なかなか更新が進みませんねェ・・・
がんばりまっす!
左手に、石造りの鳥居と可愛らしいお社。
「八阪神社」
とくに説明書きはありませんが、何でも京都・八坂神社の末社のようです。
牛頭天王を祀り、疫病退散・五穀豊穣のご神徳があるとか。
タイムにちょうどいいナ・・と思ったら、先客アリ。
やっぱり皆さん、思うことは一緒のようです(笑)
では、‘猫’はもう少し先まで
「小磯幼稚園入口」信号の右側に、
「西国三十三所巡礼供養塔」
道の反対側に、標柱が見えます。
「日本橋から70km」
やがて、小さな「切通し橋」を渡ります。
下を流れる細い川は、何とも物騒な名の「血洗川」
その先で道は左右に分かれます。 右が旧街道とか。
分岐の手前、左側の門は「吉田 茂邸」
総檜造りのお屋敷を、いつか機会があったら見学したいと
思っていたけれど・・・焼けてしまったんですよね、残念!!
分岐のすぐ先、左手奥に
「西長寺」
(説明パネルより)
説明板によると;
ご本尊の「地蔵菩薩立像」は、像高148.7cmの石像で頸と胸に
継目があり、行基作といわれて 市の有形文化財になっています。
元は、近くの切通しの岩窟の中に祀られていたといいます。
1191(建久2)年 源頼朝の行列が鶴岡八幡宮で襲撃されたとき、
梶原景時の家臣 悪太郎義景が疑われ、畠山重忠に切られましたが
義景は刀傷ひとつ負わず、代わりに日頃信仰していたこの地蔵尊の
肩に刀痕ができていたと言われています。 このようなことから人々は
お堂を建て、「身代わり地蔵尊」として祀ったと伝えられています。
街道の右側に、
「県立 城山(じょうやま)公園」
室町時代に、「小磯城」が築かれていたといいます。
1477(文明9)年には太田道灌が、この城に立て籠もる長尾景春の
被官 越後五郎四郎を破ったという記録が残されているそうです。
1898(明治31)年 三井財閥が別荘を構え、7haもの敷地が整備され
庭園内には、織田有楽斎建立の茶室「如庵」(国宝)などもありました。
1990(平成2)年 公園として開園し、多くの人が訪れています。
三井別邸当時の様子
(説明パネルより)
緩やかな坂を上っていくと
展望台があります。
快晴なら富士山が大きく見えるのですが、今日は・・・
それでも、見下ろせばこの眺め☆
ここでゆっくり タイム~♪
広い園内には、縄文時代の横穴墓群や郷土資料館
茶室「城山庵」・芝生広場などのほか、
「不動滝」
「不動池」
緑豊かな園内をゆっくり散策して、午後からの‘元気’ をチャージ!
(続)
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