今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

鹿野大仏〜阿伎留台地を歩く

2020年12月27日 | 東京周辺

年末年始の休暇はハナから休息モードなので、日曜くらいはどこかに出掛けたくとも、早起きして山に行って疲れてくるのは億劫だ。
前日の準備も要らず、自然な目覚めで間に合い、少しは歩くものの疲れないという、都合のいい行き先を探して思いついたのは、西多摩の日の出町に2018年に建立された総高18mの鹿野(ろくや)大仏(→サイト)。

最寄り駅からちょっと歩くが、その地はわが高校時代のホームグラウンドなので、当時を思い出して歩きたい。

一応の最寄駅になるJR五日市線「武蔵引田」に降り立つ。
ここから阿伎留(あきる)台地を北に縦断して、青梅側の草花丘陵に向う。

人家はずいぶん増えたが、畑を前景にした主峰・大岳山(1267m)を中心とする伸びやかな奥多摩の山の風景は昔と同じ(写真:風景写真としては凡庸だが、撮影者にとっては大好きな風景)。
この山を見ながら多感な3年間をこの地で過したんだ。

台地を北に下って平井川を越え、丘陵麓の宝光寺(曹洞宗)に達する。
この寺の奥に大仏がある。
本堂に入って本尊を拝み、丘陵の谷に入って奥の大仏を目指す。
山の上の大仏はすでに行く手に見えている。
参道入口で参拝料300円を払い、専用の歩道を進む。
途中、鹿の湯の源泉跡に立ち寄る。
この鹿の湯という温泉跡は、高校1年の時に寮(全寮制高校)の同室の仲間3人で探索に来たことがある。
その時は誰も来ない不気味な廃道を、その頃寮の先輩から、この地の怪談噺(創作)を聞かされていたため、びくびくしながら歩いていると、道の先に、老婆が臥せってい姿が見えた途端、恐怖が絶頂になって、3人で大声をあげながら逃げ帰った(老婆に見えたのは道から出ている岩だった)。
その鹿の湯跡をこうしてきちんと確認できた。

当時とはうってかわって明るい斜面を大仏めざして登る。
体がほてった頃、大仏の足元に達する(写真:台座右下に黒服の人が立っている)。
南に開けた山の上なので、阿伎留台地とその向こうのサマーランドの観覧車も見える(我が高校跡は、尾根の陰になって見えない)。
地平線を画しているのは、景信山から高尾山の山陵(神奈川との県境)だ。

大仏台座の内部に入れて、中の金色に輝く仏様に線香を手向ける。
大仏の御姿は、色も含めて私が持っている鎌倉大仏の模型と似ている(こちらよりは小さいあちらの方が肩が張っている)。
青銅製で山形の鋳物業者が1000年前の技術を用いて造ったという。

眺めも大仏も堪能したので、山を降りる。
寺の近くに、福生や五日市に行くバス停があるが、まだ13時なので、台地を越えて駅まで歩くことにする。
ていうか、ここに来て我が母校跡を素通りする訳にはいかない。

平井川を越えて再び阿伎留台地に上がり、高校の跡地に向う。
この付近の道は高校時代にすべて通ったので、歩けば当時の風景を思い出せる。

当時、台地中央には菜の花畑が拡がっていたが、今では巨大なイオン・モールになっている。
その正面に、我が都立秋川高校跡があり、柵に囲まれて立ち入り禁止となっている。
その内側には、成長したメタセコイアの並木だけが、当時の名残りとして気高く存在感を示している(写真)。

わが秋川高校の校歌は、こうはじまる。
「阿伎留台地、日差しあまねく、新芽(にいめ)かおるメタセコイア」
この一節が心の中で鳴り響く。

この地に立つ時の私の心中は以前に記した→「秋川高校跡を訪れた時の気持ち
今回は、鹿野大仏への観光で来たのだが、またしてもその気持ちにさせるこの地(阿伎留台地)は、私にとって特別な場所。



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