スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

旧東海道・大磯~二宮①

2012-04-17 | 旧東海道


なかなか更新が進みませんねェ・・・
がんばりまっす!


左手に、石造りの鳥居と可愛らしいお社。

八阪神社
      
とくに説明書きはありませんが、何でも京都・八坂神社の末社のようです。
牛頭天王を祀り、疫病退散・五穀豊穣のご神徳があるとか。
 タイムにちょうどいいナ・・と思ったら、先客アリ。
やっぱり皆さん、思うことは一緒のようです(笑)
では、‘猫’はもう少し先まで




「小磯幼稚園入口」信号の右側に、

西国三十三所巡礼供養塔





道の反対側に、標柱が見えます。
「日本橋から70km」





やがて、小さな「切通し橋」を渡ります。
下を流れる細い川は、何とも物騒な名の「血洗川」

その先で道は左右に分かれます。 
右が旧街道とか。


分岐の手前、左側の門は吉田 茂邸

総檜造りのお屋敷を、いつか機会があったら見学したいと
思っていたけれど・・・焼けてしまったんですよね、残念!!


分岐のすぐ先、左手奥に

西長寺
      
                            (説明パネルより)          

説明板によると;
ご本尊の「地蔵菩薩立像」は、像高148.7cmの石像で頸と胸に
継目があり、行基作といわれて 市の有形文化財になっています。
元は、近くの切通しの岩窟の中に祀られていたといいます。

1191(建久2)年 源頼朝の行列が鶴岡八幡宮で襲撃されたとき、
梶原景時の家臣 悪太郎義景が疑われ、畠山重忠に切られましたが
義景は刀傷ひとつ負わず、代わりに日頃信仰していたこの地蔵尊の
肩に刀痕ができていたと言われています。 このようなことから人々は
お堂を建て、「身代わり地蔵尊」として祀ったと伝えられています。



街道の右側に、

県立 城山(じょうやま)公園

室町時代に、「小磯城」が築かれていたといいます。
1477(文明9)年には太田道灌が、この城に立て籠もる長尾景春の
被官 越後五郎四郎を破ったという記録が残されているそうです。

1898(明治31)年 三井財閥が別荘を構え、7haもの敷地が整備され
庭園内には、織田有楽斎建立の茶室「如庵」(国宝)などもありました。
1990(平成2)年 公園として開園し、多くの人が訪れています。

三井別邸当時の様子

(説明パネルより)

緩やかな坂を上っていくと


展望台があります。


快晴なら富士山が大きく見えるのですが、今日は・・・
それでも、見下ろせばこの眺め☆

ここでゆっくり  タイム~♪


広い園内には、縄文時代の横穴墓群や郷土資料館
茶室「城山庵」・芝生広場などのほか、

「不動滝」


「不動池」


緑豊かな園内をゆっくり散策して、午後からの‘元気’ をチャージ!


(続)



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