今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

私にとっての心理学・哲学・宗教

2021年02月25日 | 心理学

 ここ最近の記事は、私が仏教に入り込もうとしている印象を与えているだろう。
仏教への積極的接近は、心の探究における心理学の限界を超えるため、「スピリチュアルの解禁」の一環としてである。
ただ仏教(宗教)はあくまで探究にとっての参考対象であり、帰依の対象ではない。
”心”を、心理学と哲学と宗教の三本柱で探究していきたいのだ。

これら3つはそれぞれ長短があるため、互いに補完する関係でバランスをとるべく、これら3つの関係づけを紹介する。
以下、「それにあるもの」を○、「ないもの」を×として示す(○心理学=心理学にあるもの)。
○心理学、×哲学、×宗教:実証的探究ができるのは心理学だけ。科学としての法則性の追究という態度を探究の基本に据える。

×心理学、○哲学、○宗教:だがその心理学に欠けているものがある。それは”存在(現象の根源)”への視座である。この視座の不在が心理学のいかんともしがたい”浅さ”を露呈している。心の奥底には”存在”があるのだが、心理学は不可視のそこ(底)に達しようとしない。

○心理学、○哲学、×宗教:学問(科学と哲学)にあって宗教にないものは「疑うこと」。学問には批判不可の聖域(聖典)があってはならない。 学問を探究する者は、決して安心(あんじん)を求めず、不確かさの中の不安で在り続ける耐性(タフさ)が必要である。

○心理学、×哲学、○宗教:心の探究は思惟(論理)だけでは不可能。定量分析、体験、イメージ化など、多様なアプローチが必要。また、ケア(癒し)の実践も伴う(救済という視野は無い)。 

以上をふまえて自分が取りたいスタンスはもちろん、
○心理学、○哲学、○宗教:心理学に”宗教哲学”を付加したい。それは存在への”批判”的視座である。ただし思惟だけに頼るのではなく、”行”による体験を通して心の在り方を探究したい(行の基本は、思惟を停止させる瞑想〕。

3本柱の中身は以下。
心理学:心の多重過程モデル(システム1・2の「二重課程モデル」を拡大したシステム0〜システム4)
哲学:現象学(ただしフッサールの認識論的現象学より、ハイデガーの存在論的現象学)
宗教:仏教が中心となる(神道にも親しむ)が、思想的により準拠しているのは”気の理論”。特定宗派の信徒ではないので、あらゆる宗派に敬意を持って接する。 ただし、儀礼に対して自分なりのスタンスで接することがある(特に神道に対して)。

ついでに、3本柱にかかわった心理学の先人を紹介する。
心理学・宗教:C.G.ユング。システム4(トランスパーソナル)の理論的支柱。易もマンダラも彼の理論で説明可能。
心理学・哲学・宗教:W.ジェームズ。『心理学』『プラグマティズム』『宗教的経験の諸相』の著者。結局私はジェームズの掌の中にいる。 

心理学と仏教との関係については、日本での仏教と科学(主に心理学)との交流史(明治〜現代)を概観した『科学化する仏教』(碧海寿広著 角川書店 )が、参考になる。


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