goo blog サービス終了のお知らせ 

スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

旧東海道・鶴見①

2010-03-21 | 旧東海道


昨年、品川宿を歩いたときは八丁畷が終着点でしたが
今回はその先を歩いてみようと思います。
さて、どこまで行けるかな?


京急「八丁畷」駅前の踏切を渡ります。
前回、道の両側で金色の実をたくさん実らせていたカリンの並木は
今は、枝いっぱいに可愛らしいピンク色の蕾を付けています。
そろそろ咲き始めている木も・・
    
何だか今日も、元気に歩けそうな気がしてきました


川崎市から横浜市に入りました。
商店街を抜けても「八丁畷」の名のとおり、みごとなほどに
一直線の道が続きます。たまに、年代を感じる建物があったり・・



沿道の右側に「熊野神社


ご祭神:国常立尊(くにのとこたちのみこと)
   伊邪奈岐命(いざなぎのみこと)
   伊邪奈美命(いざなみのみこと)
弘仁年間(810~824)に、紀州熊野神社の別当の
勧請と伝えられます。元々は別の場所にありましたが、
明治になって東海道線敷設の際、此処に遷されました。

「慶應二年」と銘のある貫禄ある狛犬さん
    

支えられて頑張っている石灯籠は「慶應三年」
    

嘗てこの辺りは海辺で、天文年間(1532~1555)にはこの辺りで
魚介の市が開かれていたところから、「市場村」と呼ばれていました。


さらに先へ行くと、左側に
市場村一里塚跡


1604(慶長9)年 街道筋に一里塚の設置が定められたときに築かれた
もので江戸・日本橋から5里(5番目)の一里塚です。嘗ては塚が道の
両側にあり、塚の上に植えられた大榎が昭和初期まであったそうです。
明治初期に右側の塚が取り壊され、その後風雨に晒されていましたが
1950(昭和25)年 地元有志の手で左の塚に大谷石の土留めが施され、
1933(昭和8)年には「市場村一里塚」の碑が建立されました。



庚申塔が、立派なお堂に大切に祀られていました。




さらに10分くらい歩くと、大きな橋に突き当たりました。
鶴見川橋

1996(平成8)年竣工という、なかなかカッコいい橋です。
下を流れるのは、全長42.5kmの一級河川 「鶴見川」。

最初に架けられたのは江戸初期で、「鶴見橋」と呼ばれました。
江戸から街道を下る旅人が最初に出会う大きな橋でしたが、
鶴見川は度々氾濫したため、何度も架け替えられたようです。


鶴見村は、川崎宿~保土ヶ谷宿間の立場(たてば)として
茶店が何軒も立ち並び、大いに賑わっていたようです。
左手に海、右手に富士山を眺めて名物の米(よね)饅頭を
頬張りながら、この辺りでひと息入れたのでしょうね。


橋を渡った少し先の左側に
鶴見橋関門旧跡
    

1859(安政6)年横浜港開港に伴い、神奈川奉行は外国人に危害が
加えられるのを防ぐために、要所に関門や番所を設け横浜に入る
者を厳しく取り締まりました。 1862(文久2)年の生麦事件の後、
川崎~保土ヶ谷間には20箇所の見張り番所が設置されました。
明治に入り世情が安定し、1871(明治4)年廃止されたそうです。


鶴見図書館の前を過ぎ、繁華街に入ってゆきます。
沿道の桜も、間もなく咲きそうな気配


(続)


コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。