今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ハガキ敬称の作法

2013年12月22日 | 生活
手紙など言語に関する作法は、服装の作法同様(服装ほどではないが)、変化が激しい。
なので、旧来の作法、さらにはそもそも論的な”由来主義”はかえって時代感覚に合わず、違和感を与える。
作法の極意は、時代遅れの歴史的正しさより、現代に生きている人に”違和感”を与えないことを優先する。

たとえば、「Yシャツは下着だ」とか「ジーパンは作業着だ」という由来主義は、
「狩衣(かりぎぬ)は屋外の狩猟着だ」というのと同じことを言っているわけで、
ならばそういう人は会話も古語ばかりを使うのが筋ってもんだ。

小笠原流などの古典礼書を読んでいて、一番現代に応用できない分野が「書札礼(しょさつれい)」すなわち通信文の作法。
文字化された書札礼は、鎌倉時代の公家礼法の『弘安礼節』から始まる。
その作法が生れた理由は、公家間の微妙な位階差をわきまえた表現の使い分け。
武家も序列社会だから、上下間をわきまえた表現の使い分けを継承した。

明治になって、身分が解消方向に向い、戦後は華族制度も廃止され、平等化が進んだ。
作法とは、あくまで既存の価値観を具現するものであり、価値観の上位には立たない。
だから作法は、価値観が変われば、当然変わる。
なので古い価値観の時代に生れた由来主義は必然的に否定される。

明治になって、封建時代の身分差にもとづく微妙な使い分けは不要となったが、
通信文の敬称に「殿」と「様」が使い分けられた。
官から民への”お達し”に「殿」が使われたため、一般に「殿」は目下への敬称となった
(「殿」には本来そのような意味はないのだが、意味論より語用論が勝るわけ。ここでも由来主義は敗北)。
もともと、様の字は、室町時代になって、それまでの殿に代わって広まった、武家礼法の中では新参組。

現在は、役所でも「様」を使う。
「様」は日本の歴史における平等主義の実現を意味する
(欧米のMr,Mrsのように性別や婚姻の有無による不要な区別もない)。
なので、私は、一様に「様」を推薦する。

もっとも、身分差ではなく、恩師に対しては「先生」も可である。
私も学問上の恩師に対しては「先生」を使う。
ただ、私の教え子が私に「様」で出しきてても、なんとも思わない。

ちなみに、「様」の字を敬意の程度に応じて書き分けるトリビアな作法がある。
一部を紹介すると、「様」の字の右下部分の「水」を「永」にするのがより強い敬意表現となる。
私は、年賀状の宛名・敬称と相手の住所は手書きにしているので、使い分けることができる。