ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

アメリカが作成した放射能拡散マップ

2011-04-21 07:36:46 | 社会

今朝の毎日新聞にアメリカ政府が作成した放射能拡散マップが出ていた。アメリカ政府はこのマップを根拠に福島第一原発から半径80Km以内へのアメリカ人の立ち入りを禁止している。

このマップは原発を中心とした地図上に放射能の拡散状況を濃度別に色分けして塗ったものである。色が濃いほど濃度が高い。この図を見ると放射能は同心円状ではなく北西に細長く拡散していることが分かる。北西の方向では30Km をはるかに超えて50Km くらいまで濃い色が伸びている。一方南西方向は20Kmでも色はかなり薄い。

世界が期待していたのはこういう情報だろうと思う。それぞれの国で放射能に対する判断基準は異なるだろうが、このような拡散マップを見せられれば独自の判断をすることができ、「日本への渡航禁止」は必要ない、とかいうことが分かるはずである。私は原発事故発生直後からこのようなマップがいつ出るかと思っていた。こういうマップが出れば、それも時間経過とともに、一日の被ばく量と累積の被ばく量を示せば原発が悪化しているのか、収束しているのかはわかる。大爆発の可能性は別であるが。どうして当事者である日本政府からこういうマップが出ないのだろうか?

私の想像であるが、これは政府が原発問題を東京電力に丸投げした結果だと思う。原発の対処は全て東京電力、政府は東京電力からの情報に基づいて判断を行う、という方針を菅総理が作ってしまったために政府内部ではこういうことをするという発想が出なかった。一方東京電力ではそのような広域の測定をする手段を持っていなかった、というのが実態ではないかと思う。

それにしても、政府内部で「こういうことをするべきだ」と進言する人はいなかったのだろうか、と思う。居ないわけはない、押しつぶされたのだろうと想像している。そういった対応が、桜井財務副大臣の総理批判のような形で噴出してきたのだろう。今は、菅総理に「早く辞めなさい」という人が誰か、というのが政府内部の最大の課題ではないだろうか。それが言えそうなのは仙石前官房長官だと思うが、野党が仙石外しをやったおかげで、仙石氏は権力の中枢からはずれている。岡田幹事長がこれを言うと次の総理候補が居なくなる、という状態で民主党は身動きが取れなくなっていると思う。

野党の仙石外しが、マイナスになった、と私は思う。


最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
菅政権とその周辺 (世田谷の一隅)
2011-04-21 15:02:00
ここまで読み解くと、政局が面白く見えますが、マスコミに流布される情報のレベルで、ここまで類推すると、邪推の類になるのではないでしょうか? 週刊誌の記事としては面白いと思いますが、このブログはその種の展開よりも、もう少し手前の段階の論議を深くした方が良いと思います。

①丸投げは悪い事なのか?
私は閣内の大臣レベルで技術問題に詳しい人がいない場合、外部であっても官僚内部であっても、丸投げするのは、それだけでは必ずしも非難されないと思う。問題なのは「投げっ放し」にすることです。途中過程に一緒に入って、重要案件であればあるほど、プロセスを見ながら結果を導き出すのは大切な事です。

技術っぽい領域であればあるほど、技術者の殻や独善に囚われない様に、それ枠を乗り越えてmanagementする必要があります。それがMOT(management of technology)の典型です。

図らずも、この辺りに、日本の大学教育の課題、そして大企業、官公庁で、「理系か文系か?」で分類してしまう文化の弊害が出てきていると思います。

今回の騒動でTVや新聞に出てくる「理系の人」は殆どが、解説者です。つまり技術をわかりやすく説明するだけの存在としか位置づけられていない。一方、経営者、トップと呼ばれる人たちは、その技術っぽい領域を把握できていない様だ...。この辺が、国民がもどかしく感じる一番のポイントではないでしょうか? ウイトラさんも技術一本やりの存在から、もっと「経営レベル」でその是非、判断をする立場にまで進んでいたら、そのダイナミックさ、微妙さに興味が出てきたと思います。

② 自分に厳しい意見を言いそうな人を遠ざけるのは悪い事か?
これは、そのリーダの技量の問題です。私は結局は菅直人という人を選んだ民主党、そして、それに期待した国民が受け入れなければならないポイントだと思います。リーダは、常に、厳しめの意見を言う人(ご意見番)を比較的身近なところに配置して、適宜、その意見を聞く(聞き入れる意味ではなく)のはリーダの技量です。

リーダの評価は最終的には成果で評価されるだけです。ああだ、こうだのプロセスを論議するのは、いい成果が出なかった時や、いい成果が出た時の話であって、本質は「成果」です。

民主党政権になって、良かったこともいくつかあるでしょう。おかしくなってしまった事もあるでしょう。よくなっている点をもう少し伸ばして、悪くなっている点を少しずつ改善して、最終的には次の選挙で、有権者の審判を受けるわけですから。

勿論、適宜、マスコミはそれを監視しながら、その実態を報道するのは大切な材料提供です。

桜井副大臣のあの程度の批判でうろたえることなく、うまく乗り越えることができれば、評価は一段と上がるのに、右往左往するだけではねぇ。些末な批判と、それを大事の様に報道するマスコミにいちいち気を取られている様では、その程度の技量なんだったのかと再認識しただけの事。

③ どの辺に問題があるのか?
いくつかの問題が考えられます。まず、
「政治主導」:これは政治先導ならもう少し実態に近かったのが、官僚排除で、政治家が「なんでもやる」、100人を官僚組織に送り込むと息巻いた辺りから、官僚との溝が広がってしまった。軍隊の文民統制と同じで、基本方針と最終判断(責任)は文民たる政治家が取るのいみが、ねじ曲がってしまったようです。某大臣が現場に乗り込んで、「放水しろとか、交替しろ」等のレベルの指示を出すことは、リーダシップでもなんでもない。単に越権とはしゃぎ過ぎだということをはき違えている。

この辺りが、「官僚組織を使いこなす」事と「技術者を使いこなす」事が似ている点に気が付くでしょう。つまり、平時でも戦時でも、民主党未経験政権の限界が見えてくる。

要はリーダがリーダとしての訓練を受け、修羅場をくぐってきていない。中国や米国のリーダ育成・選びと違う日本の脆弱性が出てきてしまった。

だから、一番反省すべき人は? 国民ですよ。そのツケを払っているのですから。次の選挙まで待つしかないですね。それほど大きな期待票を民主党に投じたのですから。
返信する
「国民は」という議論はしない (ウィトラ)
2011-04-22 11:33:28
何度か書いていますが世田谷の一隅さんには通じないようですので、これは私のブログの読者へのメッセージです。

私は「国民のため」というように国民全体をひとくくりにしたような議論はするつもりはありません。国全体のため、という議論はするつもりはありますが。「国全体のため」と「国民のため」ははっきり違うと考えています。

同様に「国民の責任」という議論もするつもりはありません。責任を議論するときはもっと対象を絞るべきだと信じています。
返信する
Re;「国民は」という議論はしない (花のヤン)
2011-04-23 09:53:51
 同意しかねますね。
 たしかに世田谷の一隅さんのコメントの最後には「だから、一番反省すべき人は? 国民ですよ。」とありますが、彼のコメントの主旨はその前の部分の問題点についての考察にあるわけですから。
 また、「国全体のため」と「国民のため」に何の違いあるのか私には理解できません。
 まさか、「富国強兵のために国民が何人死んでも構わない」というわけでもないでしょう。
 「一部の国民には不利益かもしれないが、ほとんどの国民には確実な利益をもたらす。」という場合なら、やはり「国民のため」ということになるのではないでしょうか。
返信する
国民と国の論議 (世田谷の一隅)
2011-04-25 12:45:25
今回の論議は、これで打ち止めにしましょう。
ブログのオーナーが嫌がっているのなら、これ以上蒸し返しても仕方ないです。

元々価値観の違う人が、夫々の考えを少しずつ披瀝することで、少しでも相互理解と、若干でも軌道修整(修正ではなく)ができれば、それなりの意味があります。但し、こじれるのであれば、国民でも国でも、将来も、未来も、このブログの趣旨から逸れるので、打ち止めにしましょう。
返信する
まともに議論するなら (ウィトラ)
2011-04-26 13:33:51
一度きちんと言っておいたほうが良さそうです。

私は世田谷の一隅さんの議論の「国民が選挙で選んだのだから、その政府がやることには国民に責任がある」という議論ははっきり嫌っています。

ナチスドイツが戦争に走ったときに、「戦争責任はドイツ国民にある」、と言っているのと同じだと思います。ドイツ国民に責任がないかと言えば「ある」ということになるのでしょうが、そこから何が出てくるか、という問題です。こういってドイツ人いじめをするのは明らかにおかしいでしょう。
今の日本の状況はドイツ国民が言論の自由があるのならナチス政権に対してどういうか、という問題に相当します。
「我々が選んだ政権だから我々に責任がある。仕方が無い」というのが世田谷の一隅さんの言い方ですが、その言葉自体には意味はないと思います。「選んだ」ということを強調して責任論を展開することには意味が無く、「最初に言っていたことと違うじゃないか」とか「深く考えていなかったから実行しようとすると問題が噴出したね」とかいうのが意味のある発言だと思っています。その結果、次回の選挙で誰に投票するかは個々人が考えることです。
返信する
国民の責任 (世田谷の一隅)
2011-04-27 11:53:39
打ち止めにしようといったけれど、ウイトラさんからコメントがったので、「選んだ側の責任」の取り方を説明しておきます。

①民社党政権の現在の課題は、全て、以前から指摘されていました(バラマキ、反米的、小沢氏に代表される資金の灰色、財政資金の裏付けの曖昧さ等)。それを認識した上で、それでも、自民党政権が続くことの閉塞性を考えると、この際、やらせてみようと国民が決めたのです。

② だから、民主党政権を、ああだこうだと批判している人の多くは、以前からわかっていたことを改めて指摘しているので、うんざりするわけです。

③ 政権の混乱と迷走ぶりは、「想定外」かもしれませんが、私は我慢できる範囲と思っています。民社党に投票しなかった自分が、こんな状況でも我慢しているのだから、民主党に投票した人は、民社党に愛想を尽かすよりも、もっと我慢すべきではないかと思って、「責任を感じるべきだ」と表現したのです。

④ 「郵政選挙」で自民党が圧勝したので、後任の首相達は議席数が大幅に減る解散をできず、任期一杯まで伸ばしました。民主党も全く同じと思っています。それにこの国難ともいうべき震災です。解散、総選挙をしている状況ではないでしょう。

⑤ マスコミにも指摘したいことは色々ありますが、どっちに転んでも、囃し立てるのがマスコミの本質ですから、それに踊らされたら、踊った側の責任でしょう。

⑥ どの世論調査を見ても、あっちが悪い、こっちは嫌だと批判する意見が多く、勝手な要求を並べているケースが多い。あらゆる施策は多寡はともかく財源問題が伴う。その財源問題を暫く棚上げすることで、国民は政権を民主党に委ねたと思います。とにかく四年間は政権が簡単には変わらない事を認識すべきでしょう。「我慢する」といっても、「黙っている」という事ではないと思います。この意味で、私は倒閣に走ろうとする小沢氏を全く評価していませんし、そのグループの行動を支持しません。いずれにせよ、この論議はエンドレスなので暫し休戦しましょう。
返信する

コメントを投稿