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スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

天王森泉舘

2016-02-16 | 横浜


吊るし雛まつりが催されている「天王森泉舘」

この建物は、1911(明治44)年に清水一三氏によって興された「清水製糸場」の
本館として建設されました。 その後、本館の左側半分が移築され 個人の住宅と
して使われていましたが、1997(平成9)年に製糸場当時の姿に再現されたもの。
横浜市歴史的建造物として、地域活動の拠点施設に活用されています。


本館 横




当時の「清水製糸場」本館

本館正面向かって左側が復元された部分。
右側の一階は 繭選り場と食堂、二階は女工宿舎。


本館後方に続く工場内部の様子

通路を挟み、2列に並んで作業しています。
(2枚の写真は説明パネルより)

「清水製糸場」は釜数128を誇り、県下45社中5番目の規模の製糸場
でしたが、1923年の関東大震災や 1929年の大恐慌で打撃を受け、
ナイロンの開発も重なって 製糸産業は急速に衰えてゆきました。
(リーフレットの説明)


左側半分とはいえ、かなりの広さと立派な構えの建物です。
本当は 内部の様子もじっくりと見学できるとよかったのですが、
吊るし雛展示のため・・・とても残念! 


建物を含む一帯は、面積約35,000㎡の「天王森泉公園」になっています。

本館裏には湧水が流れて わさび田があり、いろいろな植物が
育てられています。 この季節は あまり多くはありませんが
それでも・・






寒咲きアヤメ










吊るし雛

2016-02-16 | 横浜


もうすぐ ひな祭りですね~




お天気がよかったので、友達と 吊るし雛を見に行きました。




横浜市営地下鉄「下飯田」駅から、一面に広がる田畑の横をのんびりと
25分ほど歩いていくと、 ピンクの幟旗が見えてきました。

「天王森(てんのうもり)泉舘」

この建物は、「旧清水製糸場」の遺構の一部を復元したもので
横浜市の歴史的建造物に認定されているそうです。



では、さっそく一階から☆

‘猫’も友達も 細々した手仕事が嫌いな方ではないので、興味津々






            



            



            






1つ1つの作りの細かさ、量とその種類の多さに すっかり圧倒されました。












2階にも 展示があります☆








1つ1つとても丁寧に作られていて、心から楽しみながら作られているのがよく分かります。
‘猫’も、制作意欲を刺激された・・・




旧柳下邸

2016-02-11 | 横浜


一週間のご無沙汰でした~  いえ、元気なんですけどね、
いろいろあって少し落ち着かない昨日今日、なかなか書き込みができなくて・・

でも、今日はお雛さまを見に行ったので がんばって書きマス



ホントに久しぶりのJR根岸線 「根岸」駅から歩いて7~8分の
住宅街の中にある広~い敷地のお屋敷です。



「 旧柳下邸 」

明治初期より横浜で有数の「鋼鉄引取商」として 弁天通りに「鴨井屋」の
屋号で店を構え、金属輸入業を営んでいた 柳下氏の旧邸宅です。
1996(平成8)年 横浜市が敷地を取得、建物の寄贈を受けてできるだけ
創建当時の姿に復元し、一般公開しています。 市指定有形文化財。

西館(向かって左側)と 東舘に洋館(右側)と蔵が付属する造りになっていて、
西館は台所や浴室など日常生活の場、東館は主に接客用に使われました。
(説明書きより)



表玄関(東舘)

前室付きの格調高い造り。 玄関横の鉄製天水桶には
「鴨井屋」の屋号である〇に「加」の字が入っています。



見学は、内玄関(西舘)の方から入っていきます。
          



浴室

長州風呂(五右衛門風呂)の浴槽。

天井は、折上格天井に 換気のための透かし彫り。




畳敷きの脱衣の間



此処の天井も凝っていますね!





お座敷には、お雛さまが幾つも飾られてありました。














黒漆喰の内蔵

黒漆喰の大扉は 創建当時のままの姿で、蛇腹風になった
部分によって 高い防火性を得ています。 黒漆喰は、
白漆喰を塗った後に 酒で溶いて数年寝かせた墨を
更に上から薄く塗り、掌で磨き上げる手の込んだもの。

一般的な蔵壁は 小舞と呼ばれる竹の骨組みに粘土を塗っていますが、
この蔵は 厚さ18cmの砂岩を用いた珍しい石積みになっています。
(説明書きより)



蔵の中には、珍しい(昔懐かしい)モノがいろいろ☆

氷の冷蔵庫                        陶製蚊やり
            


アイロン                           蓄音機
            
大正~昭和初期のものと思われる炭火アイロンの熱源は、木炭だったそう。
大きな煙突(?)が付いてますね☆



洋館(1F)
            
天井周りの漆喰の装飾など 部屋のしつらえは洋風ですが、
床は畳敷きになっていて、和洋折衷の調和がおもしろい☆








 


舞岡公園②

2015-12-11 | 横浜


「中丸の丘」から左手の階段を下って行くと・・

「北門」

ここから先は、野生動植物の保護・自然環境維持のため
4~10月は8:30~19:00  11~3月は8:30~17:00に
限って入場できます。


「きざはし池」

ここも今は水がありませんが、あちこちで鳥の声がしていて
カメラマンの姿もあり、バードウォッチングのポイントのようです。



水車小屋があります☆

小屋の向こうには、耕作体験用の田んぼが広がっています。
ここもフォト・スポットのようで、人だかりがしていました。




少し先を右に入ると 「小谷戸の里」。

「旧金子家住宅」

明治後期に建てられた養蚕農家の住宅で、奥にあるのは納屋。
もと戸塚区品濃町にあったものを、この地に移築した
そうです。










谷戸田の畔を ぶらぶら歩いていくと



鳥たちのご馳走が あちらにもこちらにも












ここは 紅葉が見事です~☆



では 小川の流れに沿って、そろそろ「舞岡」駅へ戻ることにしましょう。




森に抱かれるようにして 神社が見えます。

「舞岡八幡宮」

主祭神: 誉田別命
    創建: 1302(乾元元)年
説明板によると;
「昔、当地一帯を腰(越)村と呼んでいた頃、白幡が空に舞ったので
村の名を舞岡と改めたと云ふ。(略) この奇瑞に因んで石清水
八幡宮を勧請したのが当神社の始めで・・(略)」

「舞岡」という地名の由来に関わりのある神社なんですね。
毎年春の祭礼には、「湯花(湯立)神楽」が行われるそうです。



この辺り一帯を「舞岡ふるさと村」といい、農業の保全と振興・市民の自然との
ふれあいや親交の場として、市の指定を受け活動を続けているということです。

土の道を歩いて紅葉&黄葉を堪能し、とっても楽しいお散歩でした~

別の季節に また歩きたいな!


18,003歩






舞岡公園

2015-12-10 | 横浜


(前回の続きです)


「舞岡公園」の道標がありました。 ここから公園に入るのかな。




黄葉しているのはケヤキ?

とてもキレイです!




「瓜久保」

この辺りには、紅葉している木がたくさんあります。
三脚のカメラでベストショットを狙うカメラマンさん達の列が・・


「カッパ池」には、水は無く



かっぱ君が相撲をとっておりました




黄色や赤に染まった木々が、青い空に映えています☆







「みずき休憩所」

そろそろ タイムですね~ 
ベンチが空いているので、ちょっと一休みして



さぁ、午後も張り切って歩きますよ!
 



また 広場に出てきました。
「中丸の丘」




ここ、最高~


この辺りが公園の真ん中でしょうか。 もう少し先まで行ってみようと思います☆




横浜・舞岡ふるさとの森

2015-12-09 | 横浜


今日は風もなく、ぽかぽかと暖かな好い天気☆
‘猫’にとってこんな日は、もう歩かずにはいられない~




市営地下鉄「舞岡」駅から地上に出て、バス通りを左(戸塚方面)へ。
150mほど先 左側の道端に、あまり目立たない道標。

畑の間の道を、眼前の森に向かって歩いて行きます。


ここからは、所々に立つ「舞岡ふるさとの森」道標を目印に。
          


階段を上り、落葉の道へと入っていきます。





初めての道は、なんかワクワクする~♪




時折行き交う人と挨拶を交わしながら 道を確認しつつ・・
休憩所のあずまやを過ぎて行くと、視界が開けて市街が見渡せたり



1株から何本にも分かれて幹を伸ばす桜の木に出会ったり
            
この辺り、春にはきっと 花吹雪の道になるのでしょうね~☆





道標が行く先を教えてくれるので、独りでも全く問題なく歩けます。

「舞岡ふるさとの森」
2001(平成13)年に開かれ、約18haの森の中の道がほどよく整備されていて
四季折々 自然の移ろいを楽しみながら、気軽に散策することができます。 


まだまだ 道は続きます。


土の道の感触を存分に楽しみながら・・



日本の人形たち

2015-10-31 | 横浜


日本各地の人形の展示も もちろんありましたよ。
形・素材も様々なたくさんの人形が展示されていました。
たとえば・・


文楽人形

浄瑠璃芝居に用いられた操り人形。
(19~20世紀頃の制作)


竹田人形

和藤内
江戸時代に大阪・道頓堀で竹田近江によって始められたからくり人形芝居の
場面を写したといわれる人形で、誇張した面相と大胆なポーズが特徴。
江戸後期~明治初期頃に 多く制作されたようです。



とりわけ興味をそそられた、素朴な味わいの土人形たち☆

瑞浪人形(岐阜)



堤人形(宮城)



花巻人形(岩手)
          
立ち雛                       加藤清正

相良人形(山形)


堤人形・花巻人形・相良人形は 東北の三大土人形と称されます。
江戸時代に京都の伏見人形の影響を受けて作られ始めました。
彩色や形にそれぞれ特徴のある 味わい深い土人形です。




人間国宝の人形作家 平田郷陽(ごうよう)氏の作品も見られました☆


「熟柿」

(1955~1974年頃の制作)


「児戯興趣」

(1939年)


「粧ひ」

(1931年)

平田郷陽(1903-1981)
東京生まれ。 活(生き)人形師だった父の初代平田郷陽のもとで修行し、
2代目として独立。 青い目の親善人形の答礼として 市松人形の制作に
携わり、人形を芸術の域に高めた功労者。 1955年 人間国宝に認定。




世界の人形たち

2015-10-31 | 横浜



ここには、世界のいろいろな国から集められた人形たちが展示されています。


ただ可愛らしいというのではなく、それぞれのお国柄・風俗が垣間見えて
おもしろく、世界旅行をしているような気分になってきます☆


その中から、いくつかご紹介してみますね。

イタリア



アイルランド                         イギリス
            


ロシア



ギリシャ                            エジプト
            


カメルーン

こんな土偶 ありませんでしたっけ?


ケニア



パプアニューギニア
            


マダガスカル



キルギス

初代館長 兼高かおるさんが寄贈されたそうです。


モルディヴ                       バングラディシュ
            


ボリビア

南米の福の神 「エケコドール」。
アラシタという祭りで売られる人形で、自分が手に入れたいものを
持たせてタバコをくわえさせると、願いが叶うと信じられています。
この人形は、相当たくさんの物を持たされていますね(笑)


アメリカ

ネイティブアメリカン ホピ族の木彫り人形「カチナドール」。
カチナとは、ホピ族の人達が信仰する大地や風、鳥や狼などの精霊。



そして、西洋人形といえばコレ!

19世紀中ごろから主にフランス・ドイツで制作された「ビスクドール」。
ビスクとは、ビスケットと同じ語源で フランス語で2度焼くという意味に
由来するとか。 成形したものをまず高温で焼き、彩色したのちに
今度は低温で再度、もしくは数回焼くという製法で作られました。




(続)





横浜人形の家

2015-10-31 | 横浜



地下鉄・みなとみらい線の終点「元町・中華街」駅の近くにある
「横浜人形の家」に初めて入ってみました。


ここは、国内で唯一といわれる人形専門の博物館。
日本をはじめ、世界141ヶ国 約1万4千体の人形を収蔵するといいます。

発端は、1977年に
真珠王御木本幸吉翁の秘書・通訳だった大野英子さんが
個人で永年収集されていた、世界76か国の人形1981点を横浜市に寄贈。
それをもとに、1986年に当博物館が開館しました。


大きなくるみ割り人形に迎えられて入っていきます。



横浜と人形を語るうえで欠かせないのが、昭和の初めごろ
日米両国間で相互に贈り合われた友好の親善人形。

その当時 米国に広がっていた日本人排斥の風潮を憂えた親日家の宣教師
シドニー・L・ギュリック博士の呼びかけで、1928(昭和3)年 日本のひな祭りに
あわせて、米国から人々の思いがこもった13,000体の青い目の人形たちが
海を渡って横浜の港に到着。 
日本各地の幼稚園や小学校に贈られました。


青い目の親善人形ポーリンの像が
博物館入口に置かれています。


可愛い‘親善大使’たちは、特別なパスポートと切符を所持していました。


ビザ


答礼親善大使として、1983年に 横浜市民ら手作りの人形約600体が海を渡りました。
          

(続)





旧伊藤公別邸

2015-10-29 | 横浜


久々に、野島にある「旧伊藤博文公別邸」を訪ねてみました。




京急「金沢八景」駅から、平潟湾に沿ってぶらぶら歩いていくと
「日本の橋100選」に選ばれた「夕照橋」で繋がる「野島」が見えてきます。





「旧伊藤博文公別邸」


内部の様子は、過去にご紹介したことがありますが・・
http://blog.goo.ne.jp/yemaozi-86/e/4a4eeb80670cc89e31179b2262ab2b25

http://blog.goo.ne.jp/yemaozi-86/e/5ba5c0790e0308c6b9149187d1bd3be6


客間の床の間の金屏風については、 確か まだでしたね。

1901(明治34)年に 当邸の管理者である町屋の松本房治氏へ贈られたもの。


「春畝」は、博文公の号。


傍らの説明書きによると、

宋学の始祖 周惇頤の『愛蓮説』
「 水陸草木の花を愛する者は多くいる。 晋の陶淵明は菊を愛し、
李唐より来る世人は牡丹を愛するが、私は蓮の花の 汚泥より
出でても染まらず、真直ぐに清く玩ばれないところを愛する。
私が考えるところ、菊の花は隠逸なる者なり。 牡丹は花の
富貴なる者なり。 蓮は花の君子たる者なり。」という内容だそう。



庭園

この季節は少し寂しいけれど・・・

            
牡丹園に、「時雨雲」という名の寒牡丹が1輪。



目の前に、東京湾が広がります☆。
博文公は来邸の際、船を利用したそうです。



海苔篊(ひび)

ちょうど 海から上がってきたウェットスーツ姿の人に伺ってみると、
ここで育てた海苔は、沖の方で更に成長させてから収獲するとか。

座敷から縁越しに この景色をみていると・・・はぁ~

          


横浜・山下公園

2015-10-24 | 横浜


海風が心地よい山下臨港線プロムナード「開港の道」をぶら~り☆




みなとみらいのビル群を眺めながら・・




色づき始めた「日本大通り」のイチョウ並木






今日も 花いっぱいの「山下公園」




噴水の向こうに「マリンタワー」




バラ園のバラが咲いてきました
「氷川丸」と 横浜のバラ「はまみらい」







ちょこっとイセブラ

2015-07-11 | 横浜


横浜・イセザキモールを ちょこっとぶら~り☆
何年ぶりかなぁ・・


以前 近くにある趣味の教室に通っていた頃は、よくぶら~りしてました。
知ってるお店も無くなったりして、段々来る機会が少なくなったけれど・・








あ、この時計塔は 知ってる!
            


ここにも あったね





「伊勢佐木町ブルース」の歌碑

♪ 伊勢佐木あたりに 灯りがとーもーる~♪
碑の下の方にあるボタンを押すと、青江三奈さんの歌声が流れるようですよ。




ビルの谷間に埋もれるように 「安産子育地蔵尊」
            
嬰児を抱いた地蔵尊の坐像が お祀りされています。
富山出身の奥田眞眠師が1904(明治37)年に創建した
「横浜善光寺別院」に地蔵尊を祀ったのに始まるそうです。
「一」と「六」の日に縁日が行われることから、別名「一六地蔵」。



「ドンキ」のお店になったビルの壁に残る 「ODEON」の文字が懐かし~



今日は、ちょこっとセンチメンタルイセブラ してみました~☆




横浜・野島へ

2015-04-28 | 横浜


海からの風が快い 初夏のような晴天
久しぶりに、「野島公園」へ行ってみました。


広重の浮世絵『金沢八景』之一 「野島夕照」






白い欄干の「夕照橋」を渡って・・あれが野島です☆





まずは展望台へ

海抜 57m
条件が良ければ、都心の超高層ビル群・横浜MM21地区・房総・
三浦・丹沢・富士山まで望めるそうですが、今は樹木が繁っていて・・

それでも


夕景は殊に美しいといわれ、「野島の夕映」として
「かながわの景勝50選」にも選ばれています。



「野島貝塚」
 
標高約53mの丘の頂部 及び50~37mの中腹斜面に、厚さ10~30cmの
縄文時代の貝塚が点在しているといいます。 貝は主にマガキやオオヘビガイ、
その他 鹿角製釣針や貝輪未製品・磨製石器・土器なども発掘されたそうです。
市指定史跡




次に訪ねたのは、「旧伊藤博文金沢別邸

1898年(明治31)年に建てられた初代内閣総理大臣 伊藤博文公の別邸。
2007(平成19)年 建物の老朽化のため解体調査された後、2009(平成20)年
秋 創建時の姿に復元され、一般に公開されています。 見学無料。
市指定有形文化財

邸内には、伊藤博文に関する資料・調度品などが展示されています。

往時の別邸の様子

松林に囲まれ、庭の玉垣の先には 砂浜が続いています。
海水浴を楽しむたくさんの人の姿が 遠くに見えていますね。

ペガサス号

1863(文久3)年 長州藩の密命を受け、井上馨(門多 29歳)・伊藤博文(俊輔 23歳)等
5名の若者が 横浜から汽船に潜り込んで出航。 上海で 英語で渡航目的を尋ねられ、
井上門多がひと言「ナビゲーション」と答えた。 (「ネイヴィ」と言うつもりだったらしい)

航海術の研修が目的と解釈した船長の指図で、ペガサス号に乗った井上と伊藤は
水兵と同様に甲板掃除などをさせられ、英語が話せないため不平を言うこともできず
4か月間を使役と粗食 加えて下痢にも耐えて、130余日後にロンドンに到着したとか。
(パネルより)



では、客間でお薄を頂きながら ちょっと別荘気分を♪




このあと、庭に出てみました。

歌人・国文学者 尾山篤二郎(1889-1963)自筆の歌碑

「 枯山も 温とましげに 靄(もや)籠り 安らやすらと 暮れゆかんとす 」


庭には、綺麗な牡丹の花が☆





南太田の鬼子母神

2015-03-28 | 横浜


京急「南太田」駅のすぐ近くに、立派なお寺が見えたので行ってみました。


西中(さいちゅう)山 常照寺



山門脇の石碑に
「安産子育 鬼子母神 常照寺」と。

「南太田の鬼子母神さま」として 信仰を集めるお寺で、
虫封じ・安産子育てに ご利益があるそうです。



駐車場を過ぎ、石段を上っていくと 正面に四脚門。

「重玄門」


左:多聞天                        右:持国天
          
(多聞天の方は、ガラス戸になっていて うまく撮れませんでした・・・)



本堂

日蓮宗
     創建: 1873(明治6)年
 開基: 日修上人

本堂は、技巧を凝らした彫刻で飾られています。



          


屋根に、「三ツ葉葵」紋が付いていますね。
        
当寺に祀られている鬼子母神像は、8代将軍徳川吉宗の頃 大奥に
祀られていたもの。 このため、寺紋が「三ツ葉葵」なのだそうです。



本堂右手の長い階段を 上っていってみました。

途中に 鐘楼




上りきると 高さ10mの日蓮聖人像
          
御像は ただ今お化粧直し中。          本来は こういう御姿だそうです。
電車の窓から
見えて 何だろうと思ったのですが、御像の改修だったんですね。
此処からの眺めは なかなかのものです☆



境内のソメイヨシノは
だいぶ開花して、春が進んでいました。





動物園も春

2015-03-17 | 横浜


「野毛山動物園」に来てみました。






きょうは あったかいねェ~





ワタシは 日向ぼっこ☆



カノジョが見てるから・・・アピールしちゃおかな




ほら、見て 見て~!


恋の季節ですね