序章 夏祭り見物のあれこれ
家内が『東北の夏祭り』を観たいわ、と言い出してから10数年過ぎている。
現役時代の頃は、良い旅行企画があったが、休暇が取れないので見送っていた。
5月頃から家内は、旅行社のパンフレットを集めたりしていた。
個人旅行だと、この祭りの期間は宿泊先が殆ど取れない上、
取れたとしても余りにも高額な宿泊代となる。
東北の4大祭りと称して、『青森のねぶた祭』、『秋田の竿燈まつり』、
『山形の花笠まつり』、『仙台の七夕まつり』がある。
私はどうせ行くのだったら、桟敷席に座って、じゅくり観よう、
と言ったりしていた。
『駄目だわ・・どのお祭りもその夜は近くの温泉地に泊まるの・・
ゆっくり、お祭りを観たいわ・・
慌しく、お祭りの現地を去り、温泉観光ホテルに行くのよ・・』
と家内はぼやいていた。
『このピーク時、止む得ないよ』
と私は言った。
家内は市内のホテルに宿泊し、その現地のお祭りの最後まで見届け、
祭りの後の余韻を楽しみたい、と拘(こだわ)っていた・・。
色々と選択し、『ねぶた祭』、『竿燈まつり』に絞った結果、
お祭りが最後まで観られるプランを家内が見つけた。
価格はびっくりする程、安かったが、ハード・スケジュールであった。
『バスかょ・・遠いよ・・混むしなぁ・・
帰りは夜行で帰ってくるんだょ・・』
と私は渋った。
『退職後は毎日が日曜日でしょう・・
翌日・・疲れたら昼寝をすれば・・』
と家内は言った。
《新幹線とバスで移動し、現地のお祭りを桟敷席で観て、
程ほどに切り上げて、近場の温泉観光ホテルに泊まる》
私は最初パンフレットを見た時、このように思っていた。
『俺・・最近・・体力が衰えてきたからなぁ・・』
と私は更にぼやいた。
『まだ60代の初めでしょう・・』
と家内は言った。
我が家では、ときには家内の叱咤激励がある。
『人生・・ときには妥協だょなぁ・・』
と私は呟(つぶや)いた。
明日の早朝より、『秋田の竿燈まつり』、『青森のねぶた祭』を観にハード・スケジュールで旅立つ。
第一章 明日より、夏祭り旅行
明日より観光団体旅行に参加する。
早朝、自宅を出て、集合時間が6時半となり、一路バスで秋田に行く。
『竿燈まつり』を観て、市内ホテルに泊まる。
翌日、日本海沿いの観光名所に寄った後、青森の『ねぶた祭』を観て、
深夜に現地を出て夜行で東京に戻る。
これはハード・スケジュールで私はだいぶ抵抗した旅行日程であるが、
家内の祭りの最後まで観たいわ、との要望には勝てない。
帰宅は日曜日の朝となり、夜行バスで帰路するので、
日曜日はぐったりと昼寝が予測される。
家内の要望を満たすのは、それ相当の体力がいる、
と思ったりしている。
第二章 旅の終りは、夜行バス
秋田の『竿燈まつり』、青森の『ねぶた祭』を観終えて、
昨夜の午後9時半頃に青森を出て、青森発を観光団体周遊のバスで帰京した。
『ねぶた祭』が終了した後、現地を出発し、青森中央ICから東北自動車道の高速を走り、
金成PA、那須高原SA、三郷JCTと通り、東京外環自動車道の大泉ICで高速を折、
集合場所だった処に7時半に到着し、散会となった。
私は夜行バスで周遊団体ツアーを利用するのが二度目であるが、
40代の少し前、高野山の宿坊を泊まるというツアーに参加した折、
東京の郊外から和歌山県の高野山に夜行の行程であった。
今回、夜行バスは20数年ぶりであった。
確かに東北自動車道を快走したが、少し疲れと眠気がある。
夜行バスで帰京したが、深夜走行中、ときおり眠った程度、
車内の座席をリクライニングで身をゆだねていた。
パーキング・エリアに止まった時は、煙草を喫い、冷たい煎茶のペットボトルを購入したりした。
第三章 旅の始まりは、ゆったりの日の出
4日の早朝、家内は3時に起床し、家を出たのは、4時45分であった。
京王線の最寄駅まで歩いて、
5時過ぎの1番電車をプラット・ホームで待っているとき、
東の空に朝日が昇ってきた。
その方面は住宅街で高い建物がないので、ゆっくり日の出を観ることができた。
駅のベンチに座って、日の出を観るのは、
旅行のような非日常のひとときしかない。
我が家は住宅街の外れであり、
ある程度日の出が昇ってから、陽射しが主庭などに差し込んでくる。
電車に乗り、集合場所に着いたのは、30分前であった。
第四章 秋田『竿燈まつり』
4日の夜、初めて竿燈まつりを観た。
秋田市内のワシントン・ホテルに夕方の5時前に着いて、
祭り前の街中を家内と散策した。
大通りの800メートル前後を会場として、この通りの中央分離帯が3メートル前後があり、
この場所に桟敷席が左右に5段の階段状に席が設けられていた。
道路の上り、下りに黄金色に染まった稲穂色の堤燈が光の大河となるらしい。
幸い桟敷席が取れたので、時間的に余裕があったので、
産物即売店の前に、屋台が数多く出ていて、地酒の『高清水』を呑みながら、軽食代わりにやきとりを頂く。
桟敷席で待機していると、ご婦人方の踊りがそれぞれの町内別に歩を進められた・・。
その後、大若、中若、小若、幼若といった提灯の高さと数の大小の竿燈があり、
手元と先端の御幣付近を手で携えて横にし、
200本前後の竿燈がゆっくりと歩き始めた。
しばらくすると、一斉に竿燈は立てられて、光の帯となり、
額(ひたい)、肩、腰に竿燈を掲げ、手のひらで支える流しなどが観られた。
竿燈囃子は、笛と太鼓、そして鉦(かね)で奏でる素朴さであるが、
町内の若くご婦人の敲く太鼓は迫力があった。
そのうち、小ぶりの太鼓を12歳前後の女の子のグループが敲いたりして、
愛らしく好感が持てた。
いずれにしろ、各町内で老若男女の幼子からご年配まで、
市民全体が五穀豊穣を願う心の伝統が竿燈に込められている。
観客のひとりとして私は、過剰な演技は無く、
市民ひとりひとりの懸命に祭りに参加する心に感動さえ覚えた。
翌朝、市内をバスで去る時、
市民会館の庭先でひとつの竿燈が揺れていた。
夜のまつりに際して、朝のひととき、練習している状景であった。
第五章 西瓜(スイカ)の美味しい地域
秋田の『竿燈まつり』を観た翌日、白神岳の麓(ふもと)にある十二湖を散策し、
深浦の観光ホテルで昼食を頂いた後、
バスは一路青森市を目指した。
日本海沿いの道路から里山を抜けると、田畑が広がっていた。
『西瓜がたくさん・・成っているわ・・』
と家内が言った。
私は車窓から、畑を見詰めた。
しばらくすると、五所川原市の10キロ手前の森田村と思えたが、
休息でバスから降りた。
JAが経営している建物の入り口で、
西瓜、メロン、とうもろこし、リンゴジュースの即売があった。
西瓜は大玉、小玉があり、美味しいそうで格安であったが、
周遊団体観光の身としては、止む得ずあきらめた。
私はとうもろこしの茹(ゆ)であがったのを1本買い求め、
サービスの賞味用に一切れの西瓜を頂いた。
程ほどの甘さ、香りは抜群であった。
私の食べた60何年間で、紛(まぎ)れもなく五本指に入る。
私は津軽の名も知れる地域で生育されたお方に、脱帽したいと思った。
たがは西瓜、されど西瓜である。
たった一切れの西瓜であるが、生産者の労苦の果てに、
絶品の味、香りを頂けるのは、贅沢なひとときを感じた。
とうもろこしは家内と半分にし、頂いたが、
味にうるさい家内でも、誉(ほ)めていた。
幼年期、農家の子であった私は、
『昔・・家で作っていたよりも・・美味しい味がする・・』
と家内に言った。
第六章 青森の『ねぶた祭』に失望・・!?
青森市内には、午後4時半過ぎに到着することが出来た。
『ねぶた祭』は、勇壮な武者人形の灯篭の迫力ある「面」は、ねぶた師の技の結晶です。
大迫力の祭りをぜひ一度
とパンフレットなどに書かれていた。
15年前頃に十和田湖のある観光ホテルでロビーに置かれていたのを観ていたので、
実際台車に乗せられて動いたならば、と期待をしていた。
実際、目の前にすると幼稚と荒さが目立ち失望した。
これだけ広い会場をねぶたを動かせ、ハネトも躍動させるには、
ある程度の演出が加味された上で、観光客は迫力を感じ、酔いしれると思う。
実行委員会の人々は、この祭りで何を表現したいのが、
意図が呆(ぼ)けている。
従って、他の小規模の祭りの方が、熱気と迫力につつまれて折、
折角の大動員したが単なる市民の遊び程度しか、
私には感じられなかった。
私は祭りの中途で、家内に声をかけて、会場から離れた。
ホテル青森のカフェテラスで、
ビールを呑みながら、ナッツの盛り合わせを食べたりした。
余りにも期待し過ぎたのかしら、と思ったりした後、
お代わりのビールを注文した。