今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

『大菩薩峠』を読み始める

2024年02月23日 | 作品・作家評

とうとう中里介山の『大菩薩峠』(全41巻)を読み始めてしまった。

山岡荘八の『徳川家康』と並んで世界最長小説として有名で、読破するには相当の長期間の覚悟を要する。
なので”暇に任せて”という気楽なノリで手を出すべきものではないことは重々承知していた
(人生計画上、長期入院用に取っておいた)。

以前『徳川家康』の第1巻だけを読んだ時、どうせ読むなら、架空の話より、歴史上の人物伝を読みたいとして、
『峠』よりも『家康』の方を推したはずなのに(→記事)、結果、『家康』は1巻を読んで続きを読むのをやめたが、
『峠』の方は数巻読み進んでしまった。

そもそも、『大菩薩峠』は介山の同時代(大正〜戦前)※を1世紀近く過ぎた現在では、
歴史の中に埋もれてしまった作品かもしれない。
※:新聞小説としての連載当時は人気を博し、絵本・演劇・映画にもなった。

ところが、首都圏で山をやっている人間にとっては、まず入門の奥多摩を歩いたあとは、
その背後、多摩川の源流域に聳える大菩薩嶺(2057m)に足を伸ばす順序になる(東京都の最高峰雲取山より高い)。
その大菩薩の中心となる場が大菩薩峠(1897m)で、まさにリアルの大菩薩峠に最初に接する。

そしてその大菩薩峠の説明として、「中里介山作の同名小説で有名な」と紹介され、
峠の茶屋には、小説の主人公・机(つくえ)竜之介の像があり、その姿を模した登山記念のバッジが売られている。
私は早くも中学2年(14歳)の時に大菩薩峠に登り※、そのバッジを買って以来、
『大菩薩峠』はいつか読みたいと思い続けていた。
※;当時は前夜発の夜行日帰りの行程だったが、今はバスの路線が山の上まで伸びて日帰りの山となり、2012年に再訪した→記事

なぜなら、山が好きなると、山を題材にした小説が、家にいても山にいる気になれるため、
読みたくなるもので(山岳小説家の代表は新田次郎)、介山の『大菩薩峠』はその表題によって、
私の中では準”山岳小説”に分類されたのだ。

ただ最近の私は、山よりも歴史に関心のウエイトが移動したため先述の態度に傾いたのだが、
先日、青梅の郷土博物館を訪れたついでに(→記事。この行為もまた歴史への関心による)、
羽村の郷土博物館にも立ち寄り、そこで当地で生まれ当地に墓もある中里介山の展示に接し、
介山を特集した冊子まで購入した。

その冊子にはもちろん『大菩薩峠』の話も載っていて、その記事を読むと俄かに『大菩薩峠』が身近になってきた
(読みたくなった理由がもう1つあるのだが、それは読破後の記事で述べる予定)。

実は、介山の『大菩薩峠』は、ネットの青空文庫、すなわち著作権の切れた作品を無料で電子書籍として公開するサイトに41巻全てリストアップされている。
すなわち、電子書籍で全巻無料で読めるのだ
(長大小説に手を出しにくいのは、読む時間以外に、全巻揃える配架空間と金額の問題もあったのだが、
青空文庫は後二者の問題を帳消しにしてくれた)。

そのことは前から知っていたので、早速第1巻をダウンロードし、試しに読んでみた。

話はまさに大菩薩峠から始まり、そこと旧青梅街道で繋がっていた奥多摩の沢井や御岳山に場面が移る。
御岳山での剣術の奉納試合で竜之介はここより世に知られる”音無しの構え”を示す。

第1巻を軽く読み終えると、続けて第2巻が読みたくなった。
コミックスのノリである(『家康』にはこれがなかった)。

むしろ家康は、読まずともすでに彼の人生を私は知っている。
だが机竜之介がその後どうなるかは読み進めないとわからない。

ということで、思い(覚悟)もよらず、『大菩薩峠』を読み始めてしまったのだ。
当時の冊子には、挿絵があったのだが、青空文庫は文字部分だけなのでそれがない。

ただ、以前映画版(1960年作)を観たので、
文字上の「机竜之介」は、それを演じた市川雷蔵の姿となり、
「音無しの構え」も映像化できる。

幸い、じきに春休みを迎えるので、東名間の往き来も新幹線ではなく「18きっぷ」の利用となる。
そうすれば片道6時間を車中の読書に使える(18きっぷ5回分で30時間)。
これを使えば”長期入院”を待つ必要がない。



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