心理学的な意味での「学習」というのは、一般的には繰りかえしによって成立するものだが、こと恐怖の学習はたった一回の経験で成立してしまう。
これは動物の適応にとってとても価値がある(実は、学習をしないでも特定の様態をもった対象には生得的に恐怖できる能力をもっている)。
現代の先進国住人は、少なくとも成人してからは、「危険な恐怖」というものを体験した人は少数派だろう。
6月30日にそれを経験した私は、自動的に形成されてしまう、すなわちシステム1が作り上げる恐怖条件づけをそのままにしておきたくなかった。
なぜなら、東京発10時20分発の「のぞみ」(新大阪行)は、東京の実家から愛知の勤務先の定例会議に間に合うのに丁度いいから、これからも乗りたい(恐怖心なしで)。
条件づけ(学習)を解除するには、「消去」という手続きが必要(このへんは、大学の「心理学」の基礎的授業内容)。
消去とは、この場合は、恐怖に対する無条件刺激(火災)と条件刺激(新幹線の同じ列車、同じ座席)とが連動しない体験をすることで、条件刺激と条件反応(恐怖)との結びつけを解くこと。
実は事件後の7月以降は、青春18きっぷで往復したため、新幹線を使わなかった。
9月1日の今日、2ヶ月ぶりに新幹線で職場に行くことになったので、あえて、
同じのぞみの同じ車輌に乗ることにした。
非合理な恐怖心を消去するために。
車内で食べる昼食のサンドイッチまでも、あの日と同じにした。
席について、別になんともなかったが、
犯人と同じほどの年格好の男性が1号車の通路を先頭にむかってゆっくり歩いていた時は、あの時をありありと思い出し、思わず彼の挙動を注視してしまった。
それと、あの時の新幹線が事件後に臨時停車した地点に達した時も、周囲の風景を確認してしまった。
このへんの行動は仕方ない。
もちろん、何も起こらず、無事に名古屋に着いた。
これで一応、消去作業は終わり。
でも事件の教訓は忘れない方がいい。