今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

安全保障を議論できる場に

2015年09月19日 | 時事

国会の外はともかく、少なくとも内側(立法府)では、安全保障という、国家存立の基本問題を冷静に議論してほしいものだ。

これを阻害したのは、法案一括提出の与党であり、安全保障=戦争という短絡的レッテル貼りの野党である。

一番がっかりしたのは民主党で(ということは私はかすかに期待を残しているのだが)、安全保障をきちんと議論できる人材はいるのに(たとえば長島昭久氏)、まるで”確かな野党”になってしまった。
議論そのものを拒否するシステム1状態になりきっていた。
野党に安住するなら(別にシャレではない)、民主党の存在意味がない。

昔の「有事法制」の時もそうだったが、安全保障を現実に即して論じることすら許さない風潮はなんとかしてほしい。

この風潮は原発に対しても使われていて、事故を想定した避難訓練を地元自治体と実施しようとすると、重大事故を起こす危険性を認めているという反原発派に揚げ足を取られるため、「事故を想定してもいけない」という思考に自縄自縛状態になった。
この愚かな思考に毒されていなければ、事故を起こす可能性を堂々とチェックでき、福島第一原発は、津波を想定して予備電源の場所を安全に所に移動して、女川原発や福島第二原発とともに、放射能をまき散らすレベルの大事故は起こさずに済んだと思っている(その結果、原発依存がますます進んだかもしれないが)。

国民の生命・財産を守る防災も安全保障(防衛)も共通した視点がある。
それは最悪の事態を想定して、その時どう対処したらいいかシミュレーションをし、それをもとに対策を立てるというもの。
もちろん、災害も戦争も未然に防ぐことがベストなのはいうまでもない。
だがそれが神話化してしまうと願望と現実認識が区別できなくなってしまう。
少なくとも、立法府の人たちがそうなっては困る。 
安全保障も原発も(原発の本質は安全保障そのもの)幅広い視点から冷静に議論できる政権担当可能な(=責任感のある)2つのしっかりした政党ができることが、私の当面の願い。
「確かな野党」は1つで充分だ。