本日、わが卒論ゼミ生たちが卒論提出にこぎつけた(指導教員である私が最終許可を出す)。
締切り一日前。
論文原稿というものは、校正をすればするほど、表現の適切性が高まり、論旨の流れがスムースになり、説得力が高まる。
なので、早く提出することは論文の価値を上げるのを止めることであり、意味がない。
だから、私は学生たちの最後の壁となって、幾度も原稿を跳ね返し、ぎりぎりまで修正に修正を重ねて、少しでも良い論文に仕上げさせる。
昨年までは、大学で学生と一緒にパソコンの画面を見て内容をチェックしていたが、今年はワードの校閲機能をつかって、ネット上で原稿をやり取りした。
この方が修正箇所が全て判るのでやりやすいことがわかった。
かくして、ほとんどの学生にとっては一生に一度となる大論文を完成させた。
それを書けるようにするのが大学教員の役割。
でも、卒業後は、このような論文(論理的な文章)が書けなくなるのが、大学院の社会人を見るとわかる。
もったいない(といっても、書く用事がないもんな)。
さて、卒論提出は、学生だけでなく、指導教員である私にとっても大きなヤマを超えたことになり、さらに今年中に作成すべき書類も提出した。
今年の業務は、明日の授業1コマを残すのみとなった。