今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

高幡不動と百草園

2021年02月21日 | 東京周辺

暖かくなるという日曜、先週の高尾山に続いて京王電鉄に乗り込む。
先週(→iPodtouchを紛失)のお礼の意味を込めてのほかに
昨日の不動明王の念誦をやっているうち、本物に接したくなったため、高幡不動に行きたくなり、さらに土曜朝の番組で百草(もぐさ)園の案内をやっていて、この梅の名所にも行きたくなったから。

ネットで高幡不動の護摩行の時間を確認し、11:30からの回に間に合わせるように家を出る。

せっかく護摩行に参加するので、護摩料を払って護摩札を申込もうかと思い、お札所に入った。
護摩の申込には書類で願を掛ける(「家内安全」、「商売繁盛」などから選択する)ようになっていて、仏教とは現世利益的なかかわりをしたくないので、内心白けてしまった(長年真言宗に違和感をもっていたのはこの点)。
それでも、一昨年の2月、姪の大手術の成功を祈ってここで護摩木(護摩行で焼かれる木)を奉納したのを思い出し、また願は掛けなかったが昨年12月と今年の1月の母の両膝手術も成功裏に終ったので、護摩木に「御礼」と書いて奉納した。
不動明王の御姿も購入。

本堂の前で護摩行が始まるのを待っていたら、今回はどうも堂内に入れないようになっている。
考えてみれば、例年通りに参加者が本堂内にひしめいては、モロに”三密”(非密教的意味)になってしまう。
すなわち、今回の護摩行にわれわれ一般人は参加できず、僧侶の護摩行を本堂の外から眺めるだけとなる。
残念だがしかたない。
それでも不動明王の念誦の参考にするため、立ち見で護摩行を眺めた。

僧侶が般若心経を繰り返す中、護摩壇の火が起こされ、炎が充分に強くなったら、
不動明王の真言の繰り返しとなり、護摩札を次々と炎にかざす(終了後護摩札は申込者に渡される)。
太鼓のリズムに合わせて唱えられるその真言は、
ノウマクサンマンダーバーザラダンセンダ,マーカロシャーダーソハタヤウンタラターカンマン
となっている。
意味を重視する散文(昨日の記事)ではなく、リズミカルに唱える韻文としてなら、このように唱えればいいわけだ。

護摩行が終って、僧侶がこちらに向って言うには、緊急事態宣言が発令されている間は、このような形での護摩行になるという。

護摩行見学が終り、寺を出て、丁度昼時で門前の蕎麦屋(開運そば)で蕎麦を食べる。
実はこれが楽しみで、あえて昼食前の護摩の回を選んだのだ。
寺の参拝では現世利益を望まぬ私も、かように俗人の一人である。

腹を満たして、京王線に乗り、一駅先の「百草園」で降りる。
駅の出口から、案内板の示す通りに百草園を目指す。
車道だがものすごい急坂の登りで、狭心症が心配になる。
300円払って入園する。
急坂を登ってきたこともあって、汗をかいたので、帽子と上着をトートリュックにしまう。
元は大寺院だったという園内は、多摩丘陵の斜面上に古民家や池を擁し、頂上の展望台からは都心の高層ビル群が望める(スカイツリーは春霞で見えなかった)。
梅の種類は多いが、梅園というほどの規模ではない。
ただ、たくさんの花を咲かせている梅の木が、確実に”春”を告げているのは確か。
もっとも、梅の花を見ると、どうしても「梅は咲いたか、桜はまだかいな〜」という小唄の通り、桜を連想し、待ちわびてしまう。
梅は桜の露払い役でしかないようだ。

百草園からの帰りは、さっきの急坂を避けて、ハイキングコースのような細い歩道を選んだ(スマホのマップだとGoogleマップのみに載っている)。
この細い道は大宮神社を経由し、駅前に出る(駅からは左正面)。
百草園に歩いて行くならこちらの道を勧める。



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