スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

旧東海道・神奈川宿④

2010-08-17 | 旧東海道


殺人的(!)蒸し暑さにゲンナリして、このところ日暮れに近場ばかり
歩いていた‘猫’・・・久しぶりの遠出(?)で少々ヘタレ気味か?

「神奈川宿ぶらぶら歩き」も、そろそろゴールが近くなりました。
しっかり水分を補給して、もうひと歩きデス!



先刻 青木橋で確認した、旧東海道の道筋に入ります。

ほどなく右手に、赤い鳥居。
大綱金刀比羅神社
     

社伝によると平安末期の創立。もとは後方の山(高島山)の上に
あり、飯綱権現を祀っていました。ところが明治末に山が崩れて
山の下にあった金刀比羅社の社殿が崩壊。その再建の際に
飯綱社と金刀比羅社を合祀して大綱金刀比羅神社になりました。

金刀比羅さんといえば海運の神様。嘗て眼下に広がっていた
神奈川湊に出入りする船乗り達に、篤く信仰されていました。
社殿横にある大きな天狗の顔は、飯綱権現の化身でしょうか。
権現様は、天狗に身を変えて邪悪を廃したとか。

説明板によれば;
神社前の道の両側に、当時は一里塚が築かれてあったようです。




嘗てこの台町辺りは、神奈川湊を見下ろす景勝の地で
数多くの茶屋が軒を並べて賑わっていたそうです。

(袖ヶ浦)
「たどり行くほどに 金川(かながわ)の台に来る。ここは片側に
茶屋軒をならべ、いづれも座敷二階造、欄干付きの廊下、
桟(かけはし)などをわたして、浪うちぎはの景色いたってよし。」
( 十返舎一九 『東海道中膝栗毛』より )


今は、道の両側に高層マンションが立ち並んでいますが
  ビルに挟まれて、高級料亭とおぼしき建物もみられます。




田中家

神奈川宿が賑わった当時から唯一続いている料亭で、1863(文久3)年創業。

高杉晋作やハリスなども訪れたそうです。 また、1874(明治7)年ごろ
坂本龍馬の妻だった‘おりょうさん’が、勝海舟の紹介で働いていたとか。
英語が話せて月琴も弾け、外国人の接待に重宝されていたそうです。

前身の「さくらや」は、広重の『東海道五十三次』にも描かれています。





右も左も、「○○ハイツ」 「△△レジデンス」・・・ 
横浜駅は指呼の間、さぞかしお
高いのでしょうねぇ(羨)
      



ひっそりと、ビル群の谷間に埋もれそうな
神奈川台関門跡碑
  

開国後 外国人に対する殺傷事件が頻発したことから、幕府は
各国領事らの要求に応えて警備を強化し、横浜周辺の主要な
場所に関門や番所を設けました。「神奈川台関所」もそのひとつ。

以前に、「鶴見橋関門跡碑」をご紹介したことがありましたね。


  
そして、遂に到着しました。

上台橋


神奈川宿の東の端は「神奈川通東公園」、そして西の端が「上台橋」。
道はまだ続いているけれど、今回はここがゴールです


龍馬さんが夢見た日本の‘夜明け’に大きな役割を果たした
横浜の一面が垣間見られて、なかなか楽しい「道中」でした

18,560歩

 

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