから、陽射しが主庭などに差し込んでくる。

電車に乗り、集合場所に着いたのは、30分前であった。



   第四章  秋田『竿燈まつり』

4日の夜、初めて竿燈まつりを観た。

秋田市内のワシントン・ホテルに夕方の5時前に着いて、
祭り前の街中を家内と散策した。

大通りの800メートル前後を会場として、この通りの中央分離帯が3メートル前後があり、
この場所に桟敷席が左右に5段の階段状に席が設けられていた。

道路の上り、下りに黄金色に染まった稲穂色の堤燈が光の大河となるらしい。

幸い桟敷席が取れたので、時間的に余裕があったので、
産物即売店の前に、屋台が数多く出ていて、地酒の『高清水』を呑みながら、軽食代わりにやきとりを頂く。

桟敷席で待機していると、ご婦人方の踊りがそれぞれの町内別に歩を進められた・・。

その後、大若、中若、小若、幼若といった提灯の高さと数の大小の竿燈があり、
手元と先端の御幣付近を手で携えて横にし、
200本前後の竿燈がゆっくりと歩き始めた。

しばらくすると、一斉に竿燈は立てられて、光の帯となり、
額(ひたい)、肩、腰に竿燈を掲げ、手のひらで支える流しなどが観られた。

竿燈囃子は、笛と太鼓、そして鉦(かね)で奏でる素朴さであるが、
町内の若くご婦人の敲く太鼓は迫力があった。

そのうち、小ぶりの太鼓を12歳前後の女の子のグループが敲いたりして、
愛らしく好感が持てた。

いずれにしろ、各町内で老若男女の幼子からご年配まで、
市民全体が五穀豊穣を願う心の伝統が竿燈に込められている。

観客のひとりとして私は、過剰な演技は無く、
市民ひとりひとりの懸命に祭りに参加する心に感動さえ覚えた。

翌朝、市内をバスで去る時、
市民会館の庭先でひとつの竿燈が揺れていた。
夜のまつりに際して、朝のひととき、練習している状景であった。



   第五章  西瓜(スイカ)の美味しい地域

秋田の『竿燈まつり』を観た翌日、白神岳の麓(ふもと)にある十二湖を散策し、
深浦の観光ホテルで昼食を頂いた後、
バスは一路青森市を目指した。

日本海沿いの道路から里山を抜けると、田畑が広がっていた。

『西瓜がたくさん・・成っているわ・・』
と家内が言った。

私は車窓から、畑を見詰めた。

しばらくすると、五所川原市の10キロ手前の森田村と思えたが、
休息でバスから降りた。

JAが経営している建物の入り口で、
西瓜、メロン、とうもろこし、リンゴジュースの即売があった。

西瓜は大玉、小玉があり、美味しいそうで格安であったが、
周遊団体観光の身としては、止む得ずあきらめた。

私はとうもろこしの茹(ゆ)であがったのを1本買い求め、
サービスの賞味用に一切れの西瓜を頂いた。
程ほどの甘さ、香りは抜群であった。

私の食べた60何年間で、紛(まぎ)れもなく五本指に入る。

私は津軽の名も知れる地域で生育されたお方に、脱帽したいと思った。

たがは西瓜、されど西瓜である。

たった一切れの西瓜であるが、生産者の労苦の果てに、
絶品の味、香りを頂けるのは、贅沢なひとときを感じた。

とうもろこしは家内と半分にし、頂いたが、
味にうるさい家内でも、誉(ほ)めていた。

幼年期、農家の子であった私は、
『昔・・家で作っていたよりも・・美味しい味がする・・』
と家内に言った。



   第六章  青森の『ねぶた祭』に失望・・!?

青森市内には、午後4時半過ぎに到着することが出来た。

『ねぶた祭』は、勇壮な武者人形の灯篭の迫力ある「面」は、ねぶた師の技の結晶です。
大迫力の祭りをぜひ一度

とパンフレットなどに書かれていた。


15年前頃に十和田湖のある観光ホテルでロビーに置かれていたのを観ていたので、
実際台車に乗せられて動いたならば、と期待をしていた。

実際、目の前にすると幼稚と荒さが目立ち失望した。

これだけ広い会場をねぶたを動かせ、ハネトも躍動させるには、
ある程度の演出が加味された上で、観光客は迫力を感じ、酔いしれると思う。

実行委員会の人々は、この祭りで何を表現したいのが、
意図が呆(ぼ)けている。

従って、他の小規模の祭りの方が、熱気と迫力につつまれて折、
折角の大動員したが単なる市民の遊び程度しか、
私には感じられなかった。

私は祭りの中途で、家内に声をかけて、会場から離れた。

ホテル青森のカフェテラスで、
ビールを呑みながら、ナッツの盛り合わせを食べたりした。

余りにも期待し過ぎたのかしら、と思ったりした後、
お代わりのビールを注文した。


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時は流れて・・♪    《初出2006.8.2.》

2008-05-03 14:39:49 | 定年後の思い
定年退職後、秋になると2年間になる。

昨日の平日、私の住む地域ではお盆であったので、
実家の長兄宅に行き、雑談をしたり、叔父さん、叔母さんとも他愛のない話をした。

その後で、家内とお墓参りをし、買い物、外食をした。

本日は家内が歯科医院の治療の為、
駅前に出て、私は『ドトール』でアイス・コーヒーを呑みながら、
道行めぐ・女史の『~きれいを磨く~美しい日本語帳』を読んで家内を待ったりしていた。

川沿いの遊歩道をのんびりと歩いて帰宅したりした。

そして金曜日からの旅行の準備を家内は忙しそうにしているが、
私はデジカメに触れたり、インターネットで旅行先の地域を再確認したりした。

平日のいつものような流れのひとコマであるが、
現役時代からすると時をこのように過ごせるのは夢のような出来事である。


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デジカメは、大人のおもちゃ・・♪   《初出2006.8.2.》

2008-05-03 14:32:15 | 定年後の思い
二年前の夏、家内から定年退職の記念に何か買ったら、
と言ったので私はデジカメを購入した。

ファインダーが一眼レフのようでないと、構図が設定できないので、
流行の液晶画面を見て、決定するのには抵抗があった。

迷いた挙句、一眼レフだと後で凝ると際限がなくなるので、
800画素でズームレンズのある程度の商品で、
キャノン、ニコン、ソニー、コニカミノルタから選定した。

結果として、手ブレ補正の搭載されている随一の商品で、
雑誌の『サライ』で広告していたコニカミノルタの《DIMAGE A2》にした。

本体にカメラ・ケース、充電器、リチウムイオン電池の予備、
そして記憶媒体はCF(コンパクト・フラッシュ)であるので、512MBを購入した。

私は高校時代は写真部に所属したことがあるので、
結婚生活以降は簡易なカメラであったが、
デジカメは程ほど撮れると思っていた。

購入後、現物とカタログを見て、触れて、近くの公園に行き、試写したり、パソコンに取り込んだりした。
思ったより良かったり、悪かったりしてバラ付き多く、勉強しなければならない、と反省した。

デジタルに弱い私は、大人のおもちゃ、と思ったりした。


旅行先に於いて、私のデジカメは機動力があった。

ズームが35mmフィルム換算で28~200mmであり、
512MBの記憶媒体で500画素程度にすると、128枚前後撮れる。
800画素にすると、64枚前後となる。

通常、周遊観光に於いて、ゆったりと撮影する時間が少ないので、
画質さえ800画素以上要求しなければ、一眼レフのレンズ交換を考慮すると、
確かに私のデジカメは構図が素早く決められる。

こんなことを思って、旅行先などで撮り、帰宅後、パソコンに保存する。
ディスクのC(システム主体、共通ファイル等)は避けて、
Dディスクにファイル名、XX温泉滞在と年月日、としている。

こうして時系列のアルバムとなっているが、
プリントはしたことがない。
私がデジカメを使いはじめて2年になるが、まだ機能は全て分かっていない。


この間、コニカミノルタのカメラ部門は、ソニーに吸収されたりしている。
何かしら自社で半導体製造がしていなくて、激動なデジカメの業界に開発も遅れを取り、
営業力も弱かったらしい、と新聞等で知った。

私は少し無念の気持ちがあるが、
その当時として、カメラの技術は完成度が高いと思っている。
後は私の使い方次第では、底知れぬ画質に撮れるかも知れない。

そして、デジカメは益々進化して折、
一眼レフ系も各メーカーが出揃い、簡易デジカメも画質も向上している。

何より驚いているのは、記憶媒体の進化である。

私のカメラは、CF(コンバクト・フラッシュ)で512MBを使用しているが、
本日の買い物の帰路、量販店で1Gを購入した。
たった2年間で、5分の1程度の価格となった。

私は相変わらず、初心者の若葉マークの技量で撮っているが、
写真の一葉はその方の感性、と思っている。

尚、私はこのサイトに於いては、デジカメの写真を掲載しない。
今後も拙(つたな)い文章で表現するつもりである。
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涼しい夏の朝を迎えて・・♪    《初出2006.8.2.》

2008-05-03 14:29:41 | 定年後の思い
東京の郊外は、ここ数日、涼しい朝を迎えている。

25度程度の朝で、曇り空の1日を迎えるが、
日中のひとときは晴れ間となり、29度前後の過ごしやすい日となる。

暑さの苦手な私は、快適であるので、
『軽井沢のようだね・・』
と家内に言ったりしている。

日中、家内は歯科医院に治療に行くので、
私も同行して、駅前で本屋に寄ったりすめ予定である。


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真昼のお墓参り・・♪   《初出2006.8.1.》

2008-05-03 14:27:31 | 定年後の思い
実家の長兄宅に家内と9時半に訪問した。
兄と義姉と雑談していると、親戚の叔父さんが見え、
その後まもなくして直系の叔母さんが見えた。

いずれも相応の資産家であり、代々の家を受け継いでいる方で、
両方のお方は75歳前後であるが、
心身共にご健在であり、安堵したりした。

この後、家内とお墓参りにお寺に出かける。
境内は植木屋さんが十数人で樹木の剪定をしていた。
私は住職を訪ねて、山門の修復に伴う寄付金をいくばくか包んだのを手渡した。

お墓でお線香を捧げると、夏の花に飾られた間から、紫煙が立ち昇った。

快晴であるが初秋めいた陽気の中、紫煙はゆるやかに大空に舞い上がった。

お参りを済ませた後、水屋の付近にある大木の樹木の間から、蝉の鳴き声が聴こえてきた。

『貴方・・みんみん蝉・・』
と家内が私に言った。


駅前の駅ビル内で買い物を済ませ後、
昼食は回転寿司とした。
私はビールを呑みながら、勝手につまんだ。
家内は煎茶を呑みながら、食べたりしていた。
私達は美味しいもの偶然にあたると、分けて食べる習慣がある。

この点、寿司の場合はワンペアで出されるので、楽である。
ひとつ口に入れて、思ったより美味しい場合は、もうひとつを家内に薦める。

洋食の場合は、ナイフで切り、そっと家内の皿に載せる。
『思ったより・・良い味・・』
と私は家内に言ったりしている。

今回、私共は回転寿司を利用するのは、3度目であるが、
程々の味と2人で1万弱の値段で、手軽に食べられ、
ときには良いかなぁ、と思ったりした。


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ときには、別ブログに熱中すれば・・♪

2008-05-03 12:53:00 | 定年後の思い
私は定年退職後の3年半の今日まで、
4つのブログ系のサイトに加入してきたが、
殆ど毎日数通は投稿してきた。

私自身の心の思いから政治までの各分野に書き散らかしてきたが、
4月の初めに、振り返った時、
何かしら鍋物の《ごった煮》のような思い、
別ブログの【年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~】に
今まで書き散らかした投稿文3000通前後を整理、統合している。

本格的に4月19日から開始し、二週間過ぎたが、
この間は550通の投稿をしてきた。
まだ道なかばであり、本日はあと何通投稿できるかしら、
と考えたりしている。

このように私が熱中させているのは、
私が幼少時代から年金生活までの生きてきた心の軌跡であり、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからである。

そして少し疲れると、庭のテラスに下り立ち、
樹木の若葉を眺めながら、煙草を喫ったりし、
私なりに過ごしてきた心の軌跡を、
改めて思い返し、
微苦笑をしたりしている。

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薄汚い女性を見かけると・・。  《初出2006.7.31.》

2008-05-03 12:30:09 | 時事【社会】
遅い朝食でお蕎麦を頂いて、調布駅前にバスを利用して出かけた。

銀行に行き、通帳の集約をした後、パルコで贈答用のクッキーを購入し、
帰路バスに乗った。

後部の窓際の座席に座っていると、反対側に座っている30前後の女性が、
菓子パンのような品を食べはじめた・・。

乗り合いの路線バスの中であったので、私は驚いた。
観光バス、新幹線等の長距離であったならば、
私は食事等はすることがあるが、
単なる街中の路線バスである。

私は、その女性は10人並みの美顔で、
綺麗な服を召していたが、
薄汚く、心の貧しい人と見えた。

人前のバス車内で食べるということは、
お子様いたならば教育、しつけは、どのようにしているか、と思ったりした。

このことは昨今叫ばれている収入の格差とは関係なく、
その人の素養と思っている。

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『お天気おじさん』ご健在・・♪   《初出2006.7.31.》

2008-05-03 12:16:08 | 時事【社会】
今から20年前頃、NHKの気象キャスターとして、
気象庁を定年退職された倉嶋 厚・氏をテレビで拝見していた。

誠実な人柄の良さが表情から感じられ、
家内と私は尊敬の念を抱いたりしていた。

その後、奥様を亡くされ、
心身の痛切を綴られた随筆『やまない雨はない』が発刊され、
家内がめずらしく、読みたいわ、と言って購入したりした。

今回、『花の季節ノート』が発刊されて折、
読売新聞の【本 よみうり堂】の中で、著者のインタビュー記事を拝読した。

大正13年(1924年)と何かで知り、
お年は82歳を迎えられているが、心身ご健在を分かり、
お逢い人でもないが、何かしらほっとしている。

存在感のあるお方、と思ったりしている。


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