今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

立石に立石を見に行く

2019年12月15日 | 東京周辺

つげ義春ファンの一人として、彼にゆかりのある葛飾区の「立石」(たていし)に行きたい(聖地巡礼)と前々から思っていた。
その地には、地名の由来となる「立石」なる石があり、その石は地中深く根を張っていて、いくら掘っても取り出せないという噂も気になっていた。

世間では、立石は「飲み歩き」すなわち真っ昼間から酒を飲めるスポットとして有名らしい。
ところが、その飲み屋街が、再開発によって消滅するというネット記事を一昨日目にした。

私は先月に論文を書き上げ、今週は仕事のヤマを乗り越えて、やっと日曜ものんびりできるようになった。 
といっても、早起きして山に行くのはつらいので、散歩に出かける先を探すと、第一候補が立石になった。

早速Leicaを首に下げて出かける(いろいろ試し撮りをしたい)。
京成本線の青砥で押上線に乗り換えて一駅目の「京成立石」で降りる。

駅の南側にアーケード付きの商店街があり、日曜の昼前なので、休みの店もあるが、(再開発のためだろう)閉店のシャッターが降りている店が目につく(写真)。
そんな中にも、昼前ながら居酒屋など酒を出す店が開いており、すでに客もいる。
さすが名にし負う「立石商店街」。

私自身は、正月三が日以外は昼には酒を飲まないようにしているので、せっかくながら「飲み歩き」 はせず、代わりに100円ショップで、ソックスと買物袋を買う(私にとって丁度いい長さのアンクルタイプのソックスは、見つけたら買うようにしている)。

まずは線路沿いの無人の立石諏訪神社に立ち寄り、猿田彦とされている庚申塔(本来は道教。昔の神社は他宗教に寛容だった)を見て、立石の東を流れる中川の河畔に登る。
そう、立石の地は川より低いのだ(防災的なリスクを背負う)。

江戸時代に建てられた帝釈天の道標を過ぎ、中川から離れて、海抜0m以下の地を少し歩くと、児童公園がある。
そこに立石祠と彫られた石柱があり、奥に立石がご神体のように祀られている(写真中央)。
立石本体は、周囲が江戸時代からの石囲いで囲まれ、地面からわずかに顔を出している程度で、そこに小銭が投げ込まれている(この風景は、鹿島神宮の要石と酷似)。 
説明板によると、石本体は房総半島の鋸山(採石場になっていた)から持ち込まれたもので、川近くの街道の標石の役目をもっていたという。
そして江戸時代に、御利益を願って削り取られてこの姿になったという。
私が耳にした噂はガセだったが(同曲の噂は、鹿島神宮の要石にも)、こうして祀られて崇敬されているのだから、それなりに存在価値はあろう(東京都指定史跡)。

再び東に歩き、この地の鎮守らしき立派な熊野神社に達する。
この神社は、かの陰陽師・安倍晴明に勧進されたという葛飾最古の社(写真)。
社殿正面には茅の輪がかかっており、作法通りに左・右・左と回って社殿に進む。
社殿の両脇には一対の楠の神木が有り(ともに樹齢350年で夫婦楠という)、霊気を漂わせている(葛飾区天然記念物)。
また境内に動物の大きな写真が飾っており、境内の奥にはポニーが3頭いる。
幼稚園を併設していて、園児がポニーに乗るという。
かなり動物好きな神社だ。
また、胴製の7mの五重の塔(のミニチュア)もあり、神仏習合を拒否していないのが嬉しい。
境内の配置は、陰陽五行に則った五角形を摸していて、さらに富士塚もあって、頂上に浅間神社がある。
私は富士塚巡り(登頂)も趣味にしているので、余禄に与(あず)かった感じ。
かようにこの神社はすべてを受け入れる真言宗的融通無碍さがあり、逆に明治以降の神仏分離的狭さがなくて気に入った。
社務所で、金の八咫烏の置き守りを買った(500円)。 
はっきり言って、訪れる価値は立石よりもこちらにある。 

ここから、住宅地を青砥まで歩いて、京成線で戻った。 
時間が余ったので、日暮里で降りて谷中を散歩して帰宅した。