今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

大嘗宮を参観

2019年12月01日 | 東京周辺

12月初日の日曜、昨晩(高校同期会)の酒も抜けた昼過ぎ、来週8日までという皇居内の大嘗宮の参観に出発。

晴天の日曜だから、混雑しているのはわかりきっている。
なので、今日は行列の場所をチェックするだけにして、今日よりは絶対空いているはずの明日を参観本番とするつもり(ただし一応カメラを持参)。

地下鉄の「二重橋」駅のホームから、すでにぞろぞろと人が続く。
外に出て、警官に誘導されるままに、二重橋方向に向う。
もちろん周囲は人の列だが、列は停まることなく進んでいる。
二重橋前の広場には、待ち行列用に仕切られた空間があるのだが、そこは誰もいない。
荷物検査とボディチェックを受けて、さらに行列ごと進むので、もう引き返せない。
思いのほか混んでいなかったので、このまま参観してしまおう。

坂下門をくぐり、宮内庁庁舎の前で参観用の地図をもらって、紅葉の今時分通り抜けができる乾 (イヌイ)通り経由ルートで向うことにした。
私にとってここは”江戸城”なので、徳川将軍のかつての威光を感じながら進む。
道潅濠を過ぎ、乾門と大嘗宮のある本丸の分岐にさしかかると、行列が停止。
本丸へはここから橋を渡って狭い上り坂になるのだ。
ここからさきは待ち行列となるらしく、大嘗宮見学に80分かかると案内係の人が大声で伝える。
といっても、本丸をぐるりと半周するまでは、停まることなく進めた。
坂下門から本丸に直行してきた行列との合流地点で、まずは進行停止。
その後ゆっくり進み、大嘗宮の正面で、また停止。
ここからは、人数を区切って、進ませる。

ゆっくり大嘗宮の正面に達すると、みなカメラやスマホをかざして、大嘗宮の内部を写す。
「立ち止らないで」という指示が響くので、ゆっくり横に進みながら撮影する。


天皇が代替わりした年だけに行なわれる大嘗祭で、その後すぐに取り壊されるという貴重建築なので、目よりもカメラに焼き付けるのを優先。

参観路は大嘗宮の正面から側面にまわって、さらに背面にまわる。
背面からの方が天皇自ら供饌の儀を執り行った悠紀殿・主基殿、そして、その準備に使った廻立殿が間近に見え、しかも周囲の木々に囲まれた風景になるので、見栄えがいい(写真右が主基殿、左が廻立殿)。
一方、正面側に面している建物群は、皇族以下の参列者用なのだ。 

なので、もし大嘗宮を参観したい読者がいるなら、正面からではなく背面からじっくり観ることをお勧めする(しかも背後の楽部庁舎から雅楽の音が響いてくる)。
また大嘗宮に達するまで「80分」というアナウンスだったが、実際にはその半分の時間ですんだので、アナウンスの時間にびびる必要はない。
帰路は、二の丸を通過し、三の丸尚蔵館を見学して、大手門から出た。 

かくして、貴重な参観を、思いの外すんなりこなせた。


秋川高校の八期会2019

2019年12月01日 | メモリアル

昨晩は、今は亡き高校(廃校した都立秋川高校)の同期(八期)会に2年振りに出席した。

会場は例年通り、同期生が開いている築地のイタリア・レストラン。

西多摩(今のあきる野市)にあった高校ということもあり、遠方からの出席者を配慮して、開始は午後3時と早め。

今回唯一出席いただいた先生は、齢い90。
私が欠席した昨年に、ミスター秋川こと、宗方先生が亡くなったという。

毎回明らかにされる、高校(寮)時代のエピソード。
その情景が昨日のようにありありと思い出される。
その一方で、同期生たちの近況報告には、健康問題のウエイトが大きくなっている。
もうすでに鬼籍に入っている同期もいるくらいだ。 

この旧友たちと一緒にいる間、自分がいつもとは異なる心になる。

全寮制ゆえに、人間(自分と他者)の醜さをも直視し、それとつきあわねければならなかったあの3年間。
その中で、育まれた素直さとタフさ。
その心が呼び覚まされる。 

昔の心に戻った状態で、全員で肩を組んで寮歌を放吟し、来年の再会を約して別れた。

こんな中、立入り禁止になっているあきる野市の高校跡地には、残ったメタセコイアの並木だけが、いまだ天空に向って成長を続けている。
人間の10倍以上の寿命といわれるメタセコイアを選んだ宗方先生は、個人の寿命を超えて育んでほしいものを、われわれ生徒に託した。
たとえ体は衰えても、われわれの心の中に、跡地のメタセコイアとともに成長し続けているものがあるかもしれない。 

そういえば、われわれの寮歌は次の歌詞で締めくくられている、「深き心のあればこそ 永遠(トワ)に残れり、秋川に」。