今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

牛久大仏に行ってきた

2021年02月23日 | 

天皇誕生日という祝日、湘南で観梅をと思ったが、混雑との情報を受け、急きょ方角を北東に変えて、牛久大仏(茨城県牛久市)を観に行く事にした。

常磐線からも遠望できる、平成5年公開のこの巨大な大仏に対しては、実は当初から関心がなかった。
仏像といえば数百年経た古仏にしか関心がなかったためでもある。

ただ、昭和以降の大仏でも、お顔が美しい大船観音(神奈川県鎌倉市)は前から好きだったし、最近では真新しい東京の鹿野大仏(東京都日の出町〕に行ってきた→鹿野大仏〜阿伎留台地を歩く
こういう”大仏”は観光のためのモニュメントではなく、まじめな信仰の場であったりするので、行って見るとそれなりに充実する。
なので毛嫌いする理由がないことに気づき、行く気になった次第。

休日だと牛久駅前(2番乗場)から通常の路線バス以外に直行バスが走り、東京から意外にすんなりと行ける。

「牛久大仏」のバス停を降りると、目の前に高さ120mの超巨大な阿弥陀立像が聳えている。
なんと奈良の大仏が手のひらに乗る大きさだ。
タワーや高層ビルのようなその高さだけで、拒否感があったのだが、
こうして直接目の前で眺めると、造形が丁寧で”仏像”として違和感ない姿であるため、
不気味さや威圧感などがなく、超越的な阿弥陀様がこの地に降臨された!という見立てができる。

入口で拝観料(胎内こみで800円)を支払い、まずは食堂に入って天そばで腹ごしらえ。
公園状の園内から一歩一歩大仏に近づき、さらに後ろにまわって、胎内に入る(土足厳禁、トイレなし)。
コロナの時期でしかも花の季節の前なので、客が少ないのが幸い。
大仏の胸の高さにある5階にエレベータで上がると、仏舎利(釈尊の遺骨)が納められており(ここだけ撮影不可)、釈尊の生涯などが紹介されている。
また四方の縦長の窓から外が眺められる。
4階に階段で降り、そこからエレベータでずっと下の3階に行くと、壁面にずらりと阿弥陀像(胎内仏)が居並んだ収骨廟になっている。
廟の名号(個人名)を見ると、タイ語など、東南アジア系の氏名が散見する。
ここは浄土真宗東本願寺派なので、大乗仏教の中でも南伝仏教とはかなり離れているはずなのだが…。
そういえば一緒の見学者の中にもマレー系の若者がいる。
ここで東京本願寺発行の小冊子のうち牛久大仏建立の意味を説明した「方便化身の浄土」を購入(300円)。

2階には売店があり、念仏・法話の部屋があり、壁面は写経空間になっている。
せっかくなので壁に向って正座して写経(200円)した。
以上、大仏の胎内は、単なる展望台ではなく、きちんとした宗教空間(寺院)になっていた。

外に出て、大仏手前の池のある庭園に行く。
ここは浄土を摸しているという。
花の季節だったら、さぞ美しかろう。
大乗仏教が示す仏の世界は、禁欲三昧の無味乾燥な世界ではなく、”楽”や”喜”の肯定的感情に満ちた情景であってほしい。

園内を一周して、帰りのバスに時間があるので、大仏がよく見える広場のベンチに座る(写真)。
ずっとこの大仏を眺めていたいから。
いや、むしろずっとこの大仏に眺められていたいから。

巨大な大仏がかくも安心感を与えてくれる。
ただ大きいだけではなく、仏としての優しさがきちんと表現されているからだ。
牛久大仏は、高さ120mの、確かな”仏像”である。

バスの時間が近づいたので、大仏に向って合掌して園を出た。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。